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2007/02/03(土)
コガネメキシコインコ ななごんの記録B
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B 凶悪魔鳥ナジラ コガネメキシコインコの『ナナちゃん』ではしっくりこないが、とりあえず『なな子』と呼んでいた。 正直、始めはその大きな嘴が恐かった。 肉をえぐられるのではないかと用心した。 先住の鳥たちを傷つけるのではないかとも思った。 ショップで羽を切られていたから、半年くらいは飛ぶことはできなかったが、ケージの掃除をしていると指に絡み付いてきて嘴で邪魔をしてきた。 痛かったが、穴は空かなかった。 他の鳥を追い払うことはあってもいじめはしなかった。 割とおおらかだったのだ。 ペレット主食への切り替えもそれほど難しいことではなかった。 シードはおやつ程度。 その他は果物だ。 お子ちゃまはよく遊ぶ。 遊びながら学習する。 袋に入って遊んだりもしていた。 だんだん指を噛む力もセーブするようになった。 痛くない。 そして、羽が生え変わり色も鮮やかになり、飛ぶことができるようになった。 元気に飛び回って遊んでいた。 毎晩肩にかけたタオルの下にもぐりこみ、背中に貼り付いて寝てしまった。 おんぶインコだ。 就寝前にケージの中に戻して 『お休み』 と言って寝かせた。
自分は大型オウムにもあこがれてはいたが、本当に迎える気はなかった。 無理だと思っていた。 大型オウムは長生きだ。 ただ、一度お目にかかって遊んでみたいとは思っていた。 ところがだ、何のお引き合わせか知らないが、なな子がいたペットショップにたまたま行ったら目の前に毛引きでハゲハゲのオウムが現れた。 チェーン店からしばらく預かっていたというオウムに偶然出くわしたのだ。 それで、またまたレスキュー気分になってしまった。 ・・・・・・・ http://www1.coralnet.or.jp/monmon/bird/julia2.html
1年間にレスキュー気分で迎えた鳥が計4羽となった。合計7羽。 なんでそうなったのか、さっぱりわからないまま2004年は暮れた。
2005年の2月に、つまり2年前に長女がHPを作ってくれ、日記を書くようになった。 始めのうちは不慣れだった。 HPにはアオメキバタンのジュリアのことを主に書いていたが、家に訪ねてきた人がまず驚いたのはTシャツの襟首に片足をかけてぶら下がっているオレンジ色の鳥だった。
そんなある春の日、なんだか疲れてソファーに横になり、なな子と一緒にお昼寝としゃれ込んだ。 すると、なな子が指の上にオシリをゴシゴシこすりつけて尾羽をふり始めた。 ・・・・・ あ・・・オスだ・・・・ 君、男の子だったんだね。 それで、語呂合わせをして『ななごん』と呼ぶようになった。 そのころから、ななごんは家族を襲うようになった。 私の肩に止まっているところに不用意に家族が近づくと、飛びかかって行った。 オスがパートナーを守ろうとする行動だ。 威嚇し、飛び掛る。 だから末っ子が怒って言った。 『凶悪魔鳥ナジラだ!』 気をつけていれば大丈夫だったが、一度長女が不用意に顔を近づけたとき、目を狙って襲い、コンタクトレンズを弾き飛ばした。 オスのコガネは注意が必要だ。 かといって、パートナーは絶対に噛まない。 つかんでも平気だった。
秋頃からはHPの日記で富山弁を喋らせるようになった。 2005年のクリスマスにはウロコのきゃっちもやってきて、名コンビになった。 そして、2005年も暮れた。
写真撮影日 2005年12月21日
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