私事の毎日をボチボチ、マイペースで綴って行きます。
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2007/11/14(水) 『泰葉』離婚しちゃった!
 今日の朝、テレビを見ていて驚きました。『林家三平』師匠の娘『泰葉』が明るく離婚しちゃったのです。

 『林家三平』師匠には、『みどり』『こぶ平』『泰葉(やすは)』『いっ平』と私の知る限り四人の子供さんがおられます。

 二女の『泰葉(やすは)』さんには音楽的な才能があり、高校卒業後専門的に勉強され、自作の曲でデビューが決まり、私の通っている『名倉加代子ジャズダンススタジオ』へレッスンに通い始められました。

 このスタジオは、レッスン生が多彩で、コーラスグループの『サーカス』とか『大竹しのぶ』さんとか『多岐川裕美』さんとか多くの女優や歌手がダンサーに混じってレッスンしていました。

 『CAN'T STOP DANCIN』という公演があり、『泰葉』も『大竹しのぶ』も一緒に出演しました。『泰葉』は、一流ダンサーをバックに歌って踊りました。私もミュージカル『オズ』のナンバーを多勢のダンサーをバックにソロで歌わせて頂きました(実はクチパク)。

 連日、満員でテレビのワイドショーでも取り上げられました。『泰葉』とは帰る方向が同じだったので、よく一緒になりました。ある時ラーメン屋に立ち寄り、年下の彼女におごって頂いた事があります。今、考えれば情けない・・・。(地方から出てきた人には、東京生まれの人にはない、パワーやバイタリティがあるようで、興味を持たれていたようです。)

 デビューが決まり、聞きに来てくれと頼まれ、新宿のライブハウスでの初ライブに行きました。一流のミュージシャンを従えてのライブでした。客席はファンと、林家一門の場違いの人たちと、家族・親族で満員でした。彼女には『フライデイ・チャイナタウン』というヒット曲があり、その時こっそり撮った録音テープが今も残っています。

 彼女は落語家の『春風亭小朝』師匠に嫁がれ、落語家の妻として頑張っておられたのですが、何が原因なのか・・突然、今日の明るい離婚会見となりました。

 少女のように明るく離婚について話す姿には、昔、デビューを前にして初々しかった頃の彼女の面影がそこにありました。

2007/11/04(日) なんで『三宅裕司』が出てるの?
 私は、東京から姫路へ戻って来てから、一番驚いたことは、タモリの『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに、一緒に仕事をしていた無名の『三宅裕司』が和田アキ子のテレフォン紹介で突然、出演したことです。

 『三宅裕司』は、私が通っていた、『日本テレビ総合タレント学院』の後輩で、私がすでにコンビを組んで仕事をしていた時に、彼は『CATV(多磨ケーブルテレビ)』でアナウンサーの修行をしていました。

 『黒沢久雄』さんが、メインキャスターの『クロパンのラパンアジル』という番組があって、『じろりん』と『小林アトム』君(現・劇団四季)は、レギュラー出演をしていました。その番組の手伝いをしていたのが『三宅裕司』だったのです。落語が得意で、おしゃべりも達者でした。

  ある時、『渋谷ジャンジャン』というライブハウスで、榎本明、ベンガル、高田純次、等の劇団『東京乾電池』の芝居を見に行った時、偶然『三宅裕司』に合いました。その時、彼が私に言ったことを、今になって思い出します。「ジロー、(何故か彼は、私のことを呼び捨てに、していました)これからは小劇団の時代だよ。僕は、これから劇団を作って頑張ってやりますよ!」

 私は、「へぇ〜」という感じで聞き流しておりました。それから間もなくして、私は姫路へ帰ることになり、そんな言葉も忘れていました。それから数年後、何気なくテレビを見ていると、お昼のゴールデンタイムに『三宅裕司』が出てきたではありませんか。有名人でもない彼が何故出ているのか?『和田アキ子』の事務所の圧力なのか?と、色いろ考えてみたが、どうも分からないというのが、その時の正直な感想でした。

 その後、次々とレギュラー番組も増え、一流タレントの仲間入りをして、彼の『波乱万丈』もテレビで取り上げられるようになってから、やっと私の長年の疑問が解けたのです。

  彼は、私と渋谷で会ってから間もなく『スーパー・エキセントリック・シアター』略して『SET』という劇団を立ち上げていたのです。そして東京ローカルではありますが、かなりの人気劇団になっていたようです。

  姫路で天理教の教祖の百年祭活動に奔走していた、青年布教師『じろりん』には、そんなこと、知る由もありませんでした。人気者になった『三宅裕司』を見て、嬉しいような、悔しいような、羨ましいような気分でしたが、実は、私の挑戦は、これからなのです。

  七十歳デビューに向けて今、着々と準備が進んで居ります。「『三宅裕司』君よ、待っていなさい・・・」なんちゃって!!!


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