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最新の絵日記ダイジェスト
2022/09/20 秋風
2022/09/16 手伝ってくれて感謝
2022/09/13 疲れたので、お風呂!
2022/09/08 軟になったということか!
2022/08/27 その後の状態報告

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2020/03/21(土) 渡り終えたオオルリが春を引っ張て来た
 あの鳴き声はどうもオオルリに違いないと耳をそばだてるのだけれど姿は見えなかった。その後昨日までは聞いたことのない声で鳴く鳥も探した。オオルリはこの裏の山で営巣して夏が過ぎる頃に南方に飛び立ってゆく。きれいな青い鳥で何と言ってもその声が心を沸き立たせるように感じる。オオルリが冬の巻き返しを終わらせるように鳴いた以上、冬の季節の幕は落ちたのだろう。
 昨日までのシジュウカラやヤマガラといったガラ類の鳥たちも混成で作った群れを解き放って面白可笑しく飛んでいるはずである。ここでも、津南でも町場だって飛び交う小鳥にエサ台を作って春の力を分けてもらうのが良いだろう。
 いや昨夜はいろんな人たちがいろんなお酒を飲んでいろんな笑い声で当もっきりやは賑やかだった。ひとりちょっと見のジョン・レノンが記憶に残っている。中軽の例の喫茶店にでも座っていたら写真を撮っても良いかと聞かれるぜ!ただ100円はしっかり貰いなさいと今時のちゃらちゃらしたお嬢ちゃんに遊ばれるなと釘を刺しておいた。
 ウスバサイシンの蕾が出ていた。去年の19号台風の土砂で埋まったところだがこれから気を付けてきれいにしておかないと蝶々の先生に怒られそうだ。
 ジョンはスーツケースを持った青年たちを指導して索道を渡り万歳なんかをして別れを惜しんでくれた。これで良いだろう!

2020/03/20(金) お客の来る前に
 今日はお客さんの見えることとなった。その前に少し書いておきましょう。
 トイレの通水をやる。少し寒いが大丈夫だろうと判断をした。
 長野のニチテックで簡易警報器の話を受けて2回目のゴミ捨てに出た帰り(これは有料の冷蔵庫など)にえど屋というラーメン店にて昼食。なにせ安い。こういったものが私は好きだ。昨夜のジンギスカンはひとりでは行かないな。それから中野、飯山を通って6時半にここへ着くと暮れかけていた。私の甥っ子は何となく大人びて良いのだけれど難しい質問にちょっと困った。子供のいる家庭ではそんな質問に答えなければならない親父は大変だとも思った。
 でお客の来る前に夕食の準備を始めることとする。

2020/03/19(木) 長野は夏だった!
  昨日は火災警報器取り付けの指導を受けに消防に寄り、野沢で風呂に入った。手ぬぐいは終日硫黄の香りだった。
 長野の甥っ子の引っ越し手伝いに出向き初めてというような感じでよく話をした。ちょっと面白い33歳だった。昨日と今日とで出来るだけの手伝いを終えて帰り着くと6:30を過ぎて暗くなる寸前に家に帰り着いた。
 何だか疲れたから今日は寝ることにします。ここから長野までは2時間と少しでもっと奴さんの処に行くべきだったなと感じながら軽トラックで帰って来た。
 今朝の長野の暑さは驚きだったし、奴さんのアパートの前を走る長野電鉄の音で目が覚めるのも30年ぶりの30体験だった。

2020/03/17(火) 昨日がウソだった!
 昨日の荒れ方が何処に行ったのかと思う日差しが降り注いでいた。それでも9時時点で0℃の気温である。
 先日消雪用のパイプを止めた。雪囲い板も外した。そういった後には必ず雪が降ったり大荒れになったりするものだ。左岸側の索道駅に向かう道の雪を掘って明日弟の甥っ子に会いに出る準備をした。明日の日記は書けないかもしれないけれど、どうでもいいかも知りませんな!
 明日は長野まで出るのだから野沢に寄ってお湯に入ってから久しぶりに甥っ子の顔でも拝んでこよう。明日の雪マークはそんなに恐れることはなさそうだ。しかし昨日の吹雪はこわかったな〜

2020/03/16(月) 真冬の吹雪に待ち伏せされた
 予報の雪は遅れて9時ごろから降りだし時間ごとに強さを増して午後の2時には荒れ狂った。車が強い吹雪に巻かれて凍り付くし、前進も後進もホワイトアウトに呑まれてこの冬最大の恐ろしさを感じる始末だった。何だいこの天気は!
 内科の予約で10時半に病院へ向かい、待たされること無く聴診器と血圧測定をして帰った。少し高いのは吹雪の為だろう。歯医者に向かった旦那とばったり会って大名かつ丼なんかで早めの昼を済まし温泉に向かうべく繋がるように秋山街道を下って来た。追いかける方は放されまいとついて来るのだが、私は追われて、逃げるように走らせるのだがとにかく秋山にかかると途端の爆弾低気圧のように天候が崩れ前も後ろも白い悪魔の中に取り残されたようになった。旦那はそのままゆっくりと走り去りあっという間に雪のベールの中に姿を消した。
 温泉から出るとハンドルも思うように動かずアクセルをふかしてもスイとは進まない感じになった。ところが国道に戻ると強風は時に収まり間隙をついて帰り来たった。
 それでも強い風の中索道を操って二人して帰り着いた。こんなひどい風が、雪が昨日までの暖かさの後で追いかけてくることに今でも驚いている。怖い自然の顔をみた。
 雪は8時頃まで降っていた。

2020/03/15(日) もっと謙虚に!
 学生だった頃、父に聞いたことがあった。「戦争前に、戦争に反対したことはあったの?」父は私を見て、そのまま顔を逸らした。
 今、私が生きていればだがこの後10年が過ぎた頃、誰かに同じことを聞かれるような気になった。その時、何と答えたらあの時の父の悲しさに報いることが出来るのだろうかと…
 世の中で強い流れを作る人がいて、その流れに同調する人がいて、遠い話だと知らんぷりする人がいて反対して獄に繋がれる人がいる。父が若かった時代と同じようなことが繰り返されようとしている気分なのだ。こんな時は外に敵を作ってひとつにまとまってワンチームと叫ぶ人の声の大きさに呑まれて行くのだろうなと思っている。国は新たな(大政翼賛会)のように集まって針小棒大に危機を煽るだけなのだろうか?余計なことを言えば国賊と斧を振るう民衆を作り上げようとするのだろうか?
 世界の政治指導者たちがおんなじ顔をして自国のことばかり守ろうとしてもそれは力の大小で優劣をつけるところまで行くのではないだろうか。津波や地震は一回で通り過ぎるけれども一端先端が開かれれば地震や原発事故が毎日続くことになる。そういった負のスパイラルに落ちる前に今こそ「もっと謙虚に!」ならなければいけない。
 晴れた空から差す日差しに昨日の雪はどんと融けて対岸には野性鳥類の観察をする車が見える。こんな時こそそんなふうに景色を眺めていなければならない。私はテレビボックスの前で空港ピアノや世界ネコ歩きを目を凝らして見ているだけだ!

2020/03/14(土) 思い出したひとつの浴槽
 前回よりも積もった感あり。ただこの雪は明け方からのもので水のような雪だった。トイレの水を通すかと思っていたが見ると0℃の外気でもう少し先延ばしすることにする。
 昨日和山で最後に田んぼを作った方が亡くなった。ご高齢でもあったのでしょうがないがどんどんなくなる方が増えるのは如何かと思う。こういったことは連鎖性もあるようなのでなるべく急行などに乗らずに鈍行で暮らしてもらいたいものだ。ご冥福を祈る!
 雪だから外に出る気もないのだけれど、夜に温泉に入りたいと思った。どこか温泉に入りたいと!気分が昂じて目が光った。あそこはダメ、あっちもダメ。いろいろ考えても良い温泉が消えて行くだけだ。と起き出して一杯飲んでまたぬくぬくと夢を見た。
 ひとつ浮かんだのは明け方の6時頃か。そこへ行くために地区の人に訊いてみた。入れるでしょうという。いろいろ集落のやり方があるようで宣伝する訳には行かないけれどそこへ調査に向かった。どうも勝手に入り込む輩がいるようで困っているとも聞いた。近くの方に打診して入浴の許諾をもらって小さな風呂に足を伸ばした。
温泉はひと月ぶりだ。冬の寂しい夜にたくさんあった温泉が入れないと言うのはこの地域の敗北である。どうにか温泉の暖かさを世界の方たちに与えて温めてあげたらよいと思いつつゆっくり温泉に浸かった。この温泉はまだ秘密である。心ある人にしか教えてあげないのだ!

2020/03/13(金) 何ですっぴんが終わっちゃたのか!
 NHKラジオの「すっぴん」が終わってしまった。この時代の息抜きのようなラヂオだった。世の中がグンと変わる節目にはこういったちょっとした本線を離れた話が消えてしまうものなのかと考えている。いや、大した番組ではないが私は私が見えないものを指し示してくれたラヂオだった。笑いが殊の外よかった。ただそれだけだけれども、何も止めることはないだろうと思っている。こう云った番組は庶民の息抜きで精神のバランスには欠かせないのだ。長寿番組がきっと革命を阻止して庶民の心を癒したのだと思う。若い人は革命を、老人は保守に繋がる思い出を夢見ている。時代がどんなに変わったとしても老人は三波春夫だったり美空ひばりだったり都はるみだったりしたところでの落としどころがある。若者の御贔屓は知らないが、この後50年もしたらきっと気が付くというものだ。その頃まだドイツだオースラリアだメキシコだジンバブエだモンゴルだミャンマーだと言っていたとすれば、わたくし、不肖長谷川は力及ばずに消えて行きます。ということだ。もう国境は無くならなければいけない。今の国はこれからのひとつの地方になって病気の地球を救わなければいけないと、ちょっとウイスキーを飲んだ私のシュプレヒコールです。

2020/03/12(木) ここでも9年が過ぎた
 今朝の積雪は昨日から2cmほどで気温は0℃でした。食事の用意が億劫なのでカレーを作ってから右岸に渡り昨日持ってこれなかった買い物を取りに出る。斜面の笹の茎も植木ばさみで切って引っかからないように整える。お客の為ではなくて私の為だ。
 それから索道駅の雪囲いシートを外し、雪囲い板を半分仕舞う。
 思えば9年前の深夜にドスンと突き上げられて長野北部新潟地震があった。忘れていた!大正の関東大震災の時、作家の井伏鱒二は早稲田の学生で郷里の広島に帰るべく不通となっている東海道線を避けて、中央線が立川から動いているというので名古屋へ向かった。列車が塩尻に着くとそれから先、松本方面は震災翌日に起った地震によって列車が不通になっていると書いた。彼は中央西線で名古屋に向かって郷里に数日後帰り着いた。という文章を読んだことがあった。9年前も東日本大震災の翌日に栄村と津南の地殻がずれた。糸魚川構造線もあるこの辺りの地質は何億年も前に太平洋プレートが日本列島にぶつかってできた跡で太平洋近辺の地震には影響されるということなのだろうか。タモリと違って地質に興味のない私には歴史を調べることによってその関連性が分かるのかなと頭を振るだけだが、安政の大地震の時にこの辺りで地震があったのかぐらいは調べてみた方が良いと思った。先には柏崎の原発もあるんだからと。物忘れの強い国民性なのだから、またぞろメルトダウンが起きた時に決死隊を要請することになるのは見えている。戦時中の特攻隊に向かわせたのとちっとも変わってはいないのだから。

2020/03/11(水) 町は平常だが心もとない静けさだ
 ここも暖かった。昨夜の月も朧に見えました。
 今朝、靴下の片方を履いていないのに気が付いて探し回ったのですが見つからない。となると世間ではアルツハイマーかボケかと心配してくれるのでしょうが、そうではない。私は靴下は2枚掃くのですがテレビなんかを見ていたのでそのせいだと探したのですが探し方が悪かった。掛布団の上の毛布に巻き込まれていたのでした。探し方の下手さ加減にちょっとイラついていました。
 雪しろは水量を減らしたもののまだ続いています。そろそろ解禁という頃なのですが川の状態を見誤らな様に竿を振ってください。
 眼科に寄ると津南病院は少し患者の数が少ないくらいでした。タイヤを直し飯山で免許証を受け取り久しぶりに買い物をして帰る。マスクはない。納豆が無いなと気が付いたがそれくらいで普通だった。
 そろそろもっきりや道の状況を見分してくるのと、「山房下」駅の雪除けシートを外し雪囲い板を片付ける準備をすることにしよう。

3月絵日記の続き


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