私事の毎日をボチボチ、マイペースで綴って行きます。
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2009/05/31(日) 姫路護国神社で雅楽
なんと『じろりん』が『東儀秀樹』になって、護国神社の結婚式で奏楽をしました。

素敵な新郎と、とっても可愛い新婦さんでした。じろりんの篳篥(ひちりき)で祝福され、きっと二人は幸せになることでしょう。

2009/05/25(月) ライブの余韻
昨日の打ち上げは、食べきれない程のご馳走が並び、『じろりん邸』が足の踏み場も無いくらい、大勢来てくださった。

遠い人から、段々と帰って行かれ、最後は家族とサスケだけになった。そして12時を過ぎるまで、熱く語り合った。

明けて今日は、夜まで予定はない。サスケは次のライブの稽古や作曲した曲の編集と、やる事は限りなくある。

ひと段落して、湯ったりハウスという風呂屋で、のんびりした。

今日、毎日新聞に昨日のライブの記事が載っていた。何か有り難くてしかたがない。

サスケはもっとゆっくり姫路に居たい、と言っていたが、次の予定もあり、家族全員で別れを惜しんだ。

バスでは、乗務員の人に、写メを頼まれたそうだ。

又、来月27日『川まつり』で会いましょう・・・じろりんでした。。

2009/05/24(日) サスケ・城陽公民館ライブ
朝、じろりんの携帯に「今日のライブの会場の公民館はどこですか?」と電話があった。

丁寧に説明をした後で、「どこでチラシを見たのですか?」と聞くと、「新聞で見ました。」と言われ驚いた。

昨日の姫路駅前でのストリートライブが、今朝の神戸新聞に早速、「姫路にハッピーを届けたい」というタイトルと共に掲載されたらしい。めっちゃ嬉しい気分になった。

公民館で朝から準備をしていると、「新聞で見たよ」と次々と声を掛けて下さる人がいた。

パイプイスを100余り並べた。サスケが「ちょっと多すぎないか?」と言ったが、何人来られるか、分からないので、とにかく、そのまま100余りのイスを残した。

開演が近づくと、次々と人が来られた。あの人の顔も、この人の顔もある。有り難い。

100の席が埋まって、立ち見もでた。有り余る拍手を頂き、感激の内にライブは終わった。

どこで聞かれたのか、毎日新聞の女性記者Tさんが、カメラ片手に取材に来て下さった。本当に有り難かった。

当日の模様は、音響を手伝って下さった、前田さんのHPでみれますよ・・・


http://www.eonet.ne.jp/~seigo/index.html

2009/05/23(土) サスケ姫路上陸
今朝、サスケが姫路に来た。
昨夜、遅くまでルークという歌手のレコーディングがあったそうで、かなり疲れた表情だった。

「じろりんの顔を見て、元気になったよ。」と嬉しい事を言ってくれた。

散髪をして、姫路のドンキホーテに買い物に行って、店の外でタバコを吸っていると、何か周りが騒がしくなって来た。

「テレビに出ている人じゃないの・・・」と人が寄ってきた。

じろりんが、「アリコのCMにでている、サスケだよ。一緒に写真をとる?」と言うと、みんな喜んで、次々とシャッターを切っていた。

夕方は、姫路の山陽百貨店の前で、ストリートライブをやった。
音響的にマイクもないので、大変だったけれど、姫路にハッピーを届けようと、リクエストにも答えながらオリジナル曲を中心に歌ったよ。

2009/05/22(金) ストリートライブ
5月23日の夕方、姫路の山陽デパート前でストリートライブをしました。
5月24日の神戸新聞に取り上げられました。

2009/05/10(日) 神戸新聞に載ったよ!
今朝、川まつり準備の飲み物を届けに行ったら、「今日の新聞に写真入りで、大きな記事がでているよ・・・」と教えて下さった。

どんな記事か楽しみだったけれど、うちは、新聞を取っていないので、確認出来ないでいた。

すると、用事で行った先へ、知り合いが新聞の記事を持って来て下さった。

さすがに記者さんだわ・・・私の話をコンパクトにうまくまとめて下さっていた。

じろりん感激・・・・!

2009/05/06(水) バーベキュー
心配していた空模様も、大丈夫でした。

仲間とバーベキューで楽しみました。

ギターを持って行って歌いましたが、みんな食べる方が忙しくて・・・でした。

とっても楽しい一日でした。

2009/05/03(日) 『じろりん』家出する・の巻
 大阪で万国博覧会が開催されていた昭和四十五年七月、高校二年生の『じろりん』は家出をして東京へ向かっていた。

 東京に憧れ、芸能界を目指していた『じろりん』は、芸能人になるためには一刻も早く家出をしないといけないと思い込んでいた。その頃の芸能雑誌に書かれている芸能人の成功物語は、必ず家出から始まっていたからだ。

 その朝、学校に自転車を置き姫路駅へと向かう。そして一区間だけの切符と東京の地図だけを持って、とにかく東へ向かう列車に乗った。サイフには千円札が五枚入っているだけだった。

時間が経つにつれ、学校では大騒ぎになっているだろうか・・家族は心配して捜索願いを出したのでは、ないだろうか・・と思いだした。目の前に座っている人が警察官に見えたりもしたが、これから始まる『じろりん・スター誕生』物語の前には、そんな騒ぎも心配も小さな一過性の出来事である筈であった。

乗り継ぎ、乗り継ぎの鈍行列車が東京駅に着いた時には、もう夜になっていた。私の夢ストーリーで出会う筈だった、『じろりん』の才能を見出す大手プロダクションの人とも、テレビ局の有名プロデューサーとも、東京までの道中ではめぐり合えなかった。

山手線の繁華な駅で降りる勇気もなく、『目白』という地味な駅で降りた。夜中に当ても無く歩き回るのも変なので、真っ暗な野球グランドで一夜を過ごした。見渡すと家々の団欒の明かりが目に入り、急に家が恋しくなって来てしまった。

「これは出直すしかない。」次の朝、始発で帰る決断をした(早!)・・・姫路に帰ると、家も学校も大騒ぎをしていた。

次の日、学校へ行くと校長室へ呼び出された。校長先生に自分の夢を語り、「うちは天理教の教会で、『十五歳までは親のさんげ、それから先は銘々のさんげ』という教えがあります。私は十七歳ですから、親はもう心配しないと思っていました。」と言うと、「私は宗教的な事は分からないけれど、八十歳になる親が、六十歳になる子供の事が心配でアレコレ注意をしているという話があるよ。幾つになっても親は子供を心配するものだよ。」と聞かせて下さった。

この出来事で分かったことは、親はいつも子供の事を思って心配するものだ、という事と、五千円では東京で生活するのは難しいという事だった。

それから一年半、上京の為に新聞配達で資金を貯め、今度は就職先も決まり準備万端整え、卒業式の次の日(昭和五十七年二月二十六日)、夢と希望を乗せた夜行列車は『じろりん』を再び東京へと運んでいた。

↓ 高校3年の東高祭でブラバンの仲間とジャズを演奏しています。


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