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2016/08/14(日)
2364 墓参り
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墓参りに行くと、必ずと言っていいほど合う人がいる。当たり前といえばその通りというしかないが、時間をきっちり待ち合わせたわけでもないのに不思議だ。
我が家の場合、出発する時間を決めていない。私の「この入力作業が終わったあたりに出ようか」などとかなり曖昧。言葉に詰まればどんどん時間が押していく。
そんな調子で出かけるものだから、昨年と同じ方に合うと「何で!何で! 」と不思議な思いになる。そちらの家族にも時間が押した事情でもあるのか、と。 その方がご家族とご一緒だったりすると、彼、彼女が家族というジグゾーパズルの1ピースであることを知って、あらためてその方の家族という存在に思い至る。
娘の家族や、今度結婚するんだよという息子を紹介されると、嬉しい気になる。この時期、ニュースで読み上げられる“善男善女”“老若男女”の正体ここに見たり、という感慨に襲われる。
“善男善女”“老若男女”。ニャーニャー、ミャーミャーという猫の鳴き声のような正確な読みが身に着いたのはかなり後。固い板だと、踏んだら、ゴムでできた湯たんぽを踏んでしまったような、グニャグニャ、フニャフニャした語感がとても嫌いだ。
かっちりした硬質的な読みにならないものか、と思うが、せん無きこと。この時期、墓参りに集う人々を見て善男善女老若男女とお経のようにつぶやいている。 そしてご先祖様の霊を慰める人々が当たり前にいることに、感動している。
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