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2009/05/03(日)
『じろりん』家出する・の巻
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大阪で万国博覧会が開催されていた昭和四十五年七月、高校二年生の『じろりん』は家出をして東京へ向かっていた。
東京に憧れ、芸能界を目指していた『じろりん』は、芸能人になるためには一刻も早く家出をしないといけないと思い込んでいた。その頃の芸能雑誌に書かれている芸能人の成功物語は、必ず家出から始まっていたからだ。
その朝、学校に自転車を置き姫路駅へと向かう。そして一区間だけの切符と東京の地図だけを持って、とにかく東へ向かう列車に乗った。サイフには千円札が五枚入っているだけだった。
時間が経つにつれ、学校では大騒ぎになっているだろうか・・家族は心配して捜索願いを出したのでは、ないだろうか・・と思いだした。目の前に座っている人が警察官に見えたりもしたが、これから始まる『じろりん・スター誕生』物語の前には、そんな騒ぎも心配も小さな一過性の出来事である筈であった。
乗り継ぎ、乗り継ぎの鈍行列車が東京駅に着いた時には、もう夜になっていた。私の夢ストーリーで出会う筈だった、『じろりん』の才能を見出す大手プロダクションの人とも、テレビ局の有名プロデューサーとも、東京までの道中ではめぐり合えなかった。
山手線の繁華な駅で降りる勇気もなく、『目白』という地味な駅で降りた。夜中に当ても無く歩き回るのも変なので、真っ暗な野球グランドで一夜を過ごした。見渡すと家々の団欒の明かりが目に入り、急に家が恋しくなって来てしまった。
「これは出直すしかない。」次の朝、始発で帰る決断をした(早!)・・・姫路に帰ると、家も学校も大騒ぎをしていた。
次の日、学校へ行くと校長室へ呼び出された。校長先生に自分の夢を語り、「うちは天理教の教会で、『十五歳までは親のさんげ、それから先は銘々のさんげ』という教えがあります。私は十七歳ですから、親はもう心配しないと思っていました。」と言うと、「私は宗教的な事は分からないけれど、八十歳になる親が、六十歳になる子供の事が心配でアレコレ注意をしているという話があるよ。幾つになっても親は子供を心配するものだよ。」と聞かせて下さった。
この出来事で分かったことは、親はいつも子供の事を思って心配するものだ、という事と、五千円では東京で生活するのは難しいという事だった。
それから一年半、上京の為に新聞配達で資金を貯め、今度は就職先も決まり準備万端整え、卒業式の次の日(昭和五十七年二月二十六日)、夢と希望を乗せた夜行列車は『じろりん』を再び東京へと運んでいた。
↓ 高校3年の東高祭でブラバンの仲間とジャズを演奏しています。
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