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2008/03/11(火) かなわない
アヒル組の生活発表会の演目は「ももたろう」
だが、劇の内容を盛り込んでムーブメントを
取り入れた授業形式にしようと思っていた。
子どもたちは、笑顔で楽しんでくれて、
それに助けられた形で私の考える通りの流れに
なっていたと思う。宝物を抱えて帰るうれしそうな
子どもたちの姿に私も満足であった。
ぴよこ組を見るまでは。
ひよこ組は、佐々木先生のクラスだ。
2歳から3歳の子どもたち(私が授業すると全く
言うことなんて、聞かない)が
跳び箱をするところを保護者の皆さんに見てもらう。
ただ、それだけだが、練習もほとんどしないので
何が起こるのかわからない。
それが、いつも子どもたちが魔法にかかったように
いつも見せないような顔でぽんぽんと跳び箱に上がっていく。
ポーズをとる子どももいる。ちゃんと
名前だって言える。
きちんと、整列して待っている。
彼らなりにいつも以上の力をだしているのだ。
こんなことがあるのだろうか。
これに気づく人はいるのだろうか。
誰がやっても、こうできるものではないのだ。
佐々木先生だからできる。
みんな魔法にかかったように楽しくなって
自分を表現できている。
私の「ももたろう」なんて、いっぺんに吹き飛んだ。
かなわない。やっぱり、先生にはかなわない。
いつも、先生は遙か彼方にいる。
以前、まだ2ヶ月にもならないご自分のひ孫である
けんちゃんをだっこしていたとき、赤ん坊が
へらへら笑いだしたのを思い出した。
もう、こうなると神の域なのだろう。
どんな子どもでも、先生にだっこされたい、
愛されたいと即座に思うのだろう。
とっても、かなわない。

2008/03/10(月) 確定申告
確定申告の為の書類を作成する。
年に一度だけ、エクセルを使うのだ。
多分これから、何度もお世話になるであろう
エクセルに苦労していては、ダメだ。
今月読み始めた本に外山滋比古の「思考の整理学」
など3册がある。古い本らしいが
どうして20代で出会わなかったのだろうと思う。
出会ったところでもう少し思慮深くなるかとも
思われないけれど、この本でレポートでも
書かせてもらえば、おもしろかったのに。
しかし、この本でレポートを書く授業とは、
どんな科目だろうか。
「修辞学」「倫理学」「哲学」「教育学」
一般教養であることには違いない。
私が愛読していた「英語は勉強するな」という本の
中にも似たような知識の蓄積法が書いてあった。
それは、詰め込むだけ詰め込んで
頭を「休ませる」ということだ。
外山先生は、そのことを「忘却」と書いているが
「英語は〜」の韓国の先生は、頭の「整理整頓」と
表現していた。いずれにせよ、両国を代表するような
頭脳の持ち主がそういうのだから、きっと間違いない。
忘却とは、必要なことであるのだ。
単純な私は、ちょっとでも嫌だなあなんていうことが
あると「忘れよう、忘れよう」と呪文のように唱える。
外山先生もこんな一面的で知った振りの読者が
いるとは、思わないだろう。

2008/03/09(日) 生活発表会
毎年これが終わるとほっと一息ついて、
来年度の事をちらりちらりと考えたりする。
しかも、来年の年長組のメンバーを見て
「こんなことをしよう」と想像したりもする。
大抵は、想定以上の成長ぶりを子どもは
見せてくれるので、心配は徒労に終わる。
そうやって、かれこれ13年だ。
私は、チャイルドハウスしか知らないが
つくづく生活発表会の舞台は、子どもがいて
私たちがいて、お母さん、お父さん、祖父母の
方達がその場を作るものだと思う。
あの場で時間と空間を共有し、気持ちが
伝わるということを濃く感じるのだ。
劇のセリフは、ただ言葉をしゃべるだけでなく
自らを表現し、演じ、観客に語りかけることで生き生きと
動き出す。
踊りは、見ていただくことで輝くことが
できる。一体となって、作っていくのだ。
ここの子どもたちには、それができる。
上方落語の面白い物語を自分のものにして
主人公そのものになることができるという
子どもたちは、本当に天才だ。
お母さん、お父さんの声援が子どもに伝わって
盛り上げる。自分の子どもも、よその子どもも
一緒になって成長を喜んでいる。
その場にいたものにしかわからない雰囲気だ。
心の中の宝物は、いつまでも生き続けるらしく
ウチの母などは、「見に行きたいねえ」などと
言っている。「今年の子の跳び箱は、どうかねえ」
自分の家の子どもが出なくても
見に行きたいと思ったり、声援を送ることができる
観客は、ここにしかいないだろう。
他の場所ではあり得ない。

2008/03/08(土) いよいよ
札幌の保育園に勤めている友人と
電話をしていた。
今、卒業式の準備で毎日残業で遅く帰って来るという。
園舎を飾り付けたり、アルバムを作ったり
大変な作業がやまほどと目が回るほど忙しいらしい。
明日はハウスの生活発表会であるが、いわゆる
「作りもの」関係は
一切お母さんたちにまかせているので、私の仕事は
音響の最終チェックくらいなものだ。
さらにこの優秀なスタッフは、「天井からぶら下がる
ミラーボールがほしい」「羽のついた扇子を女の子の
人数分ほしい」「山伏の衣装は、織田無道風に」
「照明があったらいいなあ」「ぴかぴか光る宝物を
つくって」など、無理難題をふっかけられ、
「明日までに」とまで言われて、一切言い訳することなく
見事にやってのける。
昔々のお母さんたちは、先生が「一滴でも雨が降ったら
遠足に行かない」とおっしゃったので、
みんなでてるてる坊主を作って祈ったそうだ。
そんな話しも友人に教えると
「ずるい〜楽しすぎ。ふざけんな」と笑って怒られた。
このエネルギーとバイタリティで会社でも
おこしたら、さぞ儲かるかもしれないと思うくらい
優秀なスタッフだ。

2008/03/07(金) 成長パート2
中学生のTちゃんと話していて、中学1年生という年代の
成長ぶりにびっくりする。
去年まで小学生だったのに、すっかり考え方も立派な中学生に
なっているのだ。「へ〜そうなんだ」と感心しながら
聞いていておもしろいことを教えてもらった。
学校の体育館の入り口だかに「可能性は、無限大」という
言葉が掲げられているという。
私は、思わず「そりゃ、違うだろう」と笑って言ってしまう。
ちなみに「夢はかなう」というのも、どうかね〜と思う。
かなうのは、「夢」ではなくて、「目標」であると
思うのだ。中学生には「夢を見る」ことではなく
「夢を叶えるための力」をつけるべきと思うのだ。
現実にならなければ、単なる妄想に終わってしまうのでは
ないかと私は考える。さらに
中学生になれば、自分にできることがそう多くないことは
分かっているだろうと思う。つまり
私がこれから水泳を覚えて、オリンピックに出ることは
絶対に無理だと思われるし、ウチの母のディズニーランドで
働きたいという夢も叶うこともないと思われる。
知り合いが言っていたことであるが、漫画家は、小学生の
時から漫画家以外にはなれないし、ならないと決めている人が
多いという。他に選択肢のある人は、漫画家にはならないことが
多いらしい。そういう彼女は、絵のうまい学校の先生で
通信などはとても楽しいだろうと思うが漫画家にはなっていない。私もなんだかんだとこの仕事以外には、できない。
「可能性は無限大」のように見えて
実は、選択肢は1つか2つであるような気がする。
AかBかどちらか選ぶという判断で道が決まっていく
と思う。
中学生のTちゃんには、酷であるが彼女が今するべきことは
一つである。
「とりあえず、落としてしまった成績をもとに戻すべく
春休みに勉強をすること」
「そうだよねえ〜」とTちゃんは苦笑する。
ちゃんとわかっている。立派な中学生である。

2008/03/06(木) 3月の子どもの成長
うわーんうわーんと大声で泣く子どもの声にあれあれと
覗いてみたら、年長のMOちゃんが泣いている。
それがまた、ものすごく豪快で失礼ながら、
見ほれてしまうほどだ。こんなに自分の感情を
表に出せたら、気持ちがいいだろうと思う。
ハウスの子どもは、めったに泣かない。
転んだくらいでは泣かないし、友だちに多少いじわる
言われたくらいでは涙はでない。それが
こんなに泣くのだからよほどのことと見ていた。
周りにいるHちゃんもMIちゃんも困った顔を
している。昨日からの複雑な関係がこじれた結果で
あると後から聞いたが、こういう時に大人は仲裁に
入らずに「へえ〜」とか、「そりゃ、しようがない」
とか、解決の糸口は与えない。
あまりの泣き方に言ってしまった方もびっくりの様子だ。
この場合、簡単に「ごめんね」と謝らせない方がいいのだ。
最近、大人が解決してしまうことで
損なってしまう子どもの力というものを感じる時がある。
子どもには、子どもの世界があって、
子どもの納得の仕方があるのを分からずに
あれこれと指南しすぎてしまう。
昔、中学生だった娘が色々なことに嫌気がさしたのか、
「学校が遠すぎる」と言ったことがあった。
娘がいやだと思っていることも分かっていたが
それは娘が解決しなければならない問題。
乗り越えなければならない壁。
おなかが痛いだの、頭が痛いだのと
言ってみても始まらないことくらい娘も承知なのだ。
それで「学校が遠い」とは、考えたものだ。
「あ〜そうだねえ。そうしたら、お母さんが
明日の朝までにウチの目の前に学校を持ってきてあげるよ」
それ以来、そんないいわけをしなくなった。
しかし、子どもだって、愚痴ったり、ぼやいたり
するのだ。友だちのことを悪く言いたくなるときも
あるのだ。私も大学の悪口は、これ以上ないくらい
言い尽くした。けれど、学校をやめるわけでもなく
卒業する。

さんざん、泣き尽くしたMOちゃんは、あとで
私に言ってきた。
「もう、仲直りすることにした」
「あんたは、それでいいの?」
「もう、いいの」
「あんたがいいなら、いいんだよ」
にこっといつもの彼女に戻るのだ。
そして大げんかの二人は、それから何時間も遊んだそうだ。
この時期、こうやって一つ一つ越えて行くのだと思う。

2008/03/05(水) 腹痛
今度は、別の風邪をもらったらしく
体調不良。一晩中、胃痛でうなる。
薬を飲むとすっきりして、4時ころから
うとうとし始めたので、起きたら9時15分にもなっている。
飛び起きて、出勤。
何も食べられない。

2008/03/04(火) 今日の出会いと別れ
養護学校からの授業から帰ってきて
あまりにも苦しそうなので
うさぎを病院へ連れて行って楽にしてあげようか
と家族で相談する。
もう、オレンジひとかけをちゅうと吸い付くだけで
租借はできていない。
決断して、動物病院に電話をし、明日の約束を
して、仕事へ行く。夕方に帰ってくると
もう、すでに逝ってしまっていた。
小さな箱に入れて、花で飾ってあげる。
今夜は、大好きだった長男の部屋で寝る。
もう、来月にはここを去っていく長男に
置いて行かれたくないかのようだった。
去る姿を見るより、お先にと逝ってしまった。
明日、家族の思い出は星になって天に昇る。

今日、進学の決まったK君は絶好調で
手を叩いたり、太鼓を鳴らしたりと
大はしゃぎだった。あまりに喜んでいるのと
太鼓が上手に叩けたので、本当にうれしかった。
うれしかったのは、担当の先生も一緒で
思わず、彼に抱きついていた。
音楽の力で子どもたちの表情が明るくなる。
笑顔との出会いの贈り物だった。

2008/03/03(月) うさぎ
去年、手術をして奇跡的に生き返ったうさぎ。
ハウスから、もらってきて
もう10年にもなる。子どもたちがかわいがって
散歩に連れて行ったりしていた。
特に長男がかわいがっていて
よく、「おい、うさぎ〜」と話しかけていた。
うさぎには、ピーターという本名が
あるのだが、「ピーちゃん」とか
「うさぎ」と呼ばれていた。
去年、左腕にできた腫瘍を取り除いてもらって
片足になってしまったけど、
餌をもりもり食べて、快適にすごしていた。
しかし、その腫瘍の根元のところから
またできものができ、大きくなっていった。
あっというまに体の三分の一くらいに
ふくらんでいって、左半分はほとんど
自由がきかなく、目も見えず、耳も
だらんとたれてしまっていた。
今日は、ついに起きあがることも出来ない。
大好きなにんじんも食べられない。
長男が出て行くまであと20日あまりだが、
「もう、がんばらなくていいよ」と
なでてやる。
去年は、長女が出て行った日に犬が死んでしまった。
あらゆることにはじまりと終わりがあるのだ。
子育ての最中には、そんなことを思わないが
毎年、節目を迎える我が家は、痛切に感じる。
ペットも感じるのだと思う。

2008/03/02(日) アンパンマンとばいきんまん

昨日、レッスンに来た小学校3年生のY佳ちゃんは、
自分のわがままをよくわかっていると言う。
心の中にばいきんまんが住んでいて
それが悪さするのだと。
「それでどうするの?」と聞いてみると
「2年生の頃は、ばいきんまんが100匹くらい
いて、大変だったけど、今はね。アンパンマンが
やっつけてくれるのさ」
それで、「私の中にもばいきんまんが
一杯いて、嫌なんだけど、アンパンマン一人くれない?」
というと
「アンパンマンは、自分で作るのさ」
彼女は彼女なりに自分と向かい合って
戦って、ばいきんまんに負けないようにと
考えてきたらしい。
ピアノは、さっぱりしなかった30分だけど
子どもの成長は、素晴らしいなあと思う。
発表会に踊りを踊ったり、羽をぴらぴらさせながら
歌を歌ったり、とにかく個性的な子だ。
学校の先生に言わせれば、わがままだが、
「自分を生きてる」と言われる子だ。
そんな前向きで、風に逆らって歩くような
彼女に心からのエールを送り、尊敬する。
この子もハウスの子だなあと思う。

3月絵日記の続き


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