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2015/01/17(土)
1791 大震災
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20年前の今朝、阪神淡路大震災が起こった。当時、私は新聞の紙面づくりを担う整理部にいた。共同通信社からの速報があって、号外発行のネットワークに組み込まれていた私は電話で叩き起こされたのだ、と思う。
TVを点けたが、早朝で取材体制も整っていない。手近な阪神地域の人気のない早朝の街を映すだけだった。明けきってないモノトーンの街は静まり返って、動画なのに静止画像に見えた。もどかしさや不気味な予感が……
徐々に明らかになる惨状。胸が潰れる思いで会社に駆けつけた、と思う。 20年前のこと。記憶はかなり風化していて、具体的に何をしたか定かでない。
整理マンの視点は、被災状況をストレートにビジュアルで伝えることであるから、悲惨であればあるほど紙面もそれを伝える忠実な画像でなければならない。 画像や記事の選択に押し付けはなかったか……
新聞社を定年退職し読者として迎えた3.11。大揺れの中、解体途中のビルが倒壊する恐怖におののきながら見上げていた。1.17の前と後で新聞の伝え方に変化はあったのか……
紙面には限りがある。画像や記事のネタはあふれるほどある。取捨選択が、意図的な報道の自由や、報道しない自由になっていないか…… 細分化する読者ニーズに応えられているか…… 多メディア化が進む中で考えさせられます。
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