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2011/04/14(木)
さっちゃん
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俺の母は小林幸子を『さっちゃん』と呼ぶ。 彼女のプロ根性に限りない尊敬の念を抱いて呼ぶ『さっちゃん』だ。 今でこそ紅白になくてはならない、常連のさっちゃんだが、ヒットがなく、どさ回りをしているころ、岡山の健康ランドに来た事があった。 たまたまそのステージを母が見ていた。 持ち歌はあっても知らない歌ばかりで、さっちゃんは健康ランドの、お世辞にも行儀がいいとは言えないお客の前で他人のヒット曲を幾つも歌い、手ぬぐい一本を器用に操り、泥鰌すくいまでやって座を盛り上げた。 会場がやんやの喝采で沸き返った事は言うまでもないが、その会場で、さっちゃんは 『今年は紅白を辞退しましたが、来年はお呼びがかかったら出たいですね』 と挨拶をした。 勿論、辞退などしておらず、なんのヒットもない彼女は下馬評にすら登っていなかったのだ。 会場のお客さんも、それが遥か彼方の叶うはずない遠大な夢と知ってて 『楽しみにしているよ』 と言った。 ところが翌年、さっちゃんは「おもいで酒」で空前の大ヒットを飛ばし、念願の紅白の舞台を踏む事ができた。 俺が弱音をはいたり、マスターとしてあるまじき発言をしたりした時,母が決まって俺に言うセリフはこの時のさっちゃんの健康ランドの逸話だ。 『もしあの時、さっちゃんがなんぼ、うとうても売れんから歌なんかやめるわぁ言うてあきらめとったら、翌年の紅白はなかったんで。 売れても売れんでも投げやりにならず、22や23の女の子が泥鰌すくいまでやってのける根性、 この根性があったからこそ、世に出る事ができたんじゃ。 それがアンタには足らんのんじゃ。』 子供の頃から苦労の連続だった母には、きっとさっちゃんの長かった下積みが人事ではなかったのであろう。 しかし、『おぼっちゃま』のなれの果てである俺にはなかなか、さっちゃんのような根性が生まれてこず、母には歯がゆい思いをさせている。 今回の震災でもさっちゃんは、大量の無洗米と饅頭を持参して避難所暮らしを余儀なくされている被災者の元を慰問に赴いた。 あまつさえ、お年寄りの好む演歌をアカペラで歌ってあげるというサービスまで添えてだ。 大物になっても、謙虚な精神を忘れていないさっちゃんである。 そのニュースを聞いた母は、我が事のような顔をしてこう言った。 『やっぱりさっちゃんじゃ。 泥鰌すくいの精神はいまだ健在じゃ』
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