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2009/05/17(日) その2
 夜である。昼間の快晴は夜も続き、満月は美しく輝き、初夏の星空にはひときわ輝く白い星が登る。もし今が劇場で演じられる芝居の一場面だとしたら、この夜空は最高にロマンチックな背景ではないか。
 暢気にそんなことを考えながら、シェローロは外出用の上着を着て、眠そうに屋敷の見回りをする使用人をやり過ごしながら、こっそりと屋敷を抜け出した。その浮ついた様子は見ようによってはまるで恋人と逢瀬に行くようにも取れるが、彼はよりによって昼のあの出来事から、常人ではまずありえない思考回路を経て今この行動に至ったわけで、正直バカである。
 謎の手紙に書かれていた通り、確かに屋敷の庭には梨園がある。シルバーベル家の紋章には梨の木を象ったものが含まれており、元を辿れば聖人が梨の木を巡って云々といった昔話も出てくるほどで、屋敷を立てたらまず庭に梨園を作るのが先祖からのしきたりである。だがその子孫は「殺すから指定の場所においで」と言われてホイホイ上機嫌で呼び出されるような愚か者なので、今後その伝統が受け継がれるかどうかは怪しい。とにかくそんな梨園に辿り付き、昼間は使用人が手入れしている木々の間をシェローロが歩いてゆくと、満月に照らされて少し開けた一番奥の梨の木の根元に、何者かが腰掛けていて、こちらを見ているのだった。彼はすっかり相手が自分に恋心を抱いている美しい女性だと信じきって一層心が浮き立ったが、少しでも冷静に考えられる頭があれば、そんな根拠はまったくないということに気付く筈なのである。しかし彼は自分の妄想を疑うことをしなかった。そして恐ろしいことに、その妄想は半分ほど、現実になってしまった。
 足を止めたシェローロが見つめる先には、すぐ上の夜空に輝く満月も恥じるような、美しい女性が座っていた。ボンネットの下に微かに見える白い肌にすっと通った鼻筋、微笑むような小さい口元だけでも、相手の顔が相当整っているのでは、と思わせるには十分であった。さらに近付いて、それが正しいと確信する。長い睫毛に彩られた大きな瞳が真っ直ぐに彼の方を見ていた。自分の陳腐な妄想を遥かに上回る女性の美しさに、シェローロは幾分うろたえながらも、いつもメードに話し掛けるように気さくな声を出す。
「良い夜だな。手紙をくれたのは貴女だろう?」
「ええ。きっと来ないだろうと思っていましたのに……本当にいらしてくださったのですね」
 女性の声が想像よりもずっと甘くかわいらしいのに驚いて、シェローロは心が浮き立ちすぎてくらくらした。こんなに美しい女性には滅多に出逢えないであろう。彼がもう一度顔を見ようとした所で、女性が立ち上がり、こちらに数歩、近付いてくる。
「では約束通り、お命を頂きますわ」
 一瞬、女性が何を言っているかわからなかったが、女性が左手に持った銀色に月光を反射する『何か』を見て、シェローロは緩んだ口元をほんの少し引き攣らせた。だが、まだ冗談か何かだと思っている。幸せな眼鏡坊やである。女性はにっこり笑うと、右手で彼の肩に手を回し、左手の凶器を手元で握り直す。
「出逢ったばかりなのに、残念ですわ。……さようなら」
「待て!本当に私の命を取ろうというつもりなのか?」
 シェローロは肩にかかった彼女の右手首を取ると固く握り返し、真っ直ぐ彼女の瞳を見つめて、信じられないといった様子で女性に詰め寄った。女性は笑顔を貼り付けたまま首を傾げ、質問には答えずに左手に持ったナイフをシェローロの頚動脈目掛けて滑らすが、同時にそのアホ眼鏡野郎が「どうなんだ!?」とか何とか言いながら勢い良く詰め寄ってきたので、華奢な彼女はそれに押されるようにすっ転んでしまい、ついでにナイフもやり場を間違って、頚動脈ではなくアホ眼鏡の肩を背中の方から刺してしまった。
「く……」
「……」
「いっ……痛っ」
 右肩が熱い。叫び出したくなるような衝撃と不快感に苛まれつつ、シェローロは同時に、何か仄かな良い匂いがするなあとのんびり思っていたが、それは一緒に転んだ女性をクッション代わりにしていたからで、女性の方も初対面で眼鏡をかけたアホに潰されて押し倒される形になってしまい、さすがにもう笑ってはいない。
「重いわ」
「あ、すまない」
 右肩を庇いながら左に退く。つい素で謝ってしまったが、よく考えれば、いやよく考えずともシェローロはこの相手に刺されているのである。それどころか一歩間違えれば殺されていたというのに、彼は自分自身の緊張感のなさに驚くが、それよりももう少し彼女の顔を見ておきたいというのが正直な所だった。アホを通り越して自分に正直すぎる精神の持ち主である。女性は見た目にはさして動揺せずにすっと立ち上がると、シェローロの方を見て、再びあの気品ある微笑を浮かべる。
「見苦しい所をお見せしてしまいました。日を改めてまた来ますわ」
 また来ますわ、というのはつまり『今日は失敗したが、また殺しに行くから覚悟しておけ』という意味なのかもしれない。しかしそれにしたって彼女の声は、さながら完璧な調律を施した最上級の楽器を甘く転がすようで、シェローロに見に迫る危機感というものを全く感じさせなかった。
「ああ。いつでも来るといい」
 そんなわけだからこのアホ眼鏡は、彼女の言葉にこんな馬鹿正直な返答をしてしまった。決して『何度来てもお前なんぞには殺されないぞ、逆にとっ捕まえてぶっ殺してやる』という意味は込められていない。女性は何を思ったか、もう一度微笑んで、そのまま足早に梨園を去っていった。
 屋敷に向かって歩きながらため息を吐く。満月は相変わらず美しかったが、今宵はもっと美しいものを見てしまった。肩の傷はじくじく痛み、傷口を押さえる手は血に塗れているだろう。その手が例のナイフを拾い握っていたことに気付く。銀の刃を月に透かしながら、シェローロは考えた。これは一体どういうことだろう?この怪我は冗談抜きで物凄く痛いが、彼女は思い出すだけで痛みも忘れるほど美しい。もし『次』があるなら、彼女だけをどうにか手に入れたいものだが、さて……。


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