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2011/07/14(木) 509 お帰りなさい
女房の父親が7月11日午前1時17分に亡くなった。98歳。
病室で死亡確認する女医が、「自宅でこれまで、よく頑張りましたね」と語りかけていた。

6月30日まで自宅で一人暮らしをしていた。泣き言を言わない頑張り屋だ。一緒に食事をしたり、交代で寝泊まりしていたが、一人でいる時の不安や病状の進行などで、最近では少し弱気を見せることも。

入院見舞いに行くと、入浴の後。「もうくたくただ!! 」と、吹っ切れたような表情で話していたのが印象的だった。入院したことで、さまざまな心配から解放され、緊張の糸が切れたような、達観したような雰囲気を感じた。

11人兄弟の2番目。180センチを超す長身。その兄は私の父と秋田中学同期で同様の偉丈夫。戦陣では先頭を切って突進すると、同窓生のだれしも疑わない勇猛な男。硫黄島で帰らぬ人となった。

父は滅多なことで、戦争の話はしなかった。女房の父親は朝鮮に出征していた当時を、ただ一度も口にすることはなかったらしい。
これが戦争の時代を生きてきた大正生まれの矜持であろうと思う。

病院暮らしはほんの12日間。そして眠るような穏やかな表情で旅立った。13日の昼、ほぼ2週間ぶりで住み慣れた自宅に帰ってきた。

喪主が胸に抱えた遺影は、私の父が撮影したスナップを拡大した。
さまざまな縁を感じる。


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