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2007/02/01(木)
コガネメキシコインコ ななごんの記録@
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しばらく自分のためだけに文章を書いてみようかと思う。 ななごんを忘れないために。 書くだけ書いて気がすんでから、どうするか考えることにした。
コガネメキシコインコ ななごんの記録
@ そもそもの始まり 2003年の春は気が抜けると同時にゆとりがあった。 気ぜわしかった学校役員さんの役目も引退できて時間的にもゆとりができた。 今年はじっくり読書でもしようかと思っていた。 そんなある日、生き物図鑑を見ていた小2の末っ子が言ったのだ。 『セキセイインコを飼いたい』 迷った。 セキセイインコには苦い思い出があった。 小学校の高学年頃から中学生頃にかけて、自分はセキセイインコを何羽か飼い続けていた。 親が転勤族で転校も多かったから、親しい友人はいなかった。 愛しいほどまでに懐いてくる小さな鳥が家で待っていてくれることは、それはこの上なく幸せなことだった。 しかし、当時正しい飼い方を書いた本があったわけでもなく、親だって詳しく知っていたわけでもない。 なにせ子供の頃のことだから、正しい世話の仕方をしていたわけでもない。 人間の食べ物も食べさせていた。 それが鳥にとって最悪の飼い方だという意識もなかった。 ただただ可愛かった。 自分を慕ってくれていた手乗りのセキセイインコたちは2年もたたないうちに落鳥した。 そのたびに泣きはらした。 最後の鳥が落ちたときにやっと悟った。 もう、鳥を飼うのはやめよう。 しかし、セキセイインコが心を癒してくれるほどによく懐くということは十二分に体感していた。
さて、末っ子がセキセイインコを飼いたいと言い出したことをどうとらえるか。 べったり懐く鳥にする方法は知っている。 しかし、またすぐに落ちるかもしれない。 末っ子は昔の私のように泣くかもしれない。 子供にはそんな体験も必要だ。 そんな体験くらいしていないと、そして、生き物が愛しいと感じる心が育たないと、人の心がわかる大人にはなれない。 かといって、子供の教育のために鳥の命を犠牲にするのも嫌だ。 だから、鳥の正しい飼い方の本を読みあさるようになった。 セキセイインコのセイちゃんを迎えてからも読書は進んでいった。 ちょうど中型鳥や大型鳥についてある程度詳しく書かれた本は出版された頃だったので、夢中で読んでいた。 それだけでは足りなくなって、インターネットで調べたり、HPを探検したりし始めた。 とりあえずオカメインコを2羽迎えた。 オカメたちはすぐに言葉を覚え、口笛演奏もし始めた。 それどころか、オカメの紅君に至っては、セキセイインコのセイちゃんに覚え立ての言葉や口笛演奏を聞かせ続け、メスのセキセイインコはお喋りや口笛演奏を覚えた。 自分が持っていた常識がくつがえされた。 セキセイインコのメスは喋ることなどできないと思い込んでいたのだ。
さて、読書する中で一番目に付いたのがコガネメキシコインコだった。 目の覚めるような色合いに心を奪われた。 写真を食い入るようにながめていた。 こんな綺麗な色をして、コロコロ転がって懐いてくる鳥が本当にいるのだろうかと憧れを抱いていた。 毛引きしたり、迫害されたりしているオウムたちが存在することも知った。 子供の頃に読んだ『宝島』に出てくるオウムって本当にいるんだな。 でも、人間のエゴでひどい目に合っている鳥がたくさんいるんだな・・・などと、漠然と思っていた。 しかし、その頃は別の世界の話のように感じていた。 だいたい田舎のペットショップではそんな鳥たちにお目にかかったことはない。 黄金色の美しい鳥も、白いオウムも見たことは無かった。 その年の秋には富山にもホームセンターが運営する大きいペットショップが開店したが、期待もしていなかった。 富山で珍しい鳥を売ろうとしても欲しがる人はまずいない。 富山県人は新しいものにすぐに飛びつくたちではないのだ。 2003年はそうして暮れた。
写真撮影日2004年3月11日お迎え数日後
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