マスターのひとりごと
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2010/06/18(金) 茶木みやこライブを終えて
皆様のお陰で『茶木みやこライブ』、盛況のウチに終了した。
俺は茶木さんと言えば昭和52年から53年にかけて放映された『金田一耕助シリーズ』の主題歌を歌ったお姉さんという認識しか持っていなかった。
このお話が来たときも高校生の頃、ドキドキしながらみていたあの番組の主題歌が身近で聞けるならという軽いノリでお受けした俺だった。
だからお客さんにも
『金田一さんの人です』
とアピールしていたのだが、それが大きな間違いであった事に昨日、気づかされた。
ライブの半ば、シンプルだが実に胸を抉る哀しい歌を茶木さんが歌いはじめた時だ。
 
『父さんゆるしてくださいな
 母さんゆるしてくださいね
 あなたにもらったものなのに
 そんな命を僕の手で、、、』

それは、東京五輪でメダルを貰った後、痛切きわまりない遺書を残して自死を遂げた円谷幸吉選手をたたえた『一人の道』という歌であった。
するとカウンターに座っていたお客さんから
『先日、NHKで放送された番組、みてました』
という声がかかった。
今年のパラリンピックに出場した選手の心を支えた歌としてこの歌が取り上げられBSでイルカや泉谷しげると共演して、歌ったらしい。
知らなかったのは俺だけだったのか、ライブにいらしたある程度の年配の人は皆、茶木みやこの代表曲はこの『一人の道』であると認識し、円谷選手の歌を知っていた。
昭和46年頃、京都を中心に『ピンクピクルス』という名前で活動し、この歌はミュンヘン五輪の頃、ヒットしたらしい。
当時10才だった俺はピンクピクルスより天地真理のようが好きだったからなぁ、、
実際、聞かせてもらうと鳥肌がたつような歌であった。
それは上手いとか下手とかを超越したもので圧倒的なリアル感で俺に迫って来る歌だった。
シンプルだが難しい歌だ。
こんな歌が身近で聞けたなんて、実に幸せな事であったとライブが終わった次の日にしみじみと実感している俺だ。


勿論、
『金田一さん好きのマスターに』
という前置き付きで二曲もテーマソングを歌ってくれた事は言う迄もない。
その後、ファミレスで打ち上げをし、俺が
『茶木さんの事を演歌の大月みやこさんと勘違いしてた一時期があった』
と言うと大爆笑してくれ、
『明日からのライブのMCに使わせてもらうわ』
と言われた。
最後まで、返す返すも無知な俺であった。


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