私事の毎日をボチボチ、マイペースで綴って行きます。
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2008/03/03(月) 『じろりん』東京に向かう!
  昭和47年、高校卒業式の次の日、夢と希望と熱い思いを乗せて、夜行列車『銀河』は東京に向かっていた。

  そして、兄貴の知り合いの演出家『望野智』先生の紹介で『日生劇場』の大道具となった。

『日生劇場』の大道具時代は、暗い、暗い、穴倉のような生活でした。今となっては『有りがたい経験』だったと思えるのですが、『テレビ』に憧れている、二十歳前の『じろりん』にとっては、余りにも地味でした。

 そんな時、『日本テレビ』が、局のスタジオを使用しながら、未来のタレントを養成するため、錚錚たる講師陣で『総合タレント学院』を立ち上げる。と言う内容の新聞記事があり大変興味を持ちました。

 授業は、演劇理論・お笑い理論・ダンス・殺陣・日本舞踊・メイキャップ・声楽etc..で、私の思いにピッタリの内容でした。しかし、問題が一つありました。それは夜間の授業だと言う事でした。

 劇場の仕事は、殆ど夜間が多く障害になっておりましたが、『じろりん』の強い思いを大道具の親方に相談すると、昼間は『日生劇場』と同じ俳優座美術部の『NETテレビ』(現・テレビ朝日)の大道具として働いて、忙しい仕込みの日だけ、劇場を手伝うと言う便宜を図って下さいました。

 この『日本テレビ総合タレント学院』で、思いを同じくする多くの仲間に出会えた事は、その頃、東京に出て来たばかりの『じろりん』にとって、大いに心の支えになったように思います。

 ここの出身者で、今でもかなり業界で活躍している人が多くいるようです。後輩にはタレントの『三宅裕司』がいます。

2008/03/01(土) 『清川虹子』さんに連れて行ってもらった、『打ち上げ』
初舞台の『新宿コマ劇場』は『菊地剣友会』の一員として、出演させて頂きました。

剣友会では、斬られて水に落ちたり、高い所から転げ落ちたり、トンボ(宙返り)が出来る人はギャラが高いと聞いておました。(その頃は、スタントマンという職業は、まだ無かったのです。)

年配の先輩にトンボきりの『しんちゃん』というオジサンがいました。

新宿コマ劇場で、今は亡き『江利チエミ』さんが『清川虹子』さんの楽屋見舞いに来られた時。その『しんちゃん』に、「あら!しんちゃん、久しぶり・・」と言って、親しげに挨拶をされていました。

私は、「このオッサンすごい人だなぁ!こんなスターと気楽に挨拶が出来るなんて・・・」と、驚きと共に見直しました。

一ヶ月公演の千秋楽が終わって、主な出演者を『清川虹子』さんが打ち上げに連れて行って下さいました。場所は忘れましたが、『ドンキホーテ』という店でした。生まれて初めてそんな店に行きました。(どんな店か?舞い上がっていて、ちゃんとした記憶がない・汗・)

覚えている事は、
〇ジュータンが敷き詰めてあった事、そして靴を脱いで入った事。
〇そこへ『タコ八郎』さんが「皆さん、お疲れさまでした。」と挨拶に来られた事。
〇ピアノの弾き語りがあった事。
〇どなたか歌われる人いませんか?と言われて『九ちゃんの歌』を歌った事です。(その頃、世間にはカラオケはまだ無く、人前で歌う事はかなり勇気がいりました。)

この時、こんな所に身を置いている『じろりん』は、いっぱしの芸能人になったような錯覚に陥っておりました。上京して二年程すぎた頃の大いなる『勘違い』の二十歳でした。


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