DIARY
日記というか写真集…ときどきマンガ
ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2007年2月
前の月 次の月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28      
最新の絵日記ダイジェスト
2008/02/08 現在移行中
2008/02/07 ご協力お願いいたします
2008/02/05 ジュリアDELLを破壊する
2008/02/03 家族やわ
2008/02/01 同時放鳥

直接移動: 20082 1 月  200712 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200612 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1 月  200512 11 10 9 8 7 6 5 4 3 月 

2007/02/08(木) 薄い頭
紅君のちょっと薄い頭・・・

2007/02/06(火) コガネメキシコインコ ななごんの記録D
D結局泣きはらしたのは自分だった。
都会には鳥にも詳しい経験豊富な獣医さんがなんとかいらっしゃる。
しかし、富山でたよりになっている獣医さんはまだまだ勉強中だ。
素人判断で行った給仕をしなければ、ななごんはもう少し持ちこたえていたかもしれない。
結局泣きはらしたのは自分自身だった。

しかし、なぜななごんは真菌症になったのだろう。そして、食滞を起こしたのだろう。
世話の仕方は?掃除の仕方は?食べ物は?
ストレスを与えるようなことはしていなかっただろうか?
異物を飲み込んでいた可能性はないだろうか?
色々考えてみた。
数冊読み返して、気にかかったのは以下の文。

胃腸炎
・梅雨時や夏場の気温や湿度の高い時期には痛んだ餌や水を口にすることによって起こる場合が多く見られます。。
・特にペレットが主食の場合は湿気ったりしないようしっかり管理します。

胃腸炎は真菌症・食滞とも関係している。
水は大丈夫だったか?
鳥達はよくペレットを水につけて食べているから、汚れているようなら朝晩取り替えている。
ななごんだけが食べていたものはなかったか?
ななごんは大型オウム用の餌も少しは貰っていた。
乾燥バナナ・アーモンド・落花生
卵の黄身・さつまいも・・・
しかし、いずれも少量。
ジュリアが食べ残したゆで卵の黄身をつまみ食いすることもあったが、時間がたったようなものは食べさせていない。

そう思ったとき、気付いた。
ななごんはおやせのジュリア用に用意した、ハイエネルギータイプのペレットを毎日つまみ食いしていた。体力をつけるのにいいだろうと許していた。
しかし、そのペレットをジュリア自身はなかなか食べず、次第にシードの量が多くなっていた。
そのペレットは地元のペットショップで購入したものだった。開封したのは去年の6月頃。
その前まではネット通販で買ったものを使っていた。
買い物ついでに買ってきたものだった。
すぐに匂いをかいでみた。
すっぱいような変な匂いがする。
すぐに通販で買った同じタイプのペレットを開封し、匂いをかいだ。
香ばしい、いい匂いがする。

これか!

すぐにジュリアのペレットを新しいものに取り替え、シードの量を減らした。
ジュリアはペレットをたくさん食べた。

よく考えてみればわかることだ。
地元のペットショップで、大型鳥の、しかもハイエネルギータイプのペレットを買うものなど自分しかいないではないか。
いつ仕入れたかわからない古いものだったのだ。

素人判断だから、絶対にこれが原因であると断定はできないが、可能性は高い。

今頃気がついても、もう手遅れだ。
取り返しはつかない。

だが、これを読んだ方で、鳥さんにペレットを与えている人がいらっしゃるのなら、確認して欲しい。
ペレットは古くなっていないか。
湿気ったりしていないか。
変な匂いはしていないか。

お話にならない失敗談だが、参考にしていただければありがたい。



御礼
この度はたくさんの方からお悔やみ・励ましのメールをいただきました。
『泣いてしまった』
『ななごんのファンでした』
と言ってくださる方もおいでになり、驚くとともにたくさんの方々にななごんが愛されていたことを痛感いたしました。
思いつきのままに書いてきた日記ですが、これほど楽しんでいただけていたということを知り、驚くとともに、感謝の気持ちもどう表現してよいかわからないほどでした。
少しは元気が出てきたように思います。
ありがとうございました。

写真撮影日時 2007年1月25日 午後7時15分
       撮影者 末っ子のむっち
ななごんがどこかに飛び立っていった直後の写真
今日もむっちはななごんの遺骨が入った袋に手を合わせ、「お休みななごん」と言ってベットに行きました。
優しい子です。

2007/02/05(月) コガネメキシコインコ ななごんの記録C
文章が書き進まなくなることを『筆が止まる』という。
鉛筆やペンで書いている場合も妥協して『筆が止まる』でもいいとして、
Wordで書いて・・・いやキーボードで『打って』いる場合も当てはまるのか??
『打ちが止まる』・・・・・???
新しい言葉だ。

Cななごんは見栄張る君だった
2006年前半 ななごんは大いに元気だった。
毎朝巨大溜め糞をこき、あちこちの止まり木や肩の上でラブゲロを吐き、その度に拭いていた。
異変が起きたのは7月1日。
膨羽・嗜眠の症状がみられ、翼を時々痙攣させていた。
すぐにプラケースの中に移した。
餌はよく食べているように見えたが、『食べているふり』だった。
シードの中身は砕いて下に落としていた。
ペレットも食べるふりをして砕いているだけだった。
鳥は見栄張りだ。
獣医さんのところに連れて行って糞の検査をしてもらった。
『まだ糞に異常は見られないが、薬を出しておきます。よくならなかったらすぐに連れてきてください』
ということだった。
薬は飲ませていたがよくならない。
黒い糞をするようになった。
粘り気のある透明な液体を吐き出した。
2回目に連れて行ったときに真菌症だという診断が下った。
そのう検査もしてもらった。
真菌はしつこい。
しかし、なぜ真菌が増えたのか。
塩分が入っている人間のものは食べさせてはいなかった。
ペレット主食。シードはおやつ。あとは果物。
家族が落花生を食べていると持っていってしまうことはあったが、量は制限していた。
それでも多すぎたのだろうか?
ストレスになることでもあったのだろうか?
クラミジア(オウム病)に感染している可能性はないだろうか?
しかし、ななごんは鼻水もくしゃみもしていなかった。目に異常も無かった。
下痢もしていなかった。
投薬期間中も結構元気だった。
飛び回ってもいた。
朝晩体重測定もしていた。
だいたい朝は116g 晩は126g
110gを切るようならフォーミュラを少々強制給餌した。
よくなったり、悪くなったりしていた。
何が原因だったのかわからないまま、10月いっぱいまで投薬は続いた。
調子を崩してから4ヶ月たっていた。

11月に入ってからやっと、おおむね元のななごんになった。
「おおむね」というのはちょっとだけ元気が無いように見えたからだ。
朝一の巨大溜め糞は以前より若干小さかった。
「ラブゲロ」もあまり吐かなくなった。
投薬期間が長かったから、体力が落ちているのだろうと思っていた。

12月に入ってななごんは突然吐き戻しをした。
ラブゲロではない。
また急いで獣医さんのところへ連れて行った。
今度は『そのう炎』という診断だった。
また、投薬だ。
しかし、このときはすぐによくなった。

またしても疑問がよぎる。
なぜそのう炎をおこしたのだ?
どこかに病気を持っているのだろうか?
疑問と一抹の不安を抱えながら2006年は暮れた。

さて、2007年。
1月24日は忙しい日だった。
しかし、その日にまたななごんは吐き戻しをした。
飲んだ水を吐いたのだ。みかんの汁が混ざっていた。
異臭はなかった。
糞の色も正常。下痢もしていない。しかし普段より量が少ないかとは思っていた。
またそのう炎かと思ったが、その日は獣医さんには連れて行けなかった。
体重だけは量った。
夜の体重122g。
昨日の夜は127gもあったのに変だな?と思った。
逆に127gという数値も変だと思った。重すぎる。
確かによく食べてもいた。
ケージを覗くといかにも『ちゃんと食べているよ』と言いたげに私のほうを見ながら食べていた。
『食べているふり』ではなかった。
翌25日
朝、ケージを覗くとななごんがまた大量に吐き戻しをしていた。
やはり前の日に食べたみかんの汁が水で薄まったような液体だ。
粘り気は無かった。
糞も量は少ないが正常な色だった。
すぐに体重を量った。
108g。
なぜ122gから108gに一気に減るのだ?
しかし、この日はかかりつけの獣医さんは休業日だった。
休業日診療をお願いする留守電を入れたが、すぐに連絡はこなかった。
フォーミュラを少し強制給餌したが、これが返っていけなかった。
命取りになったとも言える。
ななごんの調子は急激に悪くなっていった。
じりじりするままに時間はたっていった。
それでも午前中は元気に飛ぶことは出来た。
この日も忙しい日で、どうしようもないままに時間ばかりたつ。
夕方、獣医さんからの連絡を待ちきれなくなり、別の獣医さんに行ってみることにした。
ついたのは午後4時過ぎ。
診察室でも、まだななごんはちょっとは飛んだ。
とんで上着に飛びついてきた。
ななごんは食滞をおこしていた。
竜骨突起を触ると突き出していた。
体重はあったが、実際には痩せていたのだ。
助からないことがほとんどですと言われた。
家に帰りついたときはまだななごんは止まり木に止まってプラケースに寄りかかっていたが、足にほとんど力は無かった。
ケースの下に下ろした。
目を閉じてじっとしている。

午後7時過ぎ。ななごんを見ていた末っ子が呼んだ。
『ママ!ななごんが動いた』
ななごんは這うように動いていた。
急いで手に乗せた。
するとななごんは翼の筋肉をはばたくように
バタバタバタ バタバタバタ バタバタバタ
と3回ふるわせた。
そして千の風になって、どこか見えない空間に飛んでいってしまった。
ななごんは最後まで見栄張る君だった。


写真撮影日 2006年11月2日

2007/02/04(日) 只今推敲中
一番辛いところにさしかかって続きを書くのに時間がかかりそうです。
只今推敲中。
続きは数日後にUPしようと思っています。

追求するのは「ななごんがなぜ落ちたか」ということ。
その原因らしきものを発見しました。
悔しい気分で、自己嫌悪にさいなまれています。

写真撮影日 2006年10月25日

2007/02/03(土) コガネメキシコインコ ななごんの記録B
B 凶悪魔鳥ナジラ
コガネメキシコインコの『ナナちゃん』ではしっくりこないが、とりあえず『なな子』と呼んでいた。
正直、始めはその大きな嘴が恐かった。
肉をえぐられるのではないかと用心した。
先住の鳥たちを傷つけるのではないかとも思った。
ショップで羽を切られていたから、半年くらいは飛ぶことはできなかったが、ケージの掃除をしていると指に絡み付いてきて嘴で邪魔をしてきた。
痛かったが、穴は空かなかった。
他の鳥を追い払うことはあってもいじめはしなかった。
割とおおらかだったのだ。
ペレット主食への切り替えもそれほど難しいことではなかった。
シードはおやつ程度。
その他は果物だ。
お子ちゃまはよく遊ぶ。
遊びながら学習する。
袋に入って遊んだりもしていた。
だんだん指を噛む力もセーブするようになった。
痛くない。
そして、羽が生え変わり色も鮮やかになり、飛ぶことができるようになった。
元気に飛び回って遊んでいた。
毎晩肩にかけたタオルの下にもぐりこみ、背中に貼り付いて寝てしまった。
おんぶインコだ。
就寝前にケージの中に戻して
『お休み』
と言って寝かせた。

自分は大型オウムにもあこがれてはいたが、本当に迎える気はなかった。
無理だと思っていた。
大型オウムは長生きだ。
ただ、一度お目にかかって遊んでみたいとは思っていた。
ところがだ、何のお引き合わせか知らないが、なな子がいたペットショップにたまたま行ったら目の前に毛引きでハゲハゲのオウムが現れた。
チェーン店からしばらく預かっていたというオウムに偶然出くわしたのだ。
それで、またまたレスキュー気分になってしまった。
・・・・・・・
http://www1.coralnet.or.jp/monmon/bird/julia2.html

1年間にレスキュー気分で迎えた鳥が計4羽となった。合計7羽。
なんでそうなったのか、さっぱりわからないまま2004年は暮れた。

2005年の2月に、つまり2年前に長女がHPを作ってくれ、日記を書くようになった。
始めのうちは不慣れだった。
HPにはアオメキバタンのジュリアのことを主に書いていたが、家に訪ねてきた人がまず驚いたのはTシャツの襟首に片足をかけてぶら下がっているオレンジ色の鳥だった。

そんなある春の日、なんだか疲れてソファーに横になり、なな子と一緒にお昼寝としゃれ込んだ。
すると、なな子が指の上にオシリをゴシゴシこすりつけて尾羽をふり始めた。
・・・・・
あ・・・オスだ・・・・
君、男の子だったんだね。
それで、語呂合わせをして『ななごん』と呼ぶようになった。
そのころから、ななごんは家族を襲うようになった。
私の肩に止まっているところに不用意に家族が近づくと、飛びかかって行った。
オスがパートナーを守ろうとする行動だ。
威嚇し、飛び掛る。
だから末っ子が怒って言った。
『凶悪魔鳥ナジラだ!』
気をつけていれば大丈夫だったが、一度長女が不用意に顔を近づけたとき、目を狙って襲い、コンタクトレンズを弾き飛ばした。
オスのコガネは注意が必要だ。
かといって、パートナーは絶対に噛まない。
つかんでも平気だった。

秋頃からはHPの日記で富山弁を喋らせるようになった。
2005年のクリスマスにはウロコのきゃっちもやってきて、名コンビになった。
そして、2005年も暮れた。

写真撮影日 2005年12月21日

2007/02/02(金) コガネメキシコインコ ななごんの記録A
A 無知VS無知
変革の年は2004年だった。
何を思ったか自分でもわからないのだが、年明けの2日に郊外にある老舗のペットショップに行った。
そして、明らかに売れ残りだったテンニョインコを見つけて迎えることにした。
ケージの札に『女の子』であると書かれていたその鳥はオスだった。
http://diary2.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/midagaharan/?Y=2007&M=1&D=2
ま、とにかくテンニョインコのベル君がやってきた。
レスキュー気分だった。
べたべたにはならないはずのテンニョインコはすぐに自分の名を覚えて喋った。
『ベル ベルっちゃん』

2月に旦那さんが言った。
『結婚20周年記念に宝石を買ってあげるよ。』
しかし、私はいらないと言った。
宝石を持っていないわけでもなかったし、使わないものはいらなかった。
そのときは本当に無駄遣いをしたくなかっただけだった。

3月に入るとテンニョインコのベル君に長い長い尾羽が生えてきて、ケージにすれるようになって来た。
背の高いケージが必要になった。
それで、新しい方のペットショップに行ったのだ。
老舗の方のショップには適当な大きさのものがなかったからだ。
すると、前に来たときにはいなかった鳥がいた。
コニュアだということはすぐにわかった。
背中は緑色、頭部は黄色と緑のまだら模様。
綺麗な鳥とは思えなかった。
ケージの札にはこう書いてあった。
『ナナイロメキシコインコ 名前はナナちゃんです 1月8日入荷』
やっぱりコニュアだった。
しかも、入荷してから2ヶ月たっていた。
入荷した時には雛餌を食べていたそうだ。
この子もベルのようにきっと売れないだろうな、と思った。
ケージに指を入れてみたら、穴は空かなかったが痛くかんだ。
キィー!キィー! と叫び声もけたたましかった。
値段も高かった。
こんな鳥誰も買わないだろうと思った。
綺麗でもないし、叫ぶし、噛むと痛い・・・・。
コニュアは欲しかったが、その子はコガネではなかった。
しかし、家に帰ってから旦那さんに言ったのだ。
『宝石の代わりに鳥を買ってもらってもいいだろうか?』

ナナイロメキシコインコも十分に可愛い。
どこかのHPで見たことがある。
コガネメキシコインコとそれほど変わらない。
実はベルのときの勢いで、レスキュー気分で迎えることにしたのが本当のところだった。
鳥に詳しい店のスタッフなら、雛のうちからステップアップの練習もしただろう。
しかし、店員さんたちは特に鳥に詳しい訳ではなかった。
ナナイロメキシコインコのナナちゃんは広めのケージには入っていたが、小型鳥用の細い止まり木に止まっていた。
寝袋もなにもなかった。
誰も買わないだろう。
このままにしておいたら、かわいそうだと思ったのだ。
今なら、ネットで調べれば、コガネやナナイロの雛の写真を見ることができる。
しかし、3年前は価格表くらいしかなかった。
羽が生え変われば羽色も変わる種類だということを自分は知らなかった。
ナナイロとコガネの雛の色合いの違いも知らなかった。
勿論、お店のスタッフも知らなかった。
ナナイロメキシコインコでもよかった。
コニュアなら何でもよかったのだ。
そのときは、そう思っていた。
そう思い込んでいた。
そう思って迎えようと思った。

無知な店に無知な客は値引き交渉を試みた。
このときはすずめの涙ほどだけ引いてもらい、売れ残りのセキセイインコを1羽おまけにつけてもらった。

写真を撮ってからさっそくナナイロメキシコインコを持っている方のHPに写真を貼ってごあいさつをした。
うちも迎えました。よろしくお願いします。
そしてやっとわかったのだ。
ナナイロメキシコインコのナナちゃんはコガネメキシコインコだった。

棚から牡丹餅 天からコガネ
それは突然太陽から降りてきたような、明るく輝く宝石だった。

写真撮影日 2004年5月4日

2007/02/01(木) コガネメキシコインコ ななごんの記録@
しばらく自分のためだけに文章を書いてみようかと思う。
ななごんを忘れないために。
書くだけ書いて気がすんでから、どうするか考えることにした。

コガネメキシコインコ ななごんの記録

@ そもそもの始まり
 2003年の春は気が抜けると同時にゆとりがあった。
気ぜわしかった学校役員さんの役目も引退できて時間的にもゆとりができた。
今年はじっくり読書でもしようかと思っていた。
そんなある日、生き物図鑑を見ていた小2の末っ子が言ったのだ。
『セキセイインコを飼いたい』
迷った。
セキセイインコには苦い思い出があった。
小学校の高学年頃から中学生頃にかけて、自分はセキセイインコを何羽か飼い続けていた。
親が転勤族で転校も多かったから、親しい友人はいなかった。
愛しいほどまでに懐いてくる小さな鳥が家で待っていてくれることは、それはこの上なく幸せなことだった。
しかし、当時正しい飼い方を書いた本があったわけでもなく、親だって詳しく知っていたわけでもない。
なにせ子供の頃のことだから、正しい世話の仕方をしていたわけでもない。
人間の食べ物も食べさせていた。
それが鳥にとって最悪の飼い方だという意識もなかった。
ただただ可愛かった。
自分を慕ってくれていた手乗りのセキセイインコたちは2年もたたないうちに落鳥した。
そのたびに泣きはらした。
最後の鳥が落ちたときにやっと悟った。
もう、鳥を飼うのはやめよう。
しかし、セキセイインコが心を癒してくれるほどによく懐くということは十二分に体感していた。

さて、末っ子がセキセイインコを飼いたいと言い出したことをどうとらえるか。
べったり懐く鳥にする方法は知っている。
しかし、またすぐに落ちるかもしれない。
末っ子は昔の私のように泣くかもしれない。
子供にはそんな体験も必要だ。
そんな体験くらいしていないと、そして、生き物が愛しいと感じる心が育たないと、人の心がわかる大人にはなれない。
かといって、子供の教育のために鳥の命を犠牲にするのも嫌だ。
だから、鳥の正しい飼い方の本を読みあさるようになった。
セキセイインコのセイちゃんを迎えてからも読書は進んでいった。
ちょうど中型鳥や大型鳥についてある程度詳しく書かれた本は出版された頃だったので、夢中で読んでいた。
それだけでは足りなくなって、インターネットで調べたり、HPを探検したりし始めた。
とりあえずオカメインコを2羽迎えた。
オカメたちはすぐに言葉を覚え、口笛演奏もし始めた。
それどころか、オカメの紅君に至っては、セキセイインコのセイちゃんに覚え立ての言葉や口笛演奏を聞かせ続け、メスのセキセイインコはお喋りや口笛演奏を覚えた。
自分が持っていた常識がくつがえされた。
セキセイインコのメスは喋ることなどできないと思い込んでいたのだ。

さて、読書する中で一番目に付いたのがコガネメキシコインコだった。
目の覚めるような色合いに心を奪われた。
写真を食い入るようにながめていた。
こんな綺麗な色をして、コロコロ転がって懐いてくる鳥が本当にいるのだろうかと憧れを抱いていた。
毛引きしたり、迫害されたりしているオウムたちが存在することも知った。
子供の頃に読んだ『宝島』に出てくるオウムって本当にいるんだな。
でも、人間のエゴでひどい目に合っている鳥がたくさんいるんだな・・・などと、漠然と思っていた。
しかし、その頃は別の世界の話のように感じていた。
だいたい田舎のペットショップではそんな鳥たちにお目にかかったことはない。
黄金色の美しい鳥も、白いオウムも見たことは無かった。
その年の秋には富山にもホームセンターが運営する大きいペットショップが開店したが、期待もしていなかった。
富山で珍しい鳥を売ろうとしても欲しがる人はまずいない。
富山県人は新しいものにすぐに飛びつくたちではないのだ。
2003年はそうして暮れた。

写真撮影日2004年3月11日お迎え数日後


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.