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2021/03/16(火) 戦争はイカン
 曇り空で寒くもあったが昼過ぎから駐車場の側溝掃除をしてみる。ご婦人でも手伝いがいると作業は楽なものだけれど側溝の上に雪がありそれを片付けなくてはならない。雪はだんだん増えて1m近くあり重い。その内に融けるということに気が付いたのは半分ほど雪をぶち投げた後だった。それでも側溝上を流れた杉の葉が溜まるところは片付けた。「もういいや」と決めてそこを離れた。後5mなのだと少し未練だった。
 ご婦人は雪の下から顔を出すフキノトウを探しに出張してしまったので今日の仕事はこれまでだった。
 母方の伯父二人の行動簿やら軍歴確認簿などを開いてみた。ひとりはS19年7・10、ビルマモーニンでの戦死。そしてひとりの伯父はS19年応召されスマトラから旧満州に送られて敗戦、ソ連軍に武装解除されハバロフスク州ムリ―地区でS22年3月戦病死していたことが確認された。当人も残された家族も無念であったのだと思う。それでも旧軍の部隊の行動簿を読みこなすのにもう少し時間がかかるようだ。読んで行くとビルマもハバロフスクでも日本の兵隊は空腹と病気に悩まされたことが分かる。インパール作戦の牟田口中将は戦後長く生きたのだが兵隊は可哀そうであった。昔昆明から車を頼んで外国人の入れないビルマに入ったことがある。そこで顔にタナカを塗った女性に怒られながら拾って来た石を伯母に渡したことがあった。そこはモーニンに近いところだと分かったし、亡くなった兄がハバロフスクからシベリヤ鉄道に乗ったことを思い出して何だか繋がっているな〜と思うのである。


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