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2010/08/03(火)
マスターができるまで 1
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祖母の口癖は 『私はリンキというものをした事がない』 であった。 ちなみにリンキは悋気と書き、嫉妬の事を言う。 『女のリンキほどきたないものはない』 ともよく言っていた。 その都度、あの人はこうだった、この人はどうだったとリンキにまつわる顛末を語り、最後は 『見苦しやのぉ』 で締めくくる。 子供心によくその話しを聞かされていた俺はリンキというものは人をして鬼に変じせしむ悪魔のように思っていた。 祖父は若い頃から色の白いイロ男で鳴らしており、東京の歯科大学を出てお茶の水にある歯科医院に勤務医として勤めていた頃などはうっそりと茂った前髪を小粋な女物の和櫛でまとめあげで診療するようなダテ者であった。 そんな祖父だったから秘められた色恋話の一つや二つあっても不思議はなかったのだが寡聞にして俺は聞かされていない。 ただ、物心ついたときからわが家には『ゆうさん』と呼ばれている戦争未亡人のおばさんが出入りしていた。 ゆうさんは決して美しいひとではなくどちらかと言うと眉と生え際の薄いほお骨のとびだした大柄な醜女であった。 アッパッパと呼ばれていた簡易服を着ておりムスッとした何を考えているのか判然としない表情はどこかの原住民を連想させる風貌であった。 生来、蒲柳の質であった祖母のため、家事の手伝いをさせると言う名目での出入りであったのだがそのくせなにをする訳でなく子供の俺に必要以上に甘えた声をだして 『坊ちゃん、ココア、飲みますか?』 と聞いてきては祖父専用の応接間に勝手に出入りして、茶箪笥からココアのパウダーを取り出して牛乳のはいった鍋を火鉢にかけて時間をかけココアをこしらえてくれたりしたものだ。 その都度、祖母は 『ゆうさん、ありがとうなぁ。 でも、善洋のもりはこれからは嫁さんにさすけん、あんたはなんもせんでええんよ』 とやんわりと、感謝しつつ拒否するという離れ業を演じていた。 ゆうさんも負けてはおらず、 『出過ぎた事をしました。 こらえてください』 と神妙な声を出していたがしばらくすると、また 『坊ちゃん、プラッシー、ほしゅうないですか?』 と食い物で俺を釣るのだった。 本来なら例え、祖母といえど勝っ手に応接間を使用したら、祖父の逆鱗に触れることは必定なのだが、俺のためにココアを作ったりジュースを飲ませたりするという名目での出入りならさしもの祖父も文句のつけようがない事を、知り抜いた上のゆうさんの行いであった。 いわば俺はゆうさんの優越感の出しにされていたわけだ。 祖母はと言えば、そこがあたかも、自分にとってもっとも忌避する場所であるかのごとく応接間には近づこうとはせず、奥の六畳の部屋で足の不自由な叔母と世間話に興じている振りをしていた。 『おばあちゃんも呼ぼうよ』 と俺が言うと、ゆうさんは広い額にこれみよがしな皺を作り、 『おばあちゃんには内緒じゃけん』 とささやくように言った。 ゆうさんは俺がビロード製の長椅子に座ってココアを飲んでいる間、祖父が大切に収納している骨董品のはいったガラスケースを、開ける事こそ控えていたが、ガラスに両手を押し当てて食い入るように眺め 『先生はご趣味がええなぁ」 と、それこそ文字通りため息をはくような感じで賛嘆したりしていた。
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