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2008/04/15(火) ひきこもれ〜吉本隆明
何度も読み返している。
ひとりの時間を持つことの大切さ、
考えること、孤独と向き合うこと。

前に思ったことであるが
表現方法は、たくさん持っていては
いけないように感じる時がある。
私の場合、自分にとっての表現方法は、
一つか二つでいい。というのは
内面が充実しているわけでは
ないので、一つの表現方法で満足して
しまうことが多いのだ。それに長いあいだ
ピアノを教えていて思ったことがある。
例えば、ピアノを習っている子どもが
ピアノ以外で表現する音楽を習い始める。
学校などの合唱団や吹奏楽、音楽教室主宰の
劇など。
すると、小さければ小さいほど
そのことに満足してしまって、技術を
習得しなければ表現できないような険しい道を
選択しない。
ある程度大きくなれば、二つを両立させるのは
可能であるけれど、よほど、どちらも目的を
はっきり意識していない限り、無理なのだ。
一人で「ひきこもり」考え続けたり、
学び続けることを、安易に表現すべきでは
ないことは、外山 滋比古の「思考の整理学」にも
書いてある。もしかして、教育現場では
子どもに表現する術だけを与えすぎたのではないか。
だから、学校時代を終えた時に中身を充実させる術を
持たずに息切れしてしまうのではないか。
試行錯誤して得た術をようやく大人になることで
表現できる自由を何かわからないうちに
与えてしまったのではないだろうか。
それは、教育現場だけでなく、社会全体の
問題として考えられる。


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