私事の毎日をボチボチ、マイペースで綴って行きます。
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最新の絵日記ダイジェスト
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2009/10/25(日) 前座ライブ
生野詰所で行われた、『ようこそおかえり講話』の前座として、約30分間、歌わせてもらいました。

皆さんに喜んで頂きました。写真がうまく撮れませんでしたので、チラシを貼りますね・・・

2009/10/24(土) ファイターズwithじろりんライブ
兵庫県西脇市にある、宇仁大教会の「昇級40周年記念祭」に教区のバンド「ファイターズ」と共に招かれ、司会をして後、3曲歌いました。

2009/10/23(金) 座右のおふでさき
先日、道友社のKさんからTELがあり、天理時報の『座右のおふでさき』というコラムの原稿を依頼された。

思いつくままに、書いてメールで送った。文字数が多くなってしまっていたので、加筆・訂正をして10月25日号の時報に掲載して下さった。

元の原稿を、ここに掲載します。

「座右のおふでさき

このたすけ百十五才定命と
定めつけたい神の一条    三・100

高校の卒業式の次の日、子供の頃からあこがれていた芸能人になるため、夢と希望をいっぱい乗せた夜行列車は東京へと向かっていた。
「生き馬の目を抜く」と言われる東京、「でも私には親神様がついていて下さる。」と思えば、何の不安もなく、三年たてば大スターと、信じて疑わなかった。

日生劇場の大道具を皮切りに、新宿コマ劇場での大部屋、浅草松竹演芸場の軽演劇、コント・漫才コンビ、テレビアシスタントと、いろいろ経験したが、スターという扉はあまりにも大きく重たかった。

そして十年、会長を兄貴に譲ってから、夫婦で布教に出ていた親父が「もう一箇所、教会を持つ。」と大教会長さんと約束し、心定めをしてから間もなく出直してしまった。

私とは関係のない心定めであったが、一人残された母親の姿を見たとき涙がボロボロとこぼれてきた。「自分の思いや都合を全て捨てて、姫路へ帰ろう。」と決心をした。もう二度と東京へ来ることもないだろうと、未練も後ろ髪も捨てて帰って来た。

昔の仲間がテレビで活躍する姿を見ても自分とは関係の無い世界と、見て見ぬふりをしていた。

五十歳を過ぎた頃、東京時代の後輩役者・井之上隆志君が教会へ会いに来てくれた。「ジローさん、又やりましょうよ!」という言葉を聞いて、「わかった、七十歳になったら、再デビューするよ。」と半分冗談で約束してしまった。

「四十・五十は鼻たれ小僧、六十・七十は花ならつぼみ、八十・九十働き盛り」という言葉があります。

今、ギター片手に老人施設・拘置所・地域のイベント等で歌って喜んで頂いている。定命の百十五歳まで生き生きと、現役の用木として陽気を振りまいて行きたい。」

2009/10/20(火) ディサービスで歌う。
姫路市市川台の共立病院のディサービスで歌いました。

ブルースハープでも2曲挑戦しました。約1時間40分お付き合い頂き、有難うございました。

2009/10/17(土) 加藤和彦さんが62歳という若さで
元・ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦さんが62歳という若さで、命を絶たれた。
私たちの年代でフォークをやっている者にとっては神様みたいな存在であった。

2009/10/15(木) じろりんライブ
クラッシクギター講師の『池田新樹』さんが自身のブログに先日の『じろりんライブ』の画像を貼って下さっていました。

2009/10/12(月) パク ジュニョン ファンクラブ
赤穂の観光大使になった、パク ジュニョン君と言う韓国の歌手のファンクラブの方が来られ、色々と相談を受けた。

元々、ザストーリーという4人組みのグループだったが、今は一人で活動されているのだそうだ。とっても乗りのよい曲で、親しみやすさを感じた。

http://www.geocities.jp/thestorykorea/

今度、12月13日に赤穂市文化会館ハーモニーホールでコンサートをされます。

2009/10/11(日) 城陽秋まつり
姫路市の城陽地区の秋まつり、五町による屋台ねりがあり、

今年も、進行役を仰せつかり、何とか無事におわりました。

今回の衆議院選で当選した『松本たけあき』先生も来られ、一緒に写真をとりました。記念の一枚です。

2009/10/04(日) 手柄山イベント
今日、姫路の手柄山でイベントがありました。

炎天下の中、大勢の人がこられ、多くのミュージシャンの演奏を聴くことが出来ました。

2009/10/03(土) ノータリンクラブ会長・『山本素石』先生


東京の劇団『レクラム舎』が『逃げろツチノコ・山本素石伝』を上演したと、天理時報に掲載されていた。『山本素石』先生(〜昭和63年)は大正8年、滋賀県甲南町生まれでノータリンクラブ会長・天理教滋京分教会長・日本渓流釣連盟理事・日本随筆協会会員であった。

「山釣り」、「釣山河」など釣りや自然を舞台にした随筆を数多く手掛けられ、70年代のツチノコブームの火付け役でもあり、渓流釣りの愛好家を中心に今でも根強いファンを持っておられます。

教内では、韓国の布教師を描いた著作『回生の冒険者・崔宰漢』があり、『じろりん』は、その出版記念で先生の講演を聞き、大変興味を持ちました。後に『泉谷しげる』主演で映画化もされ、その映画に、知り合いの俳優『深見博』君と『山田隆夫』君が出演していたので、驚きました。

先生の晩年の頃だったと思うのですが、『じろりん』が姫路南支部の青年会委員長をしていた時、総会での記念講演を依頼したら、以前に姫光分教会に来て頂いた事もあり、快く承諾して下さいました。それは、今まで聞いた天理教の先生の話とは一味違い、大変心に残る、興味深い話でした。

総会が終わって、先生をじろりんのポンコツ車で網干から姫路駅へとお送りしました。車中で先生に「最近やっと、自分を無にして、どんな御用でもハイと素直に受けられるようになりました。」と精一杯、背伸びをして自慢げに話をすると、「それは駄目だよ!どんな事も、何が神の望まれる事なのかをよく思案して、自分で責任を持って自分の意志でしっかりと行動することが大切だよ。」と言われました。

今まで積み上げてきた、自分の信仰が否定されたようで、しばらく頭が混乱していましたが、あれから二十数年、先生の言われた真意が、ようやく分かって来たような気がする昨今です。(ちなみに『じろりん』今、五十六歳。)

10月絵日記の続き


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