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2011/07/15(金)
510 プラスマイナスゼロ
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私は、祖父の生まれ変わりなんだそうだ。 私が生まれ落ちたことによって祖父があの世に押し出された、あるいは祖父がこの世とおさらばしたので、私のスペースが生まれた……
“トコロテン式”のルールがこの世にあるとは思えないので、単に亡くなった日と誕生日が相前後したということを言っているにすぎないが……
最近、関係者の父母だけでなく、若くして亡くなる関係者の葬儀に参列する機会が多くなった。そんな際に、涙を誘うものに幼子からのお別れの言葉がある。あるいは、遺族に抱かれた赤ん坊がむずかったりするシーンに出くわしたりする。
葬儀というものは、生と死が交差する場だとつくづく思い知らされるのは、死の意味を知ってか知らずか、様々な表情を見せる幼子たち。
“むずかる”声に切なくなったり、反対に眉をひそめる向きもあるかもしれないが、それは、お別れの言葉以上に、旅立つ人へのこれ以上ない励ましになろう。なにせ、生まれ変わりの肉声なのだから……
身近な人の死と前後して、身近なだれかが生まれる。身近にいる人の自然動態は+−ゼロになる。こんなことに思い当たりませんか。
無くなる人がいれば、生まれる人がいる…… 自明のことなのだが、身近にそんな均衡をみいだして心の平穏を保つ。そんなメカニズムがあるのでしょうか…… 義理の父親の葬儀が滞りなく終了です。 ひ孫ちゃんも元気に参列しました。
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