私事の毎日をボチボチ、マイペースで綴って行きます。
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2008/10/11(土) 作詞・まみりん作曲・サスケ
平成十八年五月三日に陽気ホールで共演した、娘の『まみりん』が、無理を言って『サスケ』に作曲してもらった歌です。


<ありがとう・たくさんの思い出たち>

作詞・まみりん 作曲・サスケ
   E7      Am D7     G7
ありがとう ありがとう たくさんの思い出たち

   E7     AmD7        G7
ありがとう ありがとう  一緒に一緒に歌って くれて

 C       Am  Dm       G7
@これはキセキか しら   これはキセキか しら     
Aとても素敵な  ハーモニーとてもキレイな ハーモニー

 E7     Am   D7     G7
@私がこんな 舞台に  立って歌って いる
Aみんなを夢の中に   誘い込んで  行った

 C    Am   Dm     G7
@周りには一緒―に   歌う中間たち       
A二人でひとつーの   あなた達うらやましい

 E7    Am     D7/G7   C
@目の前にはたくさんの   お客さん
A人前で歌うことの  楽しさがわかった

   G7   G7   D7/G6 C
@あなた たちに 出合えて出来たことー 
Aそれはふたりに 出合えたからよー

     E7     Am    D7    G7
@Aありがとう ありがとう たくさんの思い出たち

    E7     AmD7          G7
@ありがとう ありがとう 一緒に一緒に歌ってくれて
Aありがとう ありがとう 一杯一杯 誉めて くれて

 C   C/A7 D7/G7   C
@あの時の喜びは いつまでもわすれない― 
Aあの時の感動は いつまでもわすれないー 

  C C/A7  D7 / G7   C
@A本当に出合えて 出合えてよかったー


とっても、感じの良い歌ですよ!
10月19日のライブで歌います。是非来てね!
<じろりん&まみりん>で『世界で一つだけの花』をYouTubeしています。聞いて下さい。↓

http://jp.youtube.com/watch?v=QPb6anSR6TI   です。

<姫路市立城陽公民館・じろりんフォークライブ>

10月19日(日)AM10:30より
         入場・無料です。

2008/10/08(水) 伝説の双子フォークデッオ『サスケ』その6
平成十八年五月五日は、いよいよ姫路で『サスケ』と『夢のジョイントライブ』の日だ。

実は前日、『陽気ホール』コンサートの最中に、『サスケ達』が昔から大変お世話になっている叔父さんが亡くなられたという一報が入っていた。

しかしこの後、続いて姫路・松山・下関とライブの予定が組んであり、お葬式に出席できない事を申し訳なく思い、かなり落ち込んだ様子でお悔やみの電話をしていた。

 私は『天理(おぢば)』のコンサートの最中に亡くなられたということは、その叔父さんの魂は、きっと時間と空間を飛び越えてコンサート会場に来てくれていると直感した。

そのことを『サスケ達』に伝え、『幸せ』と『不幸せ』を数えると『不幸せ』の方が多いっていう歌があるけれど、あれは間違いで、よく思案すると自分では気付いていない『幸せ』が(例えば、目が見える、歌が作れる、唄える、いい仲間がいる、ステージがある・・・と数えれば・・)両手に有り余る程、あるよと話した。

それを聞いて、何かが吹っ切れたように急に表情が明るくなり、「俺たち『幸せ』の数え方、間違ってたよな!考えれば俺たちは恵まれているよな!」と、前向きの言葉が出るようになった。

 トラブルはそれだけではなく、この日の為に制作したCDの曲順が違っている事が判明した。これでは売り物にはならない。でも、「以前なら、かなり落ち込むところだったけれど、これも何か意味があるのかも・・このCDは、みんなに貰ってもらって幾らかでもカンパして頂いたらいいじゃないか。」と思い直すことにした。

 姫路でのライブは超満員になった。ライブ関係者のホームページに、「サスケと“じろりん”の青春時代が戻ってきたような空気が広がっていて、はしゃぐ大人同士の何とも言えない甘酸っぱい気配がこちらまで伝わってきてた♪」 「ジョイントライブと言うより同窓会のような感じで約2時間、3人の歌声と手拍子が鳴りやまない楽しい時間が過ぎていったよ。」と、書き込んであった。

今回のライブで私は、『サスケ達』から大きなパワーを貰った。『サスケ達』も出逢った多くの人達から、大きなエネルギーとパワーを注入されたに違いない。
 
打ち上げは、『じろりん邸』で夜中二時すぎまで盛り上がった。次の朝、すがすがしい空気を残し、新宿のマスター『西村さん』の運転で、次の松山ライブへと旅立って行った。

2008/10/07(火) 伝説の双子フォークデュオ『サスケ』その5
『ゴールデンウィーク・ミニバラエティショー!』と題して、平成十八年五月三日は『じろりん&てっちゃん・こてっちゃんマジックショー』が、四日には『サスケ&じろりんフォークライブ』が帰参者で賑わう、天理の『陽気ホール』で開催された。

 四日のステージは、最初の十五分は『じろりんステージ@』次の三十分は『サスケとのジョイントステージ』次の十分は、『じろりんステージA』最後に全員でサスケの『麦踏み』を歌うという構成にした。

 通しリハーサルでは、三十数年間プロとしてやって来た『サスケ達』の歌と演奏はさすがに見事なもので、その後の『じろりんステージA』では最初に娘の『まみりん』と二人で『世界で一つだけの花』を歌うのですが、歌も演奏も余りにも差がありすぎて貧相に思われましたが、仕方ありません。何せキャリアが違うのですから・・・

 控え室で『じろりんステージ@』の最後の曲『ここは親里』を歌っていると、サスケの『勝ちゃん』が、いい感じのバック演奏をギターで始めました、すると『隆ちゃん』は、ハーモニカを取り出して私の歌に合わせて吹き始めたではありませんか・・何と気持ちよく歌えることか・・・思わず「悪いけど、バック演奏してくれる?」と言ってしまった。

「OKいいよ!」との返事。「ついでに、『世界で一つだけの花』もバックやって欲しいんだけど・・・」「OKわかった!」私はホット胸をなぜ下ろした。これで本当の意味の『ジョイントコンサート』になる、と思った。

 そこへ『陽気ホール』の出演交渉で世話になった西村先生が花束を持って控え室に来て下さった。サスケ達にとっては会う人、会う人、みんな初対面だ。きっと東京の生活では忘れそうになりがちな人の暖かさや、優しさを感じてくれていたに違いない。

 一時間余りのステージは感激のうちに幕を閉じた。その後、一階のロビーでお客さんや、姫路から応援に来てくれたの人達と別れを惜しんだ。出合いがあれば必ず別れがある。彼らは何時もその繰り返しなのだ。その時、娘の『まみりん』が(頼めばウン十万する)サスケに一曲、曲を書いて欲しいと頼んでいたらしい。

  彼らは「いい根性してるよな・・・でも約束したから作るよ!」「でも、早く詩を書くように言っておいて!」と・・その言葉を私は冷や汗の出る思いで嬉しく聞いた。
 
  その後、西村先生が「ジローさんには、いつもお世話になっているから『サスケ達』の接待は私がさせてもらうよ。」と言って、食べきれない程のご馳走を用意して下さった。記念の写真を撮り、話に花が咲き、あっという間に時間が過ぎて行った。
「今日『おぢば』に一粒の種を蒔いたのだから、きっと大きな花が咲くよ!」
その時、先生の言われたこの言葉が心に残った。

2008/10/05(日) 伝説の双子フォークデュオ『サスケ』その4
『サスケ&じろりんジョイントコンサート』が、平成十八年五月四日に天理の『陽気ホール』で、五日には姫路のライブハウスで計画された。サスケ達の故郷『愛媛』で『南こうせつ』出演のライブが七日にあり、その途中に関西(天理と姫路)へ寄ってくれることになったのだ。

サスケは、三十数年間、フォーク歌手として又、作詞・作曲家として活躍している双子の兄弟で、心にしみる歌を唄い続け、今では伝説のフォークデュオと呼ばれている男達だ。名前を『勝ちゃん』『隆ちゃん』という。

サスケ達の知り合いの新宿のマスター西村さんの運転で天理へ到着したのは三日のお昼だった。彼らとのライブは二十五年ぶりで、私の心は踊っていた。私がメールで送った「今回のライブは、サスケの中の何かが弾けるかも!」という言葉が、ずっと気になっていたらしく、「今回、スケジュールはキツイが、何が何でも天理へ行かなければ・・・」と強く思ってくれていたようだ。

ふと『勝ちゃん』の顔を見ると頬が異常に腫れている。「今朝から急に歯茎が腫れ出した。」と聞いて、私は教祖が引き寄せておられる、と直感した。

「神殿に参拝したい。」と言う彼らを『神殿(おぢば)』へ案内した。「おつとめする?」と聞くと、「する。」と言うので簡単に手振りを教えて、娘の『真実』と私が三人の間に入っておつとめをした。その後で『勝ちゃん』の腫れた頬に『おさずけ』を取りついだ。

「僕らは、埃が一杯たまっているから、綺麗にはとれないけど、一寸は取れたかな?」と聞くので、「大分、取れたと思うよ。」と、話しながら教祖殿へと案内した。『おぢば』の空気は清々しくて、彼らは何かを感じてくれていたようだ。

今日泊まる詰所に帰り、明日のコンサートの打ち合わせをギターでやっていると、「サスケのおじちゃん、何か歌って!」と、子供たちが入って来た。「いいよ!」と言って、彼らは打ち合わせそっちのけで、ギターで歌い始めてしまった。

すると、いつの間にか人が増えて、気が付くとミニコンサートのようになっていた。何気なく『勝ちゃん』の頬を見るといつの間にか歯茎の腫れが殆ど引いていた。改めて『おぢば』のパワーを感じずにはおられない瞬間だった。

2008/10/03(金) 伝説の双子フォークデュオ『サスケ』その3
姫路で『サスケ』の曲を歌うようになってから、『サスケ』とメールでコンタクトを取ることが多くなった。『サスケ』からは『いつか、ジョイントライブが出来たらいいね!」と何度かメールをもらったが、ライブハウスに一度も行ったことの無い『じろりん』にとっては、実現は夢の夢でした。

 姫路のイベントでお世話になっている、『ミューポップ姫路』の代表『川島隆臣』さんに相談すると、「是非、やろう!」と言って下さるが、東京から来てもらうには、あまりにも遠く感じられ自信もなかった。

 もしジョイントライブをするとしても、お客さんを動員するには『サスケ』の歌を多くの人に知って貰っておくことが大切だと思い、『サスケ』の歌を大量に録音して、アチコチに配って回った。

 平成十八年五月四日、奈良県天理市に新しく出来た『陽気ホール』で『じろりんライブ』をすることが決まった時、以前に『サスケ』のCDを渡していたホールの担当者から、「『サスケ』は出演できないのかな?」と聞かれたが、「東京から来てもらうのは、無理でしょう!」と答えた。

 念の為、『サスケ』にメールで尋ねると、「丁度ライブの旅の途中で、三日・四日・五日なら関西を通ります。」と返事があった。なんと言う偶然!早速、ホールの担当者と連絡を取り、『陽気ホール』での『夢のジョイントライブ』が実現することとなった。

 そして、五月五日には姫路のライブハウス『バレル』での『ジョイントライブ』も決まり、ドキドキでその日を迎えた。そして沢山の人たちも来て下さった。

 今は一般人の『じろりん』が伝説のフォークデュオ『サスケ』達と横一列に並んで歌う光栄と懐かしさで涙が出て止まらなかった。

2008/10/02(木) 伝説の双子フォークデュオ『サスケ』その2
  平成十六年九月、所用で東京へ行った。十年暮らした東京を去ってから、二十三年ぶりである。夜行バスの疲れを新宿のサウナで取っていた。

 用事まで時間があったので、昔の仲間に携帯でアチコチ連絡を取ったが、誰にもコンタクトが取れなかった。しかたがないので仮眠室で横になりウトウトしていると、携帯がけたたましく鳴った、出て見ると『サスケ』だった。

 「今日は、ある方の新曲発表があるのだけれど、今すぐなら時間が取れるので、是非会いたい。」というので、小田急線の『下北沢』へ慌てて向かった。

 改札口に初老の双子がいた(笑)。二十三年ぶりに会う五十歳の『サスケ』だった。喫茶店で自主制作(自宅のパソコンで創った)CDを見せると「こういう風に形になると、嬉しいよね!」と感激してくれた。別れ際に「これ、聞いて!」と一本のテープを渡された。

 姫路に帰って来てから、曲名も何も書いていないテープを再生した。入っていた三曲はとても心に残り、車を運転している時など、自然に口ずさんでいた。『上を向いても涙がこぼれる・鏡の前の52分・麦踏み』と勝手に曲名を付けて歌うことにした。

 それから暫らくして、「今度、二十年ぶりにアルバムを創ります。」と『サスケ』からメールが来た。出来上がって一枚送ってもらうと『サスケ』達の『生き様』を感じる曲ばかりでした。いろんな人に聞いてもらうと「これは、姫路でも『じろりん』が歌って、関西から火をつけるべきですよ!」という意見があった。

 『サスケ』に「『サスケ・ローリングバンド姫路支店じろりん』という名で『サスケ』の歌を唄ってもいいか?」とメールをしたら「OK!そちらで売れてくれたら、俺達楽だから・・・」と冗談まじりの返事が来た。

 その事をきっかけに、姫路を中心にアチコチのイベントに出演する機会が増え、アーチストの仲間に入れて頂き『サスケ』の歌を唄うようになった。

 『サスケ』から「長年やっていると、しんどい時もあるけれど、『じろりん』が歌ってくれているので、たいへん励みになります。」とメールが来た。

2008/10/01(水) 伝説のフォークデュオ『サスケ』
 ♪北の街から、南の街までステキな夢を届けます♪ ラジオから流れてくるジャパネット・タカタのテーマ曲である。これを歌っているのは、『サスケ』という、四国出身のフォークグループで双子の兄弟である。(後になって分かったのですが、彼らが歌っていた、『JR貨物』のCMソングとソックリなので、私が勘違いしていました。実は別の人が歌っているそうです。)
 
 実は、『サスケ』が『サスケ・ローリングバンド』と名前を変えた時に、バンドのメンバーとして、「パーカッションで参加してやってくれないか!」 と知人の俳優『深見博』君から頼まれ、ライブハウス等でしばらく一緒に活動していました。(深見君は映画『花の応援団』でデビューし、お道の映画『回生の冒険者』では『泉谷しげる』扮する韓国の布教師『崔宰漢』の舎弟の役を『山田隆夫』君と共に熱演している)

 『サスケ』には、ゴキゲンなオリジナル曲が多数あり、『こどもおぢばがえり』のバラエティショーで『サスケ』の『夢が見たけりゃ』という曲をエンディングで使わせて頂いた事もある。当時、『なぎら健壱』から「この曲、俺にくれ」と言われていると苦笑していた。私は姫路に帰ることになり、メンバーを抜けたのですが、数年後、突然私の教会に『サスケ』からハガキが届いた。

 「偶然の事で驚いています。今、亀ちゃんの劇団で頑張っています。亀ちゃんもよろしくと、言っています。」
「 エッ? 何のこと? 亀ちゃんって、いったい誰?」 と思いつつも数年が過ぎていった。後で分かったことだが、亀ちゃんとは、東京にある生都分教会の信者さんで、二十数年程前、天理で『新任分会委員長講習会』を一緒に受講した『亀谷君』の事だった。たしか、彼はその時に、「今、シナリオや脚本の勉強をしている」と話していた事を思い出した。しかし、劇団といってもドサ廻りの小さな劇団だと思いこんでいたが、『亀谷さん』のご両親に詰所で会って話をして驚いた。

 な・なんと今、彼は以前『TBSレコード大賞』で女形の踊りを披露したあの『松井誠』を見出し『誠劇団』を旗揚げして、劇団の社長になっていた。そして、大阪では毎年、『新歌舞伎座』で一ヶ月公演をしているという事だった。 縁というのは不思議なもので、つながる筈のないところで人と人はつながっているようです。人間は難しく、あっちの世界、こっちの世界と、分けたがるものですが、「この世界は、みんなどこかでつながっているし、どこに居ても、何をしていても結局は神様のふところの中で遊んでいるんだなぁ!」 なんて考えながら所用で忙しく車を走らせていると、

 ♪心安らぐゆとりの生活、電話一本叶えます♪
と、ラジオからジャパネットのテーマ曲が流れて来た。

サスケのHPです・・・  http://sasuke.me/


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