マスターのひとりごと
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2011/04/24(日) 微笑みがえし
キャンディーズのスーちゃんが亡くなった。
キャンディーズと言えば俺が高校の頃、「普通の女の子になりたい』という名言を残し、解散した超人気アイドルグループだ。
『微笑みがえし』はそのキャンディーズのヒット曲のタイトルを随所に織り込んだラストシングルだが、スーちゃんの急死に伴ってなつかしの映像、みたいな感じで最近よく目にするようになった。
着信ランキングでも圏外から一気に30位内に急上昇したというからその人気の程が偲ばれる。
聞いていると30年の歳月を隔てているにもかかわらず、歌詞を全て諳んじており、自分でもあらためて、驚いたりしている。
『微笑みがえし』がヒットしたのも4月で、聞いていると、当時が余計しのばれて、俺もそうだが50才掛けもつれのおじさんには、懐かしさも一入だろう。
歌詞の
 
 あの三叉路で私達、お別れなんですね

というフレーズが切ない。
30年前にスーちゃんがくれた「微笑みがえし』を今度は俺達が送ろう。

2011/04/22(金) ヤンシコ
バイトの高校生から聞いたのだが、ヤンキー指向の強いヤツの事を高校生(中学生もか)は少々の軽蔑を込めて
『ヤンシコ』
というらしい。
ヤンシコは表面では仲間扱いされても、本物の友達とは認められないそうで、例えば
『花見しようぜ』
とヤンシコが声を掛けても
『いいね。そのウチにね』
と同調はしても決して実行はしない。
しかも、ヤンシコだけ除外して花見は実行されるそうで、その事を無言の了解で仲間達はヤンシコに知られる事を恐れて、ブログにも書かないという周到さだ。
俺達の頃はヤンシコには、言われない尊敬と恐れのようなものがないまぜになった感じを抱いていたものだが、(俺はそうでもなかったが)今の子は冷静というか、現実を見ているというか。
「ヤンシコ」。
立ちどころに若い子は若い子の言葉を作る。
それだけは昔も今も変わらないけれど。

2011/04/16(土) リバウンド
平日はプール、土曜は生け花というのが最近の定番だが、今朝、花を買いに行ったところ、花屋のおじさんに
『マスター、アンタいつまでたってもリバウンドせんなぁ
いつになったらリバウンドする予定?』
と聞かれた。
『ワシはアンタが絶対リバウンドすると思うとったんじゃけど、ワシの予想は外れたなぁ』
おじさんはそんな事を言う。
意地でもリバウンドはせんぞと、固く、改めて、誓った今朝の俺だった。
ちなみにおじさんは肥満をお医者さんから禁じられたおり半年で6キロの減量を申し渡されたところ、先日、計測したら反対に4キロ増えていたそうで、近日中に予定されている病院訪問を苦痛に感じているとの事だった。
まぁ人にはいろんな事情があるんだね。

2011/04/15(金) 続・さっちゃん
昨日の『さっちゃん』話しの続編。
さっちゃんのデビュー曲は『うそつきカモメ』という歌。
東京オリンピックのあった昭和39年の事だ。
そして、デビュー40周年を記念して出したCDが『孔雀』。
これはさっちゃんの長い下積み時代(母曰く泥鰌すくい時代)を描いた自伝的演歌で
  
  一人ぼっちで泣いていた
  母の手紙を何度も読みかえし
  明日は帰ろう、歌など辞めて
  鞄に詰め込む赤い靴

  生きる事は死ぬ事よりも
  悲しい事だと知ったけど
  それも昔、 
  昔の話し
  抱きしめたいほど懐かしい

     作詞、荒木とよひさ
 
と言った切ない歌詞が胸を抉る。
なんでタイトルを「孔雀」にしたのかというインタビューを受けて、さっちゃんは婉然と微笑み
『デビューはカモメだったから40年たったら孔雀になれたかなと思って』
と答えた。
その年の暮れには紅白でも歌唱したが、あいにく電気系統の故障かなにかで、衣装転換がうまく行かなかった。
それを受けてさっちゃんは
『やっぱりまだ孔雀にはなれてなかったですね』
と苦笑していた。
その笑顔もさっちゃんらしかった。

2011/04/14(木) さっちゃん
俺の母は小林幸子を『さっちゃん』と呼ぶ。
彼女のプロ根性に限りない尊敬の念を抱いて呼ぶ『さっちゃん』だ。
今でこそ紅白になくてはならない、常連のさっちゃんだが、ヒットがなく、どさ回りをしているころ、岡山の健康ランドに来た事があった。
たまたまそのステージを母が見ていた。
持ち歌はあっても知らない歌ばかりで、さっちゃんは健康ランドの、お世辞にも行儀がいいとは言えないお客の前で他人のヒット曲を幾つも歌い、手ぬぐい一本を器用に操り、泥鰌すくいまでやって座を盛り上げた。
会場がやんやの喝采で沸き返った事は言うまでもないが、その会場で、さっちゃんは
『今年は紅白を辞退しましたが、来年はお呼びがかかったら出たいですね』
と挨拶をした。
勿論、辞退などしておらず、なんのヒットもない彼女は下馬評にすら登っていなかったのだ。
会場のお客さんも、それが遥か彼方の叶うはずない遠大な夢と知ってて
『楽しみにしているよ』
と言った。
ところが翌年、さっちゃんは「おもいで酒」で空前の大ヒットを飛ばし、念願の紅白の舞台を踏む事ができた。
俺が弱音をはいたり、マスターとしてあるまじき発言をしたりした時,母が決まって俺に言うセリフはこの時のさっちゃんの健康ランドの逸話だ。
『もしあの時、さっちゃんがなんぼ、うとうても売れんから歌なんかやめるわぁ言うてあきらめとったら、翌年の紅白はなかったんで。
売れても売れんでも投げやりにならず、22や23の女の子が泥鰌すくいまでやってのける根性、
この根性があったからこそ、世に出る事ができたんじゃ。
それがアンタには足らんのんじゃ。』
子供の頃から苦労の連続だった母には、きっとさっちゃんの長かった下積みが人事ではなかったのであろう。
しかし、『おぼっちゃま』のなれの果てである俺にはなかなか、さっちゃんのような根性が生まれてこず、母には歯がゆい思いをさせている。
今回の震災でもさっちゃんは、大量の無洗米と饅頭を持参して避難所暮らしを余儀なくされている被災者の元を慰問に赴いた。
あまつさえ、お年寄りの好む演歌をアカペラで歌ってあげるというサービスまで添えてだ。
大物になっても、謙虚な精神を忘れていないさっちゃんである。
そのニュースを聞いた母は、我が事のような顔をしてこう言った。
『やっぱりさっちゃんじゃ。
泥鰌すくいの精神はいまだ健在じゃ』

2011/04/12(火) 商売、商売
今朝の話しだ。
いつものようにプールに行ったら、おばさんから
「アンタの店のコーヒー、美味しい言う評判じゃなぁ、豆の引き売りもしてくれるん?」
と、聞かれた。
「してますよ」
と答えたところ、
「じゃぁ明日の朝、ひいたヤツを持ってきて」
と言われた。
どこのお客さんがいるかわからないから面白い。
商売、商売。

2011/04/09(土) 思いだせない
若い女の子から、いきなり『昔バイトしてた人で××××って人、知ってますか?』と聞かれた。
咄嗟に思いだせず『えーと、、』と言いよどんでいたら不快そうな顔で『忘れられてるわ』と言われた。
『お知り合いですか』と聞いたら『旦那です』と答えられてびっくり。
非礼を詫びてその人の年齢とか住まいとか克明に聞いても、それでも思いだせない俺。本当にその人はウチの店でバイトしてたのだろうか?
それとも、俺のボケもいよいよ深刻になったのか。
前者であったほしい俺だ。


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