私事の毎日をボチボチ、マイペースで綴って行きます。
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2007/04/11(水) 『大竹しのぶ』さんの思い出
 当時、若手の女優で最も輝いていた『大竹しのぶ』さんに、タイトルが『にんじん』というミュージカルの主演が決まりました。

歌って、踊って、芝居をするミュージカルは役者にとっては最高の舞台であります。踊りの苦手な彼女も、私の通っている『名倉加代子ジャズ・ダンススタジオ』へレッスンに通い始められました。

そして、第一回目のスタジオ公演にも一緒に出演することが決まりました。彼女は忙しいので練習が他の人より遅れ気味になり、振り付けが覚えきれない状態でした。

狭い稽古場では、他の人たちの練習があり、仕方なく前の道路に出て、遅れている振り付けを数人で彼女に教えていると近所の子供たちが集まってきました。一通り稽古をして、休憩になると彼女は、子供たちの所へ走っていきました。

何をするのかな? と思っていたら、急にサインを書き始めたのです。子供たちの手にノートとサインペンが握りしめられていることを、私は気が付かなかったのですが、彼女はしっかり見ていたのです。

どこにいても、何をしていても、自分は女優なのだ、プロなのだ、ということを忘れてはいなかったのですね。そして過日、雑誌の取材があり、インタビューの後カメラを向けられた瞬間、今までの幼い素顔の表情が、一変に明るく輝く素敵な女優の顔へと変身したのには驚きました。

これがプロなのでありましょう。プロというのは、いつ、いかなる場面に於いてでも、自分の最高の物を人に提供出来る人なのかもしれません。私たちもそれぞれの仕事や立場においてプロになりたいものですね。

プロのよふぼく、プロの主婦、プロの家事手伝い・・・いろいろあると思いますが、いつ、いかなる場合でも最高の物、最高の笑顔を人様に届けたいものですね。

2007/04/06(金) 巨人軍の『長嶋茂雄』名誉監督を見たぞ!
これは、読売巨人軍の名誉監督『長嶋茂雄』氏が、現役の監督時代の話です。

私が地方の仕事に向かうとき、東京駅で大勢のカメラマンや記者に追いかけられて、ニコニコ笑いながら走って新幹線に飛び乗って来られた人がいました。

誰あろう当時、巨人軍の監督をしておられた『長嶋監督』でありました。おそらく試合の移動日だったのでしょう、よく見ると、他の選手たちもたくさん乗っておられました。

その年のペナントレースで『ヤクルトスワローズ』の優勝が決まった日でした。その優勝祝賀会の二次会か三次会か知りませんが、私のバイトしている店にヤクルトの選手がなだれ込んできました。

今は亡き応援団長、メガネの松岡さんも来られていました。そのとき、カウンターで飲んでいるヤクルトのある選手が「今年のオールスターに出た時、長嶋監督からベンチからのサインをもらって、しびれました。」と聞いた時、「ヤクルトの選手のくせに長嶋ファンかよ!」と思いました。

その上「僕らだって巨人ファンですよ」という言葉を聞いてあきれました。                

又、この店のお客さんで長嶋監督の選手時代につき合っておられた彼女もよく来られていました。当時の彼女との約束で『長嶋選手』が「バッターボックスに入った時に、ヘルメットを二回ポンポンと叩くから・・・。」それは「君を愛している。というサインだよ!」と言われたそうです。

テレビ中継を見ていて、バッターボックスでヘルメットをポンポンと叩いている『長嶋選手』を見て、「自分の為だけのサインをもらい、感激しました」という話を聞いたことがありました。

長嶋監督の天性の明るさと陽気さは、「をもたりのみこと」さまの暖かさと明るさを感じずにはおれません。

2007/04/01(日) 『植木等』さんと『ニセ勝新さん』!
 先日、『植木等』さんが、お亡くなりになった。東京で一度だけ『植木等』さんにお会いしたことがある。(20数年前の事です。)

『植木等』さんたちが出演していたTBSドラマの最終収録が済み、バイト先のパブで打ち上げのパーティーが行われた。お酒を飲まれない『植木等』さんは、最初に挨拶をして、しばらくして退席されました。

 パーティーも盛り上がり、佳境に入った頃、貸し切りで店の看板も消えているにもかかわらず、お客さんが入ってきた。

 応対に出ると、立派なダブルの背広を着た『勝新太郎』さんとマネージャーらしき人であった。「どうしてもこの店で飲みたい」と言うことなので、TBSの関係者に断りを入れて、一番奥のテーブルを空けてもらい、二人に座って頂いた。

 店内は貸し切りパーティーの事であるので、普段より少し暗い感じの照明であった。『勝新太郎』さんが来られている、という事がドラマの関係者に徐々に伝わり、入れ替わり立ち替わり、一人ひとり挨拶に行かれた。そして、アチコチでこんなささやきが飛び交いだした。

 「ちょっと違う感じだぞ。」「勝新さんにしてみると、ちょっと小柄な感じがするなあ」「あれはニセ者と違うか・・・?」と思いつつも、誰も確信がなくしばらく時間が過ぎていった。

 フッと気が付くと先ほどの二人は影も形もなく消えていた。一体、あれは何だったのだろう・・・?おそらく、『勝新』さんになりきって店に入ったものの本物の俳優さんたちに次々と挨拶に来られ、さぞ座り心地が悪かったのでしょうかね。

 あの時の『ニセ勝新さん』!パロディ(笑)としてのニセ者は許せますが、本物のふりをしたニセ者はつらいですね。神様も「うそとついしょう、これ嫌い」と言われていますよ。


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