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2006/12/11(月) 『じろりん』いったい何がしたいの?
 昭和四十七年『じろりん』が東京へ行った年に、それまで国交のなかった中国の『上海舞劇団』が文化交流の一環として来日し、『じろりん』が大道具をしていた『日生劇場』で一ヶ月公演をしました。

 それから一ヵ月後、時の総理大臣『田中角栄』が中国へ渡り『日中平和友好条約』が結ばれ、そのお土産に、上野動物園に二頭のパンダが届きました。

 当時は、政治的な事には全く興味がありませんでしたが、中国の人達と一ヶ月間仕事をした事が、『じろりん』には単純に中国という国に大変興味を持つキッカケになりました。

 その後、テレビの大道具に移ってからは、『日本テレビ総合タレント学院』へ週二日通うようになりましたが、中国に対する思いが覚めきれず、神田にある『中国語学院』にも週二日通うようになりました。

 が、それだけに飽き足らず、高校時代から憧れていた、ジャズドラムのレッスンに渋谷・YAMAHAの『ジョージ大塚・ドラム教室』へ、週一日のペースで通いました。

 ドラムは、ちょっと経験があったので、せめて初級を飛ばして中級からレッスンを受けようと思っていましたが、そこへジャズドラムで有名な主催者の『ジョージ大塚』さんが受付に偶然現われ、「君の顔では、初級だな!」と言われました。私は「顔で決めるのかよ!」とツッコミを入れたくなりました。レッスンの先生は弟子の人でした。

 花の東京で、夢の東京で、何か行動を起こしていないと、不安だったのです。本当に『じろりん』は、いったい何がしたかったのでしょう・・・

 その時の『じろりん』は、今で言う『レッスン貧乏さん』でした。とにかく、立ち止まらず何かしていないと、死んで仕舞うと思い込んでいる十九歳の秋でした。

↓ 中国の『上海舞劇団』をスタッフと共に、羽田空港で見送った。


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