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2020/07/19(日)
昔の汲み取りを…
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日差しを見て嬉しいのとは今日のような日のことを言うのだろう。なんたって日の力の強さを思った。 昨日の便所のくみ出しで思い出したことがあった。大昔、栃木県鬼怒川の源流付近でアルバイトをしたことがあった「八丁の湯」という温泉付きの山小屋で奥日光と遠く尾瀬の間にあった奥鬼怒四湯のひとつだ。八丁の湯、カニ湯、日光沢、手白沢。みんな個性的の温泉が湧いていた。青春のひとコマである。そうだ、この夏のうちに行ってみよう。若い私はいないけれど私が見た景色の少しは探せるかもしれない。鈴木芳夫という方はお父ちゃんと呼ばれた片腕のない方だった。今でもお父ちゃんのことは良く思い出す。50年も前の話で手白沢には新聞を広げたお爺さんもいた。思い出すにつけ良い思い出である。 八丁の便所のくみ出しは長い柄杓で人すくいずつ肥だるに移して天秤棒で運んだものだった。裏には使われていない古い自炊小屋があって、他人の話では昔根名草山辺りで亡くなった方を安置していたのだが引き取りてもなくそのうちに床の根太が死体の腐食で抜けたと聞いた。怖いので近づかないようにしていた。その小屋の脇を抜けて肥桶を担いだ。 当時のくみ出しは柄杓ばかりでクソの飛沫は飛んでくるしそれこそクソだらけになった記憶がある。でもイヤなのはイヤだがそんものかとも思っていた。汚れた衣服は穴を掘って埋めたことを思い出した。今と比べようもない大変な仕事だった。そんな記憶が残っているので今でも汲み取りは覚悟を持って行うのだろう。それでも食べることも出すことも同じように大切なことなのだとその度に感じる。だから終わった時はうれしいのだろう。 今日は小屋への水を通した。この晴れ間なのだから何かやらなければ後生が悪い!
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