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2007/10/13(土)
桐野夏生 『グロテスク』を読んで
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まずは、著者のインタビューから 『私ね、この世の差別のすべてを書いてやろうと思ったんですね。 些細な、差別と思っていないような差別。 お金も美醜も、家柄も地域も、勉強できるできないも、 全部の小さな差別をいれていこうと思ったんですよ。 エリートになればなるほど、たぶんものすごい差別が いろいろたくさんあると思うんです。 競争が激しい。それが女の子の場合、もっと複雑になるというのかな。 厳しいんじゃないかと思うんですよ、女の子は。』
人間って、っていうか、女は怖い、おぞましい、救えない存在だ。 自分が女だから、分る。 わたしも、どちらかといえば、善意より悪意が勝る人間だが、、、 でも、負けた!! グロテスクさなら、『OUT』の方が上?と思ったが、 深層心理的な面で、相当グロテスクな内容である。 こういう小説書かせたら、桐野さんは、すばらしい力量を発揮するですね。 それに、こんな話、女にしか書けないなと思うです。 ここまで全編にわたって、『負』満載な小説にはお目にかかったことがない。 どこにも救いは見当たらないのだが、 後味は決していいものではないはずなのだが、 だけど、 妙な満足感に満たされてしまったわたしって…(-"-) う〜ん、わたしも相当、屈折してるな。
物語は、あの事件(東電OLの殺人事件)がモチーフになってる。 忘れていたのに、思い出してしまった。 だけど、 出発はそうでも、発車した途端に、もう、桐野ワールドなんですよ。 上下巻、一気に読んでしまいました。
『グロテスク』を読んだからと言うわけでもないが、 いや、そういうわけなのだが、 自分の中の悪意について考えてみた。 普段、私が良く使う言葉に、 「あの人、悪い人ではないのだけど・・・云々」 悪い人だと思っているんだわ。 オブラードをかぶせてるにすぎない。 気に入らない人に、 「意地悪で言ってるわけじゃないよ」 あなたの為に、心を鬼にして言ってあげてる、なニュアンスなのだが、これは、 きっちり、悪意である。 親切を装っているにすぎない。 やさしい言葉で、実はしっかり言葉の意味を把握していて、 笑いながら、そっと、そよ風のように、しかしポイントをついた打撃を与える。 しかも、その反応をこっそり観察する、ということまでやってのける。
救えない女である。
『いじめ』が問題になっているが、 正直、いじめたくなる人がいるのは確かで、 例えば、 自慢する人、 自分の価値観でモノを言う人、 知ったかぶりをする人、 優柔不断な人、 目立ちたがりな人、 (これは、わたしにも当てはまるが、気持ちが分る故にいじめは熾烈だ)
例を挙げれば、きりが無いので、ここまでにしておくが、 かように、わたしは、悪意を温存しているのである。 だけど、 世間一般的に、普通の人間であることは確かである。 普通とは、どういうことか、 これを論じれば、これもまたキリが無いので、 また、いずれ…
話は変わるけど、(変わりすぎ…www) アメリカの元副大統領アル・ゴアさんにノーベル平和賞が授与されることになりましたね。 心から、祝福したいと思います。 ゴアさん、また、政界に復帰する意思はないのかな? 今度こそ、大統領になって、地球環境に取り組んでほしいものです。
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