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2009/05/22(金) その7
 

2009/05/21(木) その6
 

2009/05/20(水) その5
 屋根の端まで駆け寄ると、なんとか縁に掴まり、そこに留まっている女性の姿が見えた。とはいえ、あの細腕ではとても自力で屋根の上まで上がれるとは思えない。シェローロが急いで近寄り手を伸ばすと、女性は怯えたように身を竦め、その拍子に彼女の片方の手が屋根の縁から滑り外れる。
「何もしない。今助ける。じっとしていることだ」
 彼女が何か言っているようだったが、ちょうど夜風の音が反響し、シェローロには聞こえなかった。落ちないように怪我をした方の腕で窓側の小屋根に掴まり、有無を言わさず彼女の腕を掴んだ時、その手首の細さになんとも言えない感覚を覚えたが、構わず引き上げる。肩の痛みもなんのその、女性はあまりにも軽く、一瞬『実は彼女は人間ではなく、天使や妖精の類なのではないか』などとお花畑な考えをシェローロは抱いた。勿論そんな筈はない。女性が屋根に上ったのを確認してから手を離す。仮に彼女がプロの暗殺者ならこれは相当の不覚だ。すぐに逃げてしまうのではないかと思ったが、そんなシェローロの意に反して、彼女は膝を抱えて屋根の上に座り込み、じっとしている。
「何だ、怪我でもしたか」
 隣で見下ろしたまま声を掛けると、相手は顔を上げ、シェローロの方を見た。月明かりが彼女を照らし、相変わらず輝くような美しさだったが、その表情は何か思い詰めている様子である。
「いいえ。おかげ様で」
 その声は可愛らしかったが、若干震えているようでもあり、皮肉めいた響きを持って聞こえる。
「それは良かった。私を屋根の上まで呼び出しておいて、転落死されては困るからな」
「?」
 彼女が首を傾げたが、シェローロは構わず畳み掛けた。
「話の続きだ。貴女がわざわざ預けに来た物を返す前に、今晩のことと、前回私を刺したりしたこと、一体どういう事情があるのか説明してもらおうか。私を試そうとでもしていたのか?」
「試す……?」
「例えば――貴女が危険な目に遭った時に私が助けるかどうかを試していた、とか」
「いいえ、なんのお話かしら?」
「いやなんでもない」
 妄想は程々にすべきである。シェローロは軽く咳払いした。女性の方は依然として不可解な様子で、怪訝な顔をしながらも、控えめに口を開いた。
「私からもお聞きしたいことがありますわ。今宵、私がここに来る事を一体どなたから聞いたのでしょう?」
「?」
 自分からそこら辺の子供に言付けさせておいて、誰から聞いたかって? 頭に疑問符を飛ばすシェローロ。しかし女性の方も色々と疑問があるようで、彼に対して詰め寄る。
「貴方自身が屋根まで上って来られるということは、他にいつでも人を呼べるようにしているのでしょう? 私を捕らえるつもりなのでしょうけれど……その情報はどこから?」
 いつの間にか階下が騒がしい。シェローロが部屋から抜け出したのがバレて、使用人が探し回っているのだろう。それが女性には、忍び込んだのがバレて包囲されているように感じられたようである。対するシェローロはというと、単に何も考えずホイホイ屋根に上がっただけだった。それはそうと、他にも行き違いがあるような気がする。
「女性が屋根で私を待っていると、わざわざ見知らぬ子供が伝えに来たのだ。貴女が言付けたのだろう?」
「そのような嘘は信じませんわ。言いたくないのなら、無理矢理聞き出しましょうか」
「わざわざ嘘など言う筈がないだろう! 一体どうなっているんだ!!」
「シェローロさまー、居たら返事をしてください。どこへ行ったのですかー? 朝御飯を抜きますよー」
 シェローロが大きな声を出した次の瞬間、彼が屋根に上るときに使った屋根裏の窓が開く音がして、屋根に別の声が響いた。明らかにいつものメードである。夕方の行動を不審に思われていたのか、ここまで探しに来たのだろう。咄嗟に素早く伏せ、屋根の反対側に隠れるシェローロ。女性も驚いたのか逃げようとするが、階下と庭は使用人が走り回っている。うろたえた様子を見せる女性に、屋根の陰から、小さめの声でシェローロが言った。
「伏せろ。物音を立てるな」
仕方なくシェローロの隣に隠れる女性。いつになく本気で気配を虐殺しまくっているシェローロ。メードはしばらく屋根に向かって声を掛けていたが、ここにはいないと判断したのか、やがて屋根裏部屋から降りて行ったようだった。
「……」
「……」
「……行ったようだな」
 ふーっ、と息を吐いてからシェローロが顔を上げ、体を起こして再び屋根に腰掛ける。女性はまだ伏せていたが、彼に向かって言葉を掛けてくる。
「なぜ隠れたのかしら。わざわざ召使いから隠れるような真似をして、その隙に私が貴方を殺すかもしれないと考えなかったのですか?」
「だが今、私は生きているからな」
 そう返し、笑ってみせるシェローロ。実際は屋根で女性と一緒に居るところなどをあのメードに見られたら只事ではなくなる気がして隠れたのだが、そんな能天気な理由など知らない彼女の方は、俯いて何か考え込んでいるようだった。
「……」
「そうだ、これを返そう」
 銀の煙草入れを出し、彼女に渡す。女性は最初、何だかわからないといった様子であったが、それを受け取った瞬間、目を見開いた。銀の細工をまじまじと見つめ、姿勢を正してシェローロに向き直る。
「これを……どちらで?」
「? 貴女が預けに来たんだろう」
 さて、と呟いて、シェローロが立ち上がる。
「聞きたいこともあったが、私はそろそろ戻らないとまずい。暫くしたら庭の見張りが交代するから、貴女はその時に降りるといい」
 そう言うだけ言って、さっさと屋根裏の方へ行き、窓へ降りてしまうシェローロ。と思ったらすぐにもう一度上がってくる。瞬きする女性。
「良かったら、名前を聞かせてもらってもよろしいか」
 女性は首を傾げて、少し考える素振りを見せたが、控えめな声で呟く。
「ラフランゼですわ」
「覚えておこう。ではまたな」
 ちょうど風音が響いたが、シェローロは聞き逃さなかった。ラフランゼ。優雅で、美しい名前だ。彼女にふさわしい。

2009/05/19(火) その4
 屋根に上るためには、屋敷にいくつかある屋根裏部屋に入り、その窓からよじ登るのが一番近い。幼少の頃の経験を基に、シェローロは廊下へ出て物置部屋への階段室を通り、鍵のかかっていない木の扉をこじ開ける。隅の壁にかかっている梯子を軋ませながら上ってゆくと、そこが屋根裏である。小さい頃は十二分に広く感じられたものだが、今となってはその秘密基地も埃臭く、狭苦しくて、動き辛いことこの上ない。手探りで窓を探し、開けておく。遠く教会の鐘楼越しに沈んでゆく夕日が、丁度ここからよく見えた。幾らか懐かしい気持ちになりながら、窓を半開きにしたまま屋根裏を降り、廊下へ。眼鏡を拭い、服に付いた埃を掃っていると、馴染みのメードが声を掛けてくる。
「どうしたのです、埃塗れですよ」
「探し物をしていたのだ」
「そうですか。最近の坊ちゃんの探し物には危険が付き纏うようですから、なるべく人を呼んでくださいね。こちらはお食事が終わるまでに掃っておきます」
 夕食が終わった頃、例によって初老の男がやってきて、手紙が届いた旨を耳打ちする。どうも近頃は手紙が多い。今が戦時中で、形だけとはいえ戦地へ赴く友人が多いことも関係あるだろう。だが彼らの手紙を読むと、わざわざ自ら死亡フラグを立てる必要もないと思う。部屋に帰って宛名を見ると、友人から三通、これで学生時代に仲が良かった人間から全員手紙が来たことになるので、手紙も暫く落ち着くだろう。それから珍しいことに、父親から一通。彼の名誉の為に一度シェローロも兵隊に志願して欲しい、志願兵として戦地へ赴かない場合でもそのうち徴兵のお知らせが来るだろう、という嫌な頼み事と予言が書かれている。利己的なシェローロとしてはどうにか回避したい所である。食事の前に読んでいたらきっと食欲が落ちていただろう。手紙を引き出しにしまったところで、メードが部屋の扉をノックし、遅くなってしまって申し訳ありません、見習いが外で梨の木を傷付けてしまいまして、などと適当に謝りながら上着を置いて行く。彼女はなんとなく落ち着かないシェローロの様子に気付いたようだった。
「今夜も探し物ですか?煙草入れを?」
「まさか、とんでもない。考え事だ」
 何だかんだでシェローロは下心を復活し、今夜は屋根の上で逢瀬ごっこする気満々だったのである。ここまで頭が軽いと、シルバーベル家の馬鹿息子と噂されるのも仕方がないと言える。

 深夜、折角手入れしてもらった上着を再び埃塗れにしながら、シェローロは屋根裏の窓から外によじ登り、とうとう来られそうでなかなかそういった機会のない自分の屋敷の屋根に辿り付いた。月はやや丸みを失ってはいたが、それでも美しく輝いていた。星星などは先日よりも輝きを増したように感じられる。屋根の上から存分に観ていられるとあれば尚更だ。そんなわけで窓三つ分ほど離れた屋根の隅から物音が聞こえても、シェローロはすがすがしい気持ちで、笑顔さえ浮かべてそちらを振り返った。そこにはあの女性が立っている。しかし彼女は笑っていない。それどころか今までになくあからさまに眉を顰め、機嫌が良くないことを顕にしていた。あまり気にせずにシェローロが口を開く。
「また会ったな。今夜もなかなか良い夜だ」
「ええ」
 女性はそう答えるが、声は沈んでいる。
「なぜ屋根に?面白いことを考え付くな」
「……」
 女性は答えない。シェローロは首を傾げながら、ボンネットで陰になった彼女の顔を見ようとするが、相手は俯いてしまう。数歩近づいて、シェローロは彼女が肩を震わせているのに気付いた。もしかして泣いているのだろうか?なぜ泣いているのか。それとも、これも何かの罠なのだろうか。疑問符だらけだが、とりあえず声を掛ける。
「一体どうしたんだ。私を殺しに来たのだろう?」
 それとも……という期待を三割ほど投げかけつつ、そう訊いてみる。
「勿論そうですわ。それなのに、こんなことってひどい」
 ひどい。女性はそう言って再び俯いた。殺しに来た、というのをあっさり肯定されたのも堪えるが、ひどいというのはさらに心外だ。寧ろシェローロの方が言いたい台詞である。肩の痛みと共に再びもやもやとした苛立ちが襲ってくる。
「事情がさっぱりわからないが」
 屋根の瓦を伝い、つかつかと彼女に歩み寄る。
「最初から説明して貰おうか」
「嫌っ…」
 すかさずそう言って後ずさる彼女。思わず足を止めたシェローロの頭には苛立ちと共に疑問符が飛び交っている。あんた『イヤッ』て。自分で呼び出しておいて酷いだの嫌だのって。まるでこちらが悪いみたいではないか。刺されてんのはこっちだというのに。ひょっとしたら近寄って行ったら刺されるのかもしれない、と若干思ったシェローロだったが、こうして逃げられてはそんな意図があるとも思えぬ。そうなったらもう自棄である。
「待て!」
「許して。お願いですから。近寄らないで下さいな……」
「許さん。貴女の思惑を残らず吐いて貰うぞ」
 満月と星空の下、屋敷の屋根の上で、涙目で首を振りながら逃げる女性を追いかけているこのシチュエーション。なぜこんなことになったのか、シェローロには素でわからなかったが、別に刺されるわけでもなし、相手は美女だし、悪い気はしない。例えるなら中世で詩人が語るような話にありそうな状況ではないか。尤も、ああした物語では必ず美女か男か、どちらかに何らかの災厄が降りかかるものなのだが――。
 ふと、目の前を後ずさっていた彼女の姿が、突然消えるように見えなくなる。地上なら身を隠したものだと推測できるが、ここは屋根の上なのだ。シェローロは自分の背筋が冷たくざわめき、血の気が引くのをはっきり感じた。一瞬、逡巡しかけたが、すぐに駆け出す。

2009/05/18(月) その3
 満月の梨園で女性に刺されてから数日が経っていた。遅めの朝食を摂りながら、シェローロは呻いた。スプーンを手にした右腕の付け根、包帯で巻かれた傷が痛む。あの後結局、女性の美女っぷりに惚けていられたのも最初の一日だけで、肩の怪我とそれに対する周囲の反応は、彼を少しだけ冷静にした。手当てして貰うに当たって『昼間散歩の時に落とした煙草入れを探そうとしたら、背後から突然刺された。相手はわからず顔も見ていない』という説明をした所、夜間の見回りの使用人が増えた。
(あの女、次に遇ったら絶対ひっ捕らえて、なぜあのようなことをしたのか喋ってもらうぞ)
 彼が決意したその直後、朝食を終えたテーブルに初老のあの男がやってきて、今朝早くに手紙が何通か届いていることを耳打ちする。
「戦争は始まっているからな。母上も心配事が多いのだろう」
「そうでしょうな」
 部屋に戻ると封筒の宛名を見る。友人から二通、母から一通。ざっと目を通すが、今度はどの手紙にも宛名に偽りはなさそうだ。母親からの手紙も、いつも通りの近況報告と、さらに枚数を重ねた戦争の心配事で埋め尽くされている。ここまで長いと読むのも一苦労だが、どれ、たまには返事でも書こうとペンを取り、ゆったりと机に向かったシェローロは、すぐ左手の窓の外から何者かがこちらを覗いているのに気付き、心臓を氷で冷やされるような思いをする。驚いた彼は椅子からずり落ち、ついでにインクの瓶も倒し、机の一部が悲惨なことになった。一瞬あの女性かと思ったが、無礼にも窓を開けて入って来たのは、女性とは似ても似付かぬ地味な少女だった。雀斑(そばかす)とお下げがチャームポイントです、といった出で立ちで、こんな少女ならそこらの街角でいくらでも捕獲出来そうだ。シェローロは驚いたのを内心恥じながら起き上がり、なるべく怖い声で言った。
「何だお前は?ここは子供の遊び場ではない。すぐに出て行け、さもなくばつまみ出すぞ」
 しかし、地味な少女は全く怯む様子を見せない。それどころかぱあっと明るい笑顔を浮かべ、変わった形に編まれたお下げを揺らして、嬉しそうに喋り出した。
「はじめまして、シェローロのお兄ちゃん!わたしの名前はレフレシェセ=ル=レクチェ。あ、名前はいくら呼んでくれてもいいの。それで今日はね、ちょっと尋ねたいことがあって……」
「つまみ出すからな」
 シェローロにお下げと腕を引っ張られながらも、レフレシェセと名乗った地味な少女は喋っている。
「最近ここに、ちょっと可愛い女の子が来なかった?あのね、その人、見た目は可愛いけど、男の人なの。女装してるの」
「何!!?」
 つーか、またそのパターンかよ、この詐欺師が!思わず振り向きながらレフレシェセのお下げを引っ張ってしまうシェローロ。
「嘘よ。冗談。そんな人いるのかしら?」
 男性の力で思い切り髪を引っ張られたというのに、全く動じずにレフレシェセはくすくす笑った。
「ほんとの用件はね――前にここに来たっていう女の人が、今夜、お兄ちゃんのお屋敷の屋根の上で待ってますけど、来られますかって。都合が悪かったら帰りますから、お返事下さいって言ってたの」
「………ははーん」
 レフレシェセはにこにこ笑っている。つまりこの子は、あの女のメッセンジャーということか?その辺で遊んでいる所を頼まれたんだろうか。屋根の上なら見張りもいないし、突き落とすだけなら凶器もいらないということで、今度こそ本当に自分の命を奪ってやろうということなのだろうか。しかしそれにしては相変わらず事前連絡してくる辺りが間抜けというか、きっちりしているというか。シェローロは何だか妙なもやもやとした気持ちに加え、痛む傷のことも思い出し、いっそこのことを使用人に伝えて屋根に張っていて貰い、自分は安眠してやろうか、と珍しくまともなことを考えた。女性は捕まえておいてもらって、後で事情を訊き出す。名案だ。
「そうだな……では、行くと伝えておいてくれ」
 地味な少女はそれを聞いて大きく頷き、『自分はなんていい仕事をしたんだろう』というような満足げな表情を浮かべている。シェローロの顔を見上げて、嬉しそうな声で言った。
「うん!お兄ちゃんありがとう!じゃあこれ、渡してって頼まれたの。約束の印ね」
 そう言って花の細工のされた銀の煙草入れをシェローロに持たせると、再び窓の所に走っていって大きく開け、さっさとそこから降りて行ってしまう。見えなくなるお下げ。シェローロは慌てた。
「おい待て!落ちたらどうする…」
 窓に駆け寄ると、レフレシェセは屋根とバルコニーの柱と手すりの間とを滑ったり捕まえたりしながら器用に降りて、ちょうど地面に着地した所だった。それからこちらを見上げて大きく手を振りながら、庭の裏手へ消えていく。子供にしかわからないような場所に抜け穴でも見つけて、そこから潜り込んだのだろう。
(だが賊でも普通はこんなこと出来んぞ)
この部屋は四階なので明らかに何かを無視した運動神経だ。とてもシェローロには真似出来そうになかった。少女の将来は有望であり、恐ろしくもある。
(それはそうと、だ)
 命を狙われた坊やは、眼鏡を直しながら手元の煙草入れに視線を落とす。安物ではない。繊細に美しく施された花の細工は、どこかで見たことがあるような気もする。これをシェローロではなく通りの商人などに渡せば、まず間違いなく持ち逃げされ、高く売り捌かれるであろう。
(こんなものを、わざわざ渡しにくるというのは……)
 シェローロには女性の考えが読めなかった。思考停止すると同時に、持ち前の飛躍下心、もとい妄想が浮かんでくる。これはもしかしたら?いやいや、まさか。
(さて、どうしたものか……)
 夜までにはまだ時間がある。太陽は眩しく、天気は相変わらず良い。恐らく今夜も晴れるだろう。シェローロはもう一度、困惑と苛立ちの入り混じった、しかしどこか嬉しさが滲んだような表情で、手元の銀細工を眺めた。

2009/05/17(日) その2
 夜である。昼間の快晴は夜も続き、満月は美しく輝き、初夏の星空にはひときわ輝く白い星が登る。もし今が劇場で演じられる芝居の一場面だとしたら、この夜空は最高にロマンチックな背景ではないか。
 暢気にそんなことを考えながら、シェローロは外出用の上着を着て、眠そうに屋敷の見回りをする使用人をやり過ごしながら、こっそりと屋敷を抜け出した。その浮ついた様子は見ようによってはまるで恋人と逢瀬に行くようにも取れるが、彼はよりによって昼のあの出来事から、常人ではまずありえない思考回路を経て今この行動に至ったわけで、正直バカである。
 謎の手紙に書かれていた通り、確かに屋敷の庭には梨園がある。シルバーベル家の紋章には梨の木を象ったものが含まれており、元を辿れば聖人が梨の木を巡って云々といった昔話も出てくるほどで、屋敷を立てたらまず庭に梨園を作るのが先祖からのしきたりである。だがその子孫は「殺すから指定の場所においで」と言われてホイホイ上機嫌で呼び出されるような愚か者なので、今後その伝統が受け継がれるかどうかは怪しい。とにかくそんな梨園に辿り付き、昼間は使用人が手入れしている木々の間をシェローロが歩いてゆくと、満月に照らされて少し開けた一番奥の梨の木の根元に、何者かが腰掛けていて、こちらを見ているのだった。彼はすっかり相手が自分に恋心を抱いている美しい女性だと信じきって一層心が浮き立ったが、少しでも冷静に考えられる頭があれば、そんな根拠はまったくないということに気付く筈なのである。しかし彼は自分の妄想を疑うことをしなかった。そして恐ろしいことに、その妄想は半分ほど、現実になってしまった。
 足を止めたシェローロが見つめる先には、すぐ上の夜空に輝く満月も恥じるような、美しい女性が座っていた。ボンネットの下に微かに見える白い肌にすっと通った鼻筋、微笑むような小さい口元だけでも、相手の顔が相当整っているのでは、と思わせるには十分であった。さらに近付いて、それが正しいと確信する。長い睫毛に彩られた大きな瞳が真っ直ぐに彼の方を見ていた。自分の陳腐な妄想を遥かに上回る女性の美しさに、シェローロは幾分うろたえながらも、いつもメードに話し掛けるように気さくな声を出す。
「良い夜だな。手紙をくれたのは貴女だろう?」
「ええ。きっと来ないだろうと思っていましたのに……本当にいらしてくださったのですね」
 女性の声が想像よりもずっと甘くかわいらしいのに驚いて、シェローロは心が浮き立ちすぎてくらくらした。こんなに美しい女性には滅多に出逢えないであろう。彼がもう一度顔を見ようとした所で、女性が立ち上がり、こちらに数歩、近付いてくる。
「では約束通り、お命を頂きますわ」
 一瞬、女性が何を言っているかわからなかったが、女性が左手に持った銀色に月光を反射する『何か』を見て、シェローロは緩んだ口元をほんの少し引き攣らせた。だが、まだ冗談か何かだと思っている。幸せな眼鏡坊やである。女性はにっこり笑うと、右手で彼の肩に手を回し、左手の凶器を手元で握り直す。
「出逢ったばかりなのに、残念ですわ。……さようなら」
「待て!本当に私の命を取ろうというつもりなのか?」
 シェローロは肩にかかった彼女の右手首を取ると固く握り返し、真っ直ぐ彼女の瞳を見つめて、信じられないといった様子で女性に詰め寄った。女性は笑顔を貼り付けたまま首を傾げ、質問には答えずに左手に持ったナイフをシェローロの頚動脈目掛けて滑らすが、同時にそのアホ眼鏡野郎が「どうなんだ!?」とか何とか言いながら勢い良く詰め寄ってきたので、華奢な彼女はそれに押されるようにすっ転んでしまい、ついでにナイフもやり場を間違って、頚動脈ではなくアホ眼鏡の肩を背中の方から刺してしまった。
「く……」
「……」
「いっ……痛っ」
 右肩が熱い。叫び出したくなるような衝撃と不快感に苛まれつつ、シェローロは同時に、何か仄かな良い匂いがするなあとのんびり思っていたが、それは一緒に転んだ女性をクッション代わりにしていたからで、女性の方も初対面で眼鏡をかけたアホに潰されて押し倒される形になってしまい、さすがにもう笑ってはいない。
「重いわ」
「あ、すまない」
 右肩を庇いながら左に退く。つい素で謝ってしまったが、よく考えれば、いやよく考えずともシェローロはこの相手に刺されているのである。それどころか一歩間違えれば殺されていたというのに、彼は自分自身の緊張感のなさに驚くが、それよりももう少し彼女の顔を見ておきたいというのが正直な所だった。アホを通り越して自分に正直すぎる精神の持ち主である。女性は見た目にはさして動揺せずにすっと立ち上がると、シェローロの方を見て、再びあの気品ある微笑を浮かべる。
「見苦しい所をお見せしてしまいました。日を改めてまた来ますわ」
 また来ますわ、というのはつまり『今日は失敗したが、また殺しに行くから覚悟しておけ』という意味なのかもしれない。しかしそれにしたって彼女の声は、さながら完璧な調律を施した最上級の楽器を甘く転がすようで、シェローロに見に迫る危機感というものを全く感じさせなかった。
「ああ。いつでも来るといい」
 そんなわけだからこのアホ眼鏡は、彼女の言葉にこんな馬鹿正直な返答をしてしまった。決して『何度来てもお前なんぞには殺されないぞ、逆にとっ捕まえてぶっ殺してやる』という意味は込められていない。女性は何を思ったか、もう一度微笑んで、そのまま足早に梨園を去っていった。
 屋敷に向かって歩きながらため息を吐く。満月は相変わらず美しかったが、今宵はもっと美しいものを見てしまった。肩の傷はじくじく痛み、傷口を押さえる手は血に塗れているだろう。その手が例のナイフを拾い握っていたことに気付く。銀の刃を月に透かしながら、シェローロは考えた。これは一体どういうことだろう?この怪我は冗談抜きで物凄く痛いが、彼女は思い出すだけで痛みも忘れるほど美しい。もし『次』があるなら、彼女だけをどうにか手に入れたいものだが、さて……。

2009/05/16(土) その1
 その街は美しかった。古い建物が連なる街だったが、屋根の瓦はきちんと塗られ、暖かくなれば植物や花があふれ、その佇まいには品があった。他の地域に比べ、その街だけはそこそこ治安が良いということで評判だった。裏通りをわざわざ覗き込まなければ、犯罪に遭うことも殆どない。もしも戦争などが起こらなければ、この街の平和は永久に続くであろう、そう思われた。
 その通り、街には長いこと何も起こらなかった。平和が続いた。しかしある時、この街を含むこの国は、戦争とやらに加担したらしかった。
「旦那様が連絡を下さったのはこのためですよ。読まなかったのですか?今朝の新聞を?」
「わざと読まないようにしていたのだ。だが、勿論!そろそろこうなるであろうな、という気はしていた」
「本当でしょうか……」
 黒いスカートにエプロンを着けた服装から、恐らくメードであると思われるその女性が、歩きながら首をかしげた。その少し前を歩いている男は、育ちの良さそうな表情を浮かべ、高そうな上着を羽織っていた。頭上の澄んだ青空と太陽を反射して光る眼鏡は、知性の象徴というよりは、経済的な裕福さを表しているように感じられる。
「経験とは、新聞で積むものではない。戦争も同じだ。肌で感じるものだよ」
 男が悠々と語るのは、その風貌とはあまりにも矛盾した台詞であり、これでは本人はさして頭は良くないであろう、ということが窺い知れた。しかし自らの少ない知性を気にするような繊細さは持ち合わせていない様子である。メードは顔に出さずに呆れ返っている。二人が通りを歩いて街の中央付近にあるちょっと豪勢な屋敷に到着すると、ここが彼らの住居なのであろう、出迎えの者と共に初老の男が現れ、眼鏡の坊やに耳打ちする。
「お手紙が。お部屋の方に」
「手紙?母上だろうか。わかった、目を通しておこう」
 果たして、彼が部屋に戻ると、その美しく磨かれたテーブルの上には、金の混じった赤い蝋で封のされた一通の手紙が置かれていた。封筒の裏には差出人として母親の名前が書かれている。彼の母は時々こうして手紙を寄越すことがあり、中身は大抵、彼を気遣う内容や、さして読まずとも問題のない退屈な話だったが、それでも一応彼自身に宛てられた手紙である。欠伸をしながらもしっかりと目は通すものだった。
「いい加減に子離れして欲しいものだ」
 そう言いながらも、本人が母離れ出来ていないちょっとマザコン入っちゃってる彼は、ナイフで封を切ると、豪勢なクッションで覆われた高そうな椅子を乱暴に引き寄せ、寄り掛かるように深く座り、その手紙を読み始めた。

  親愛なるシェローロ=シルバーベル様――
     今夜、貴方様のお命を頂きに参りたいと存じます。
      よろしければ月が天頂に掛かる頃、お屋敷の梨園までいらしてくださいな。

「はーん?」
 まったく要領を得ないといった声を出しながら、彼――シェローロ=シルバーベルは顎に手を当て、首を傾げた。この手紙はおかしい。まず、署名がない。そして、非常に短い。これはどう考えても母親からの近況報告に始まる長い手紙ではない。かといってあの母がまさかこんな手紙をよこすであろうはずもない。おそらく母親の手紙を装った殺害予告か、イタズラか、他の何かであろう。だがシェローロはごく一般的な議員の息子であり、殺しても大して利益の出るような存在ではない。もし殺害予告だとしても、文面がおかしい気がする。「よろしければ」って、あーた。「くださいな」って。天気のいい日に街に出てきて宣伝している花屋の女の子でもないだろうに。命を頂きに行くのにそんなに軽い文面でいいものだろうか?というか、そもそも命を頂きに行くのをこんな手紙でわざわざ教えてしまっていいものなのだろうか?命を頂くとか言いながら、何故わざわざ場所を指定し、こちらを呼び出すつもりでいるのか?不可解であった。しかし。
「これは……つまり……」
 ラブレター。そう。恋文の一種ではないだろうか。普通の殺害予告ならわざわざ場所を指定して呼び出すのはおかしい。母親の名とサインを騙っているのは、以前からこの屋敷への手紙の流通を知っている者が、この方が確実に自分に届くと確信してのことだろう。告白としては些か過激だが、なるほどー。こういうのも悪くはない。
 傍から見れば滅茶苦茶な納得の仕方をして、シェローロは「ほー」とか「へー」とか呟きながら頷いている。それどころか(こんな手紙を送ってくるとは、一体どんな子なのだろう?かわいい子だろうか)といったようなことを考えていた。この時点でシェローロには、これを送ってきたのが男だったらどうしよう、たちの悪い、良からぬ輩だったら、などという現実的な考えは無かった。まことにおめでたい頭という他はなく、このような男がこのお話の主人公では、先が思いやられると言う他ない。


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