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2007/07/01(日)
『プリンセス天功』は昔、『朝風マリ』だった。
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『松本さん』という、ちょっといい加減だけど人のいい先輩がいた。『松本さん』が『花小金井』という街の夏祭りのプロデュースをすることになり、私も手伝うことになった。
その舞台の目玉は、『ピンクレディ』と『小林旭』の直筆サイン色紙等、豪華景品が当たる大抽選会、それにマジックショーであった。 豪華景品といっても、ブランド品なのかバッタ品なのか、よくわからない品物と、後は何も書いてないサイン色紙が数十枚あるのみであった。
何を思ったか『松本さん』はその色紙に上手に『ピンクレディ』のサインを書き始めた。次に私に『小林旭』のサインの仕方を教えてくれた。まず、色紙を横にして数字の2312を書き、次に縦にして直線を入れていくと、『小林旭』というサインが出来ると、得意そうに教えてくれた。
そんな色紙でもみんな喜んで持って帰って下さった。あの時のお客さんには本当に申し訳ないことをしたものである。 (2の真中に横線を入れる90度回転すると「小」という字になる、つぎに31とくっ付けて書く横線を二本入れる90度回転すると「林」の字になる、つぎに2を左90度回転する左寄りに縦線を一本入れる右側に日という漢字をいれると「旭」になる) そして、もう一つの目玉のマジックショーは後の『プリンセス天功』となったデビューしたての『朝風マリ』という女の子だった。後見(アシスタント)の男の子数人を連れてのテンポのいいステージでした。
その頃のマジック(手品)と言えば寄席芸人がやることと思っていましたので、若い女の子がアイドルのようにデビューしたのには驚きました。
ショーの最後には、マジックをしながらデビュー曲を唄いました。 たしか『ダンシング・マジック』とかいう曲だったと思います。ちょっと企画倒れだったのか、その後、数年は泣かず飛ばずで私も忘れかけていました。
そしたらその後、『初代引田天功』が亡くなり、『二代目引田天功』として華々しく再デビューしたではありませんか。『引田天功』というブランドもあり、徐々に売れていき、その後、ハリウッドにも進出し、『プリンセス天功』と呼ばれるようになりました。
北朝鮮の『金正日』氏にも大変気に入られ北朝鮮でも数度公演を行っています。あの『喜び組』のステージの原型にもなったそうですよ。
私が『朝風マリ』と呼ばれていた『プリンセス天功』と会ってから、もう二十数年が経っているのに、彼女は昔のイメージのままである『プリンセス天功』は、年をとらないのか?これこそマジックと呼ばずに何と呼ぼうか! でも、いくら不思議なマジックであっても必ず種はあるものです。この不思議な人間の身体も『元始まり』の時に種があったように!!!
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