|
2006/09/20(水)
なんで「タケシ」が・・・
|
|
|
昭和49年頃、浅草は非常に寂びれていました。
私が浅草の松竹演芸場で芝居をしていた頃、浅草ロック(六区)の松竹関係の映画館や芝居小屋は(勉強の為)フリーパスで見る事が出来ました。 何せその頃の出演料は、一日二回公演で三百円のギャラでした。ベテラン漫才師(Wけんじ、内海よしえ・桂子)クラスでも一日千円だと聞いていましたので仕方ないことです。(演芸場は勉強の場で、ギャラがもらえるだけで有り難いのです)
公演が終わってフランス座という小屋に行った時、柄の悪そうな男がエレベーターボーイをしていました。それから、しばらくすると、その男がコンビを組んで演芸場の舞台で漫才を始めたのです。 全く面白くないコンビで笑いはほとんどありませんでした。私は「こんな奴ら絶対に売れないだろう。」と思っていました。
ある東京のテレビ番組のオーディションでたまたま一緒になりました。彼は、神経質そうに廊下で頭を抱えていました。それから、しばらく売れない下積みがあったかと思ったら、いつしか、大ブレイクして大人気者となっているではありませんか。
しばらくの間、その男がなぜ売れているのか、そのセンスも才能も当時の私には全く分かりませんでした。(今でも、分かっていませんが・・・)
その男こそ漫才ツービートの「ビートたけし」でありました。彼のおしゃべりは、話題の人物や政治・世相を切り口鋭く斬りまくり、まるで「たいしょく天さん」のようで、その口からでる言葉は毒ガスとも呼ばれました。
|
|
|
|