私事の毎日をボチボチ、マイペースで綴って行きます。
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2008/04/05(土) 俳優・『井之上隆志』
平成16年、二十数年ぶりに再会した『井之上』君はたくましく、立派な役者になっていた。会って話すうちに、懐かしい思い出のシーンが次々とよみがえってきた。私より七歳年下の彼は当時十九歳だった。

サラリーマンをやめて右も左もわからないままこの世界へ飛び込んで来たところだった。ちょっとばかり、先輩の私をいつも、頼りにしていてくれた。

先日の姫路公演で市民会館の楽屋を訪ねた時も同室の役者さんに「私の恩人です」と紹介してくれた。二十数年ぶりに彼に会って、開口一番聞いたことは「役者だけで食っていけてる?」すると、彼は「はい、今はなんとか食っています」それはよかったなァと、心から思った。考えてみれば、二十数年もこの道一条に通っているのだから当たり前の事だなァ・・と後になって気がついた。

そういえば、私が芸能界を辞めて道一条になった頃、彼が姫路まで訪ねて来てくれた事があった。その頃、毎日行っていた神名流し(駅前での布教)に付いて来てくれた。駅前での路傍講演ではハッピを着て堂々と「天理王命」の旗を持ってくれた。その後、大教会に参拝した事も思い出した。

それから二十数年間まったく連絡はなかった。引越しの時、住所録を無くした事と、忙しくなった事が原因だったそうだ。彼が、東京で活躍している事はまったく知らなかった。インターネットで『井之上隆志』を検索してみた。舞台、テレビ、映画でも活躍しているし、CMや声優としても頑張っている。

ドラマの『ラブジェネレーション』ではキムタクとも共演していた。まだまだ、東京ローカルなところもありますが、『井之上隆志』是非注目していてくださいね。

彼と再会して、約束した事が一つあります。それは「私は七十歳になったら再デビューする」ということだ。「その時は、一緒にやりましょう・・・!」と、彼が言った。

「あと二十年か」約束したからには、やるしかないな。

(この写真は井之上君の初舞台の稽古場での一枚・中央のサングラスの髭がじろりん・隣が井之上君)

2008/04/02(水) 『いかりや長介』さんのオナラ?
 数年前、私の留守中に突然電話が入ったと娘が伝言してくれた。

「こんにちは、東京でジローさんに大変お世話になった井之上です。今日、明日と姫路で演劇の公演がありますので、是非見に来て欲しいんですが・・・」
 インターネットで必死に私の教会を探して、あちこち聞きまわって電話番号がわかったらしい・・・。

 俳優の『井之上隆志』君だった。(東京にいた時、私の後をいつも金魚のフンみたいに付いて来ていた。私も何故か彼を放っておけなくて、あちこちいつも連れまわしていた)
 
次の日、私もちょうど時間があったので、市民会館へ見に行くことにした。客席は超満員で、彼は女優の『山口果林』さんと夫婦役でインテリの老人役を好演していた。

 久しぶりに演劇を見て、私は感激してガラにもなく涙が出てきた。『井之上』君は、明日が移動日で今夜は時間があるという事なので、我が教会へ来て頂いて、一緒に食事をした。

 二十数年ぶりの再会で、今では彼の方がはるかに私の芸歴を超えてしまっている。話すうちに、昔のなつかしい出来事が次々と思い出され、二十数年前にタイムスリップをしてしまったかのように芝居談議に花が咲いた。

 彼は東京でもっともチケットが取りにくいと言われていた(今は解散している)『劇団カクスコ』に所属していた。劇団の最終公演では会場に入りきれないファンの人の為に別の会場でモニター中継をしたそうである。

 テレビ、映画にもちょくちょく出ているようで、スピルバーグ監督の映画では香港で十日間程毎日ギャラとは別にこづかいをもらいながら一流ホテルに泊まって撮影したそうです。

 私が最近作った『じろりんCD』と『じろりん日記』の話題になり、是非読みたいと言うので日記の記事を読んでもらった。「へぇー」と感心しきりだった。

 いきなり彼が「そういえば、『いかりや長介』さんが亡くなったね」と、言った。
「そうなんや、実はいかりや長介のさんの事を『じろりん日記』に書きたいのやけど、僕は一度も会ったことがないんや」

 すると彼が「僕は一度会ったよ!仲間と新橋の劇場に芝居を見に行った時に、トイレでたまたま隣同士になったんだ」
 彼が続けて「何を思ったかその最中に、僕のお尻からオナラが出てしまったんだ」
 それから仲間のところへ帰ってからみんなに、おトイレでいかりや長介さんに会った事や、オナラの事を話したそうです。すると、みんながどう聞き間違えたのかいつしか、『いかりや長介』さんがオナラをした、という話に変わってしまっていたらしんです。

「そういえばあの時すでにかなり痩せていたなぁー」と思い出すとともに「オナラの一件」の濡れ衣をきたまま、亡くなられたのでは本当に申し訳ないと真剣に後悔していた。

 その後、ギターを取り出して夜遅くまで歌を唄ったり、これからの事を語り合ったり楽しいひとときを過ごした。

 いつの間にか夜の十一時がまわり、『まゆ子』の運転でホテルまで送って行った。
 別れぎわに彼が「ステキな娘さんと可愛い奥さんですね」と言った。

「そうでしょう!実は僕もそう思っています。今度、教会が新しくなったら、井之上君も是非奥さんと一緒に来て下さい!」

「ありがとう、では又」と言って別れた。後で『井之上隆志』をインターネットで検索してみた。そこには、私の想像していた以上にこの世界では有名人になっている『井之上隆志』君の姿があった。私はあらためて驚いた。 

2008/04/01(火) スタジオで『桂おかる』がライオンに噛まれた!
むかし、NETテレビ(現・テレビ朝日)で、『いたずらカメラだ!大成功』という番組があった。

構成作家の『緑川崇久』さんから頼まれ、ヤラセでだまされることとなった。私の設定は歌手の『西崎みどりさん』の学生ファンで、会いたくて上京したが、賭場に迷い込んでスッカラカンにされる、という筋書きだった。

ヤラセというのは、要するにウソである。本当にウソをつくのはイヤな思い出が残るものです。

この番組の司会をされていたのが『桂三枝さん』でした。ロケ収録も終わりスタジオでの本番リハーサルで『桂三枝』さんと初めて会った時、気軽に声を掛けて下さいました。

三 枝  「君は学生かい?」
じろりん  「ハイ!」
三 枝  「学年は?」
じろりん  「三回生です。」
三 枝  「ははん!関西やね、甲南か?関学か?」
じろりん  「イヤ、あの、色いろありまして・・(しどろもどろ)」
三 枝  「なんやそれは・・・」 
と言って、会話が途切れてしまいました。

多分、三枝さんは「これはヤラセだな」と気がついたのでしょう。本当に人を騙す番組は、よくないと、つくづく思いました。『新婚さん!いらっしゃい』で、三枝さんの顔を見るたび、この場景を思い出します。

今でも、よく似た番組がありますが、暖かい気持ちにさせてくれる『ドッキリ』はいいですが、只、笑いをとるだけの『ドッキリ』は、止めてもらいたいですね。

そういえば、この番組で『桂おかる』という芸人が、騙されてライオンの檻の中に入れられて、噛まれるという事故が、たまたまスタジオ見学をしていた私の目の前であったことも忘れられない一コマです。

どうか皆さん、人を騙すことなく、また自分を騙すことなく生きて行きたいものですね、これは『じろりん』の願いであり、反省でもあります。


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