私事の毎日をボチボチ、マイペースで綴って行きます。
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2007/07/11(水) 『美空ひばり』さんの事。
 今日、テレビで『美空ひばり』の特番がありました。今でも思いだします。あれは、昭和48年の事でした・・・

  私の商業演劇の初舞台は、新宿コマ劇場で一ヶ月間の『美空ひばり公演』に、切られ役(菊池剣友会)として出演したことでした。

 その頃は、『ひばりさんのお母さん』も健在で、舞台初日の前日、出演者全員, 舞台上に正座させられて、『ひばりさんのお母さん』から初日を向かえる心構え等を厳しく仕込まれました。

 出演者も劇場側の裏方も、年に一度、この一ヶ月ばかりはピリピリムードで緊張しておりました。

 何せトチッたりすると本番中でも「あなたそれでもプロですか!」とお客さんの前でも容赦なく叱られるのですから、大変です。

 客席は連日満員で、『美空ひばり』の力を見せつけられました。『美空ひばり』と『そのお母さん』は『一卵性親子』と言われる程,一身胴体でありました。

 彼女の天性の歌声と、自他共に対する厳しさは、その後の私の生き方に大きな影響を与えたように思います。

 ちなみに、現在声優で活躍の『千葉繁』さん、コント『チャーリーカンパニー』の『日高のばる』さんは、この公演の時、同じ大部屋で一緒に出演していました。

http://www.81produce.co.jp/list.cgi?man+3251221483000 ←『千葉繁』さん

http://www.parknorth.jp/charly-profile.html  ←『日高のばる』さん

2007/07/05(木) 何で、羽賀!
まさか、逮捕されるとは・・・・

 私が、レッスンしていた『名倉加代子ジャズダンススタジオ』へ一人の青年がやってきました。

 「僕、沖縄から出てきました、『トウマ・ミキオ』って言います、ヨロシク」と言ってあいさつをされた。人なつっこい青年で何かと話しかけてくる。

 「僕、ギターのレッスンも始めました。」・・・そう言われてもそれがどうした、という 感じ・・・。

 今度は「僕、芸名が決まりました、『羽賀健二』(現在・研二)っていいます。」・・・と言われても、変な芸名という 感じ・・・。  

 学生時代にバスケットをやっていたそうで準備運動の時、ジャンプしたら他の人より頭三つ程出るから、えらい目立つ、変な奴・・・。

 そうこうする内に女の子の間で話題になりかけた、と思ったらタモリの番組で『いいとも青年隊』でデビューしてしまった。

 その後のことは皆さんよくご存知の通りです。変な奴だか、大した奴なのか、今だによく分かりませんが・・・人なつっこい、憎めない奴ではありました。

 

2007/07/03(火) 『山田君』は『座布団御殿』に住んでいる。
  日本テレビ『笑点』の座ブトン運びでお馴染みの『山田君』は元『ずうとるび』(*1) のリーダーであった。
  
 彼とは、『じろりん』がアシスタントをしていた番組『シャープ・スターアクション』のレギュラーになった時、アクション指導をするようになり親しくなった。

 『じろりん』と『小林アトム君』(姫路出身ミュージカル俳優)のバイト先のパブ四谷三丁目『ジル』へよく遊びに来て、ウィスキーの牛乳割りを飲んでいた。

  私達のショータイムが大変気に入り、「三人でグループを作って売り出そう・・グループ名は、もう決めている『きいもんず』(*2) ってのはどうですか?」と相談されたが、実現はしなかった。

  ある日どういうコネか知らないが、米軍基地内の広大なゴルフ場へ連れて行ってもらって、生まれて初めてゴルフをした。又、当時やっていたフジTV『スター家族対抗歌合戦』という番組に、『山田君』の『いとこ』という事で出場した。

  山田君の言うには、「こういう番組に出ても、決まって『ユーモア賞』ぐらいしか取れないんだ、今回はなんとか頑張って『グランプリ』を取って、是非ハワイ旅行へ行きたいので、悪いけど『いとこ』ということで出場してくれないか?」というので、私は山田君の『いとこ』になり出場し『ゴダイゴ』の『ビューティフルネーム』を唄った。

  スタジオに入ると、運悪くADが知り合いだった。「ハイ、山田君のご家族はこちらへ・・・」とADに言われ、私がついて行くと「君は他人」と,言われたが、「いいえ、いとこです」言い張って出場した。(結果は,やはり『ユーモア賞』だった。)

  それからしばらく『フジTV』では『じろりん』は,山田君の『いとこ』になっていた。その時の賞品でもらった圧力鍋がいまでも我が家にはある。

  ある時、『山田君』が私に言った。「僕は、将来国会議員になるのが夢なんだ」と、私は驚いた。「体は小さいが、夢はデカイな。」彼の前へ前へと進み出るバイタリティにはおそれいった。そんな『山田君』が、私が芸能界を辞めて姫路に帰る時、『サスケ』と一緒に送別会をして送ってくれた。

  それが縁で、『山田君』は、『サスケ』が作った『幸せのザブトン』という歌を今、歌っている。

  当時、彼は小さなマンション住まいだったが、今は、『座布団御殿』と呼ばれている立派なお宅に住んでいるらしい。

* 1 『ずうとるび』・・・ビートルズを逆さにしたグループ名
* 2 『きいもんず』・・・モンキーズを逆さにしたグループ名

2007/07/01(日) 『プリンセス天功』は昔、『朝風マリ』だった。
    
  『松本さん』という、ちょっといい加減だけど人のいい先輩がいた。『松本さん』が『花小金井』という街の夏祭りのプロデュースをすることになり、私も手伝うことになった。

  その舞台の目玉は、『ピンクレディ』と『小林旭』の直筆サイン色紙等、豪華景品が当たる大抽選会、それにマジックショーであった。
 
  豪華景品といっても、ブランド品なのかバッタ品なのか、よくわからない品物と、後は何も書いてないサイン色紙が数十枚あるのみであった。

 何を思ったか『松本さん』はその色紙に上手に『ピンクレディ』のサインを書き始めた。次に私に『小林旭』のサインの仕方を教えてくれた。まず、色紙を横にして数字の2312を書き、次に縦にして直線を入れていくと、『小林旭』というサインが出来ると、得意そうに教えてくれた。

 そんな色紙でもみんな喜んで持って帰って下さった。あの時のお客さんには本当に申し訳ないことをしたものである。    
 
 (2の真中に横線を入れる90度回転すると「小」という字になる、つぎに31とくっ付けて書く横線を二本入れる90度回転すると「林」の字になる、つぎに2を左90度回転する左寄りに縦線を一本入れる右側に日という漢字をいれると「旭」になる)
 
 そして、もう一つの目玉のマジックショーは後の『プリンセス天功』となったデビューしたての『朝風マリ』という女の子だった。後見(アシスタント)の男の子数人を連れてのテンポのいいステージでした。

 その頃のマジック(手品)と言えば寄席芸人がやることと思っていましたので、若い女の子がアイドルのようにデビューしたのには驚きました。

  ショーの最後には、マジックをしながらデビュー曲を唄いました。 たしか『ダンシング・マジック』とかいう曲だったと思います。ちょっと企画倒れだったのか、その後、数年は泣かず飛ばずで私も忘れかけていました。

  そしたらその後、『初代引田天功』が亡くなり、『二代目引田天功』として華々しく再デビューしたではありませんか。『引田天功』というブランドもあり、徐々に売れていき、その後、ハリウッドにも進出し、『プリンセス天功』と呼ばれるようになりました。

 北朝鮮の『金正日』氏にも大変気に入られ北朝鮮でも数度公演を行っています。あの『喜び組』のステージの原型にもなったそうですよ。

 私が『朝風マリ』と呼ばれていた『プリンセス天功』と会ってから、もう二十数年が経っているのに、彼女は昔のイメージのままである『プリンセス天功』は、年をとらないのか?これこそマジックと呼ばずに何と呼ぼうか! 
 
 でも、いくら不思議なマジックであっても必ず種はあるものです。この不思議な人間の身体も『元始まり』の時に種があったように!!!


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