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2006/02/13(月)
球界の紳士
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今月9日に巨人の元監督、藤田さんが亡くなった。 オイラが野球を見始めた頃の巨人の監督が藤田さんだったからイメージとしては藤田監督かな。 現役時代は知らんから。 仰木さんにしてもそうだけど、小さい頃から見てきた人が亡くなっていくのは寂しいものです。
もっとも熱狂して野球を見ていた頃の巨人の監督で唯一、生え抜きを大事にしつつ選手をちゃんと育てながら優勝した名監督…名将だ。 オイラの中では、最高の名監督中の名監督だった。 この当時の選手たちはこの人から非常に多くの事を学んできたと思う。 斎藤正樹は藤田監督が育てた。いい球を投げながらピンチになると弱気になりガラスの心臓と呼ばれ、打者転向の噂も出ていた斎藤を投げつづけさせ、ピンチになっても替えなかった。 ある試合、やはりピンチを招いて、解説者も「交代でしょう。」と言ってる中、平然と続投させた。 「これは考えられません。どうかしてる」と解説者。が、斎藤はピンチを切り抜けて完投勝利を挙げた。 以後、斎藤は殆ど打たれなくなった。巨人の大エースとなり、優勝に貢献した。これ以後、ピンチになると斎藤はど真中に投げるようになった気がする。 あの試合で何かを掴んだんだと思う。斎藤だけではない。藤田監督に恩を感じている選手はたくさんいるはずだ。 一番印象に残ったのは1983年の日本シリーズ。 親友でありライバルであった広岡との直接対決、巨人−西武戦。 オイラが見た日本シリーズの中で、一番興奮と感動を覚えたシリーズだ。 首脳陣は、巨人が藤田監督・王助監督・牧野ヘッドコーチ(故人)で、西武は広岡監督・森バッテリーコーチ・与那嶺バッティングコーチとまるで、巨人OBを真っ二つに割ったような陣容だった。 この、シリーズではいろんな意味で最高の野球を見せてもらった。野球観戦が単なるスポーツ観戦じゃなかった。 オイラも、藤田さんに野球の面白さや微妙な駆け引きを教わった気がする。
今監督をしているのは、原に落合・岡田・伊藤勤…他にも今年からの古田などなどオイラが現役時代を知っている人たちばかり。 こうやって人は年をとっていくんだなぁと思う今日この頃ですわ。
藤田元司さんのご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
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