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2012/01/17(火)
4年間
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お久しぶりです。 長距離パート4回生の新松です。
これでこの部員日記を書くのも最後かと思うとやはり寂しいものです。 関西大学に不安と期待を持って入学してきたことがつい先日のことのようです。入学から4年も経ったのか…と実感がなく、絵空事のように感じています。ありきたりな表現ですが、本当にそう思います。
4年間。言葉にすればたった3文字です。 その中で本当にどれだけ両親に心配をかけたでしょうか。どれだけ同期に助けてきてもらったでしょうか。本当に苦しかった大学での陸上生活、何度も諦めかけました。しかし、終わってみると苦しかった日々も幸せな時間であったと思えるようになってきました。 振り返れば、4年間で目標としていた関西インカレ制覇と全日本インカレ出場が達成できたのは本当に素直に嬉しかったです。 最高の思い出です。
駅伝では全日本大学駅伝出場を目標に掲げ取り組んできましたが、結局最後までふがいない結果に終わったことを今でも少なからず後悔しております。しかし、ただの目標として見ていただけだったことも事実。その目標自体もチームの中で共有できてなかったのも事実です。もっとシビアに通過点としての目標として見定められていれば、結果は違ったかもしれません。本当に忸怩たる思いの一言に尽きます。
何はともあれ、こうして一生懸命に競技に打ち込めたのも両親・家族のサポートあってこそだったと思います。遠征も多かったし、長い故障もしたし、何よりこんなドラ息子を私立大学に入れてくれたし。面と向かっては恥ずかしいので言いませんが本当に感謝しております。反抗期の長い息子ですまんかったが、少しは親孝行できたかと思っています。まだまだ少しだけですが。
OB・コーチ・監督・指導陣の皆様にも本当に感謝しております。 陸上部の皆様にも支えてもらい本当に感謝しております。 詳しくは追いコンで言います。 書くのが面倒になってきたとかそんなんじゃないですよ。 面と向かって言いたいですから。
これ以上書くと何を書いてるかわからなくなるのでこの辺で止めておきます。
一応、来年度からは愛知の実業団で陸上競技を続けていくことになりましたが、どこかで見かけた際には声援いただければ幸いです。
次の人は、幕末の日本で日米和親条約の締結に尽力し、日本人で初めてネクタイを締めたといわれる人です。
ではでは。
P.S.
ちなみに卒業がかなり危ういので来年も大学いるのを見かけたら、寛大な心で見なかったことにしてください。 “かんだい”だけにな!
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