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2011/09/27(火) 東京新聞に・・・・出た!
サスケからメールが来た。
東京新聞に出るから見てくれ・・・と・・・
「姫路では売っていない」と、諦めていたら、ネットに記事が出ていた。


http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011092602000020.html

高田の一本松 希望込め歌に


2011年9月26日 朝刊



 東日本大震災の津波被害を受け、岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」で一本だけ残った松をテーマに、被災地に思いを寄せる作詞家と作曲家が歌を作った。津波で妹を亡くした東京都新宿区の作詞家藤公之介さん(70)と、公演中に被災した神奈川県の双子のシンガー・ソングライター、サスケ。「生きてりゃいいこと きっとある」と、被災者へのメッセージを込めた。 (松村裕子)

 タイトルは「高田の一本松」で、四番まである。七万本の中で一本だけ残った悲哀に始まり、京都五山送り火をめぐる騒動も盛り込みながら、いつか元の松原に戻る夢を託す。フォーク調で、哀愁の中に希望への思いが余韻として漂う。

 藤さんは宮城県塩釜市の出身で、同県石巻市にいた妹夫婦を津波で亡くした。七月に葬儀のため石巻市に出掛けたが、「石巻はがれきだらけで、一本の松さえない。陸前高田で一本でも残ったのは素晴らしい」と帰路に歌作りの決意を固めた。

 「生きてりゃいいこと きっとある」は最も伝えたい思い。「被災者に『未来があるよ』と言いたい。復興につなげたい」と話す。

 「がんばらなくていい そのままそこで あるがまま」のフレーズとともに、自殺予防も訴える。せっかく生き延びた被災者の自殺が絶えない現状に「犠牲者の後を追わないで。生きて花を咲かせて」と願う。「全国に届けたい」と著名な歌手に歌ってもらう交渉を進める。

 以前から藤さんの詩に曲をつけていたサスケに作曲を依頼。サスケこと大垣勝正さん、隆正さん(56)兄弟は岩手県一関市で公演中に地震に遭い、四日間、誰とも連絡をとれないまま部屋で待機を余儀なくされた。詩を受け取ったとき、人ごととは思えず、お盆に先祖に線香をあげながら考えたら数分で曲が浮かんできたという。

 サスケは、再び衰弱が伝えられる松に「歌を届けたい。元気になってほしい」。同時に「被災地での復興ライブで歌いたい。『頑張れ』と言うよりやさしく励ましたい」と、震災時に出会った人々へ思いをはせている。

(藤さん(右)の前で「高田の一本松」を歌うサスケ=東京都新宿区で )


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