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2010/04/02(金)
谷村新司さんの奥さんの妹
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昭和六十一年、初めておぢばで修養科の教養掛を勤めた時、東京時代コンビを組んで活動していた、小林アトム君(元・劇団四季)が、活動を一時休止して修養科の三期に居りました。そのアトム君が自慢げに一枚の写真を見せてくれたのは、谷村新司さんとのツーショット写真でした。 東京で弾き語りのバイトをしていた時、よく歌っていたアリスは当時、憧れの大スターでしたので「スゲー」と思うばかりでした。その写真のいきさつは後になって判るのです・・・。 天理の『こどもおぢばがえり・バラェティーショー』に初めて出演したのは昭和四十九年で、その頃は音研(音楽研究会)が主催していました。そのメンバーで『やかた管理』に勤務している、松原君(テナーサックス担当・伊那系統?)が加わったのは、南左一棟講堂から天理市民会館に移った頃だったのでしょうか。 当時、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が流行っており、YKO(やかた・管理・オーケストラ)というバンドを仲間とやるような男前の面白い奴でした。その彼が、昭和五十六年『じろりん』が姫路に帰って来るのと入れ替わりに、役者を目指して上京したのです。 平成元年に小林アトム君の結婚式で上京した時、三次会で松原君と再会しました。なんと『じろりん』も世話になっていた、元・宝塚トップスター『眞帆志ぶき』さんの店でアルバイトをしていたのです。 翌日、松原君夫妻に昼食をご馳走して頂きました。話をしていると松原君の妻君は、谷村新司さんの奥さんの妹だと聞いて驚きました。 松原君夫妻の結婚式は東京・原宿にある東中央大教会を借りて挙げられ、谷村新司さんも出席されていたようで、その時にアトム君とのツーショット写真が実現したのだろう。 松原君が、つくづく言っていました、「この世界(芸能界)が、こんなに大変で、しんどい世界だとは思いませんでした・・」と。 あれから二十数年、あの時、ご馳走になったお礼も言っていない。彼は今、どうしているのだろうか・・・。
(じろりんの右手で隠れているのが松原君・天理市民会館でコントをしています。)
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