私事の毎日をボチボチ、マイペースで綴って行きます。
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2008/08/04(月) 『鼠先輩』って何?

  今、『鼠先輩』という演歌歌手の『♪六本木』(「ぎろっぽん」と読む)という歌が流行っている。岡山県出身で三十五歳になる新人歌手である。彼にとっては、十五年間の下積みで、やっと手にしたチャンスであります。

  東京には、彼のように芸能界にあこがれ夢を追い続けている人は多い。新宿の街で石を投げるとタレントに当たる、と言われる程、夢を追って東京で暮らしている人は多い。その中で、本職のタレントだけで食っている人は『一握り』と云われていますが、現実は『一つまみ』の人だけなのです。

  その『一つまみ』に選ばれた人であっても、今ある番組や舞台が終わってしまうと、たちまち失業者になってしまうのが現実で、幾つになっても『夢を追う』という事は、良い事だし、大事なことですが、同時にいつまでも故郷の親に心配をかけている事でもあるのです。

  高校を卒業してから十年、東京で暮らしましたが、たまに故郷の親から小包が届くことがありました。インスタントラーメンやボンカレー、下着など親心あふれる品物が入っていました。

よく親に心配をかけ、親不孝をすると、指にササクレが出来ると言いますが、伝説のフォークデュオ『サスケ』の歌う『♪届いたみかん』という歌は、故郷から『届いたみかん』が、親不孝な指のササクレに沁みるという歌です。

最近、『♪千の風になって』や『♪吾亦紅(われもこう)』という歌が人の心に響いていますが、どちらも、『お墓参り』を題材にしています。『♪届いたみかん』も、歳をとって『親知らず』(奥歯)が痛み出し、ふと親を思い、久しぶりにお墓参りに出かけるという歌詞が入っています。

 東京で二十数年ぶりに会った『サスケ』達が言いました。「『じろりん』は、いいよな、故郷に帰れたから・・・俺たち(五十歳を過ぎて)今更、帰る訳には、いかないよ。ここ(東京)で頑張り続けるしかないんだ・・・」と言った言葉が、妙に心の片隅に残りました。

 東京で活躍中の『鼠先輩』も『六本木』より、故郷の『岡山』を大切にしてもらいたいと思います。
因みに『じろりん』はインターネットの『You Tube』で『鼠先輩』の『♪六本木』を歌っています。カウント数も増え上々の人気です。(『姫路のじろりん』で検索して見て下さい。)

2008/08/01(金) 『榎本明』さんと、楽屋ですれちがったのだ!
 志村けんとのコントやドラマ等で、とぼけた良い味を出している『榎本明』さんは、『東京乾電池』という劇団の人でした。

 私が『榎本明』さんに最初に会ったのは、『渋谷ジャンジャン』というライブ劇場の楽屋口で、その日劇団『東京乾電池』の最終公演が終わり、セッセセッセと小道具を運び出しているオッサンがいました。それが『榎本明』さんだったのです。

  実はその次の日、私が出演する『エルビスプレスリー・フォーシーズン』という芝居が同じ劇場であり、楽屋の入れ替わりの為にすれ違ったのです。声を交わすことはなかったのですが、何か強い印象が残りました。

 それから暫くして、例の『桂オカルがライオンに噛まれる事件』があったテレビ朝日のスタジオで『榎本明』や『ベンガル』等の『東京乾電池』のメンバーと再会したのです。彼らは『いたずらカメラ』の仕掛け人として登場していました。

 その後、『東京乾電池』の芝居が評判になり、一度見ておこうと劇場に行った時に、たまたま来ていた『三宅裕司』とも再会したのです。それは本当に面白い舞台で、演技なのか地なのか分からないぐらいで自然に笑ってしまい、『じろりん』との実力の差を、まざまざと見せつけられ、『三宅裕司』も絶賛していました。

  そこには、阿呆でとぼけたオッサンの『榎本明』そのものが存在するばかりで、もう「まいった!」としか言いようのない芝居でした。

  教祖のお言葉で、「阿呆は神の望みや!」「阿呆に手柄さそう!」というのがありますが、阿呆になりきることは難しいことです。藤山寛美さんもそうでしたが、その見事な阿呆ぶりは、演技とはいえ、もしかして『神の望み』に合致していたのでしょうか?その後、映画、ドラマ、バラエティと大活躍されるのです。

  今、しみじみ思い返すと「私は阿呆に成りきれない高慢野郎だったなぁ!」と『榎本明』さんを見て、つくづく反省するばかりです。


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