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2010/06/08(火) <高井直吉先生>


 『高井直吉』先生は天理教教祖から『息の授け』を頂かれた高弟の一人です。江戸時代(文久元年)に生まれ、昭和16年に81歳で出直されましたので、もちろん会ったことも、話したこともありません。



ある会合に、天理外国語学校OBで某会社の特別顧問をしておられる『上田一男』さん、という男性が来られ話をする機会がありました。年齢は、93歳でロングライフ企画の代表もされるなど、今も現役で活躍されています。



『上田一男』さんは、学生時代、最初は柔道部、次に弁論部に所属されていて、二代真柱さんの柔道の相手をされた経験もあるそうです。当時の天理時報で「奈良少年刑務所へ桜井大教会の富松先生が始めて教誨師として話をしに行かれた。」という記事を読んだ時には、自分も講演をさせてもらおうとハッピ姿で、いきなり訪ねて行ってお願いをしたそうです。 



最初は刑務所長さんに断られましたが、しつこく「3分だけでも話をさせて下さい。もし話がつまらなかったら手を上げて下さい、そしたら、すぐに止めて帰ります。もう二度と来ません。でも、もし手が上がらなかったら最後まで話を続けますが、よろしいですか?」と頼むと、「しょうがないなぁ・・本当に手を上げたら止めろよ!」と、条件付で許可をされ、1600人の受刑者の前で講演をされたそうです。(結局、手は上がりませんでしたので1時間ほど講演されました。)



会場の講堂は畳敷きで最初は、あぐらをかいたり、寝転がったりしていた受刑者達が段々正座に変わり、最後には総立ちになって涙を流して拍手をしてくれたそうです。 



終わって、所長さんから「毎週、日曜日に来てくれ。」と頼まれ、その後、あちこちの刑務所にも行くようになったそうです。「どんな話をしたのですか?」と聞くと、「刑務所に入って、辛い思いをして困っているのは、自分だけだと思っているだろうが、親や兄弟の方がもっと辛い恥ずかしい思いをしているのですよ・・・・」と言うような話をした、と言われました。



当時、陸上部に居られた『高井直吉』先生の孫にあたる『ふみゑ』さんと出会い、学生結婚をされました。奥様の『ふみゑ』さんも、現在91歳で、お元気だそうです。



陸上部時代の『ふみゑ』さんは、お転婆で『高井直吉』先生から、「女が足を掘り出して走り回るのは、はしたない。」と怒られていたそうです。『上田一男』さんが、結婚の申し込みに行かれた時には、大反対されたそうで、3日間通ってやっとお許しを頂かれました。昭和13年のことで、『ふみゑ』さんが、20歳の時でした。(お姉さんは、岐美大教会に嫁がれた、石原つるゑさんです。)



字の読めない『高井直吉』先生が、何故か忠臣蔵の全巻を持っておられ、小学校に入りたての『ふみゑ』さんに読んでもらうのを楽しみにしておられたようです。でも『ふみゑ』さんは、まだ漢字が読めないので、とばして平仮名だけしか読んでいないのに、先生は大いに満足して喜んで聞いておられたそうです。



『高井直吉』先生は81歳まで長生きされ『おいきの紙』をつくられておりました。



93歳の『上田一男』さんに、『元気で長生きの秘訣』を聞くと、「『もう・・』という言葉を言わない。『まだまだ・・』という気持ちで居ることですよ。」と言われました。本当に元気で魅力一杯の方でした。


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