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最新の絵日記ダイジェスト
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2020/03/31(火) 明日から卯月、夏だ!
 昨日は嫌な夢の2本立てだった。ひとつは病院のベッドに寝ているのだが周りを動き回る医療スタッフはなんとシカゴカウンテー病院ERのスタッフなのである。大きなスクリーンの前に病院のベッドに寝ている私は何となく無力なのである。もう一本は郵便配達員のアルバイトに出た私である。当時も気の利いた配達員ではなかったが夢の中の私は把そく紐の郵便物を前に手をこまねいているのだ。これをどう配ってよいのかと立ち尽くしていた。何でこんなはっきりとした夢を見るのか何か理由があるのだ。病院の私は「ER」を見過ぎたせいだと思うのだがポストマンの夢はつながりが無いのだ。だからといっても、どうということはないけれど8時になると何となく外で機械の回る音がした。さてと思っただけだが起きて外を見るとどうも舗装の修理の車が動いている音だった。
 28日の雪は右岸ではほとんど消えた。左岸の北向きのここではもう少しかかりそうだ。家にへたり込んでいても悪い夢を見るだけだと思うのだが、本を読むのにも少し飽きた。
 里子に出したチョウだが気温が低く動かない。しょうがない、今年羽化したものとしてどうにかしなくてはならない。

2020/03/30(月) 晴れたのだ、ちょっとイグニッションを回してみた
 そろそろ本当の春の4月になるんだな〜気が緩んだり、気が縮こまったりといろいろあるけれど本当は何のダメージも受けやしないまだ弥生3月の内だ。そりゃ、都ではサクラも散るのだろうが、花はこれからなのだ。
 昨日の雪に滑って歩きずらかった。何せ踏ん張ると融けて滑るのだから始末に悪い。
 蕎麦をもって埼玉に売りに出る友達が売れ残ったそばを取りに来いという。押っ取り刀で出るのも面倒なので放っておいたが、昼に日差しが強まった。実はコタツ用の豆炭が切れた。そんなこともあって頂戴しに出た。タコの刺身やイカ天やコロッケなんかを買い求めて急いで帰った。その前に津南町足滝周辺にはスミレやカタクリの花が見えた。先だって気の早い蝶が羽化したのだからと持って帰りたいと思うのだが躊躇した。チョウは籠の中で早すぎた羽化で空を飛ぶことは出来ないかも知れない。先生の言うように標本となって今後の研究の縁になるしかないとしても飛べない分花の蜜を吸わせてあげたいものだと私は考えた。人間の身勝手な行為の中でつまらないチョウの命が弄ばれるのかと思うと明日、スミレやカタクリと云った野草を水盤に移して一滴の蜜を4ッつのチョウに味あわせてあげたいと思った。でもこれって実に身勝手な安全保障だと思った。でも一矢を報うのも生き物への連帯だと思った。明日も津南だとするとちょっと面倒なのだが!

2020/03/29(日) いろいろ考えちゃって眠れない夜に
 「すわり」の福一先生は14時になれば雪は止むさと言う。昨日からここでは30cmほどの雪でまず50cmは行くなというと先生はそんなに積もらないと言った。で、14時になったら雪は止んだ。恐るべし老人!だと感じ入った。今はここでも世界中のどこでも気候変動やら疫病の蔓延やらで大変なのだ。
 思うに、現在世界中ではオリンピックという競技は眼中にはないのだろう。アスリートという人が目指そうが努力しようがそれはいっときのお祭りでしかないじゃないか。むしろこの期に及んでオリンピックという競技が一部の国と放送会社に牛耳られていることを正し、平和の祭典というのならどうあるべきなのかを考え直す切っ掛けにしなければならないと思うのだ。
 またこの疫病は世界の在り方を再構築するチャンスなのかもしれない。例えば国境を越えて蔓延する病気に対してボーダーって何だろうか!ということを。
 日本だってこの機に社会の現状を確認すること出来るのかも知れない。一流企業の労働者が社会を作って来たのではなく、フリーランスという働き手が企業や社会を支えていたのだということなのだろう。何の保証もない中で1000円ほどの時給でだ。
 雇用を守ると言っても企業に属す正規の労働者でなくてすべての労働者に及ばなければならないだろう。国が作った膨大な大赤字の上にまた上積むようなら不公平なものであってはならないのじゃないかな。
 今の状況が国民の目を開かせ、それと共に進む政治や行政や企業を作り上げるためならば国が一時どん底に落ちたとしても復活のための試練であればよいと思う。今の子供たちの為に、30年後に世界の手本となる社会を作り上げてくれるのなら上々なのだ。
 昨日暢気にやって来たお客は今日の大雪で必死の思いで対岸に渡った。自然の気まぐれと怖さと気候変動の気持ち悪さを体現したことだろう。私は見渡せる部屋から渡り終わるまでず〜と見ていた。手助けはしなかった。苦労は自分でするものだから…
 この大雪も、疫病もイライラしながら大人になるチャンスなのだろう。ひとつの地球の為にさ
 71歳になった元全共闘の成れの果ての一言がこんなことを言わせて、老婆心だな〜

2020/03/28(土) 昨日に比べるとずいぶんと冷えた
 少しゆっくりするつもりで寝ていると携帯っがちゃらちゃらと鳴った。お泊りの要請で先達て亡くなった雄山荘の御主人へ線香を手向けに来るという。それで泊まれるかということだった。ここは流行のウイルスも希釈されている土地だしせっかく線香を手向けに来てくれる方に粗相も出来ない。昼過ぎには到着というので9時に起きて掃除をしたり見栄を張ったりとちと忙しかった。お客は食事はいらないと云うのでこちらとしては呑気なものだ。
 雨は降らずにあったけれど日が暮れる頃になるとぽつぽつと降りだした。予報では山間部では大雪もあるというが左程冷えもせず、大雪にはならないだろう。羽化したチョウにしてはここに来ての雪は存在の危機でもある。降って積もれば多分この春を越せないだろう。生き物の世話は何かと面倒である。でも乗り掛かった舟だから逃げる訳には行かない。それが渡世と言うのも出もある。

2020/03/27(金) 雨の降る前に、トイレを抜いた
 12℃近い南風が強く吹いて、予報の雨は未だ降り来たらないので、その間隙を縫ってトイレの便槽を抜いた。ポンプにホースを取り付けるのだがそのホースが左こめかみに降って来た。結構硬いのだ。たんこぶが出来て口が大きくあかない。それだけだから仕事を続けた。
 便槽の汲みだしは電気の汚物ポンプに変えてからとても楽になったが今の時期はくみ出し用の延長パイプを使えないので雪に穴を開けて処理した。この月末に来そうな客もないので横着をした。
 小津の「彼岸花」の中で佐分利信扮する平山は箱根に家族サービスに来ていた。田中絹代が扮する女房がこう言う「あたしねときどきそう思うんだけれど、戦争中ね敵の飛行機が来ると急いで防空壕に駆け込んだことがあったじゃないの。戦争は嫌だったけれどときどきあの時代がなつかしくなるの」「オレはあの自分が一番嫌だった。物はないし、つまらん奴がいばっているしね」「でもあたしはよかった、親子4人があんなにひとつになれたことはなかった」という場面がある。娘二人はボートに乗って手を振っていた。
 戦争というものは生き残った人にしてはそういう風に感じることがあるのだろうかと思った。戦後13年すると人は落ち着いて前を見るしかないのだろう。どんなことでも時間薬が解決するのかも知れない。ゆっくり時代を見ておかなければならない。

2020/03/26(木) もっきりや道の残雪多し
 昼にもっきりや道、川西道の様子を見に出た。途中まで除雪の跡があったけれど先日の雪で開通は遅くなりそうだ。何時かと問われれば、そうね4月の10日から20日の間になるだろうと思われる。去年の19号台風で1mほど道が狭まった個所があるので安全を期して雪が消えてからの工事となると思うのだ。それともっきりや道の自然融雪を考えると致し方ない。何枚か写真を載せたのだが急いじゃイカンと感じた。
 索道で右岸に渡ると昨日の雪は消えて車を仁成館の駐車場まで上げることが出来た。ごみを捨ててチョウの蛹のことを聞きに行くと持って来てくれた籠の中で何と羽化していた。外は先日の雪もあって花が無い。困っていろいろと相談した。どうにかするしかないのでせっかくの命を守るべく鉢に入った花を買って来ることにする。チョウの写真は掲示板に載せておいた。
 和山によって魚釣りの人がいるかと聞くと、先日23,4の雪の中で十何匹かの岩魚を釣り上げた人がいたようだと聞いた。ここなら流行の病気にもかからずにたくさん釣れればそれが一番の薬になるというものだと話した。

2020/03/25(水) 晴れて、気温も上がって
 友人は積雪は50cmと言うのだけれどまず20〜30cmといったところだ。いや、吹き溜まりなら50も積もっているけれど均せばずっと少ない。朝に福一先生から早朝に除雪が入ったと連絡があった。
 私のところは北向きだけれど右岸側は南向きで昼前に中津川をわ渡った頃には雪も日に当たって融けだしていた。堰堤の上に置いた私の車でも上がれないことはなかったが明日のゴミ捨てまで伸ばせばもっと雪は消えると踏んで無理はしないことにした。すき焼きは鍋にうまく残っているので今夜はうどんでも入れて最後のすき焼うどんとして平らげることにする。
 6日ぶりにひとりになってホッとしてもいる。一応掃除だ食事だ片付けだとこれでも忙しいのである。6時半を過ぎて外は暗くなったようなのでまず成瀬己喜男の「浮雲」でも見るかとDVDを探してみた。
 さて明日はもっきりや道の状況確認をしてからごみを捨てついでにチョウの放蝶の相談にでも行くかと思っている。

2020/03/24(火) 案の定、太郎の屋根に雪降り積む
 そういえば21日に津南の先生はこの寒波の吹き出しを懸念していた。やはり地元の苦労人の経験値の高さに頭が下がる。
 私と云えば先日にオオルリも鳴いたし渡りで子育てをする鳥たちの声に冬は去ったと安直に思ってしまった。23・4年ここにいたって目の付け所が違うものだと感心している。
 昨夜からの風の強さのせいか積雪は朝方で20cmほどであった。風は昼には落ち着いたが今度は雪の降り方が強まった。昨日車を堰堤の上に下ろしたが2日は動かせないと思っている。明日、明後日は陽が差すというからその状況を見て仁成館の駐車場に戻しておくべきと思う。何せ天候を読めない地球環境の変化なのだ。お姉さんはこの雪を面白がって、ハワイの友人にインスタグラムというもので動画を送って喜んでいた。
 世の中はやれオリンピックだ新型だと騒がしいが私にしてはこの雪の方が大問題なのだ!しかし昨日のすき焼き京都風は美味かった。死ぬまでにもう一度食べたいものだ。焼肉はもういいけれど!

2020/03/23(月) 今夜の雪は侮れない
 日が変わってしまったけれど昨日のような落ち着いた深夜とはなっていない。雪の降りだしから1時間もして積もり始めている。とんだ天気である。明日は30cmの積雪だろう。
 古い友人がやって来てすき焼きを食べさせてもらった。牛肉というものは美味いものだ。同行のお姉さんが言うには世界のこの先の在り様はもっと謙虚であるべきだという。同感であるがそう単純なののではないと70歳を超えた老人は思う。彼女は日本人の謙譲の美徳というか他人を押しのけない姿が行きわたったら良いのではと問うが答えられない。その夜古い友人が小屋に引きこもった後で小津安二郎の「晩春」をお姉さんと見ていた。日本人の戦後4年の交わす言葉に戦争の影は見えなかった。日本の謙虚さというか戦争で痛めつくされた後に来た平安の中での暮らしは、戦時中の軍部や警察や行政の圧迫からの解放だったのではないかと気が付いた。日本人はアメリカと戦ってはいたけれども日本という国が引っ張っていた古い封建的な体質をまず第一に嫌っていたのだと気が付いた。戦後直近の社会は食べることと落ち着くことに全神経を向けていたから戦時中のことをあっさり忘れたのではないかと「晩春」をみて思った。これは儒教的な民主主義ではないだろうかと。少し酔ってはいるが!

2020/03/22(日) 5年後の地区総会に思いを馳せた
 出かけるのが少し遅れたけれど屋敷地区の総会の日であった。私がこの地に来てから20数年が経ったのだからそれだけの回数、地区総会に出たことになる。以前は元気な先輩が多くさんいて新入りの私なんか居るだけで何だか圧迫感を感じたものだ。このところその先輩方が少なくなった。それでもまだ32世帯(その内が二十数世帯が現住ということになる)が地区費を払っている。日本中のどこの山間地集落もここと同じように住民の数は減り続けている。
 そんな総会で話され、協議される議題も5年後や10年後の地区の在り方や状況を考えて地区の維持管理の方程式を作って行かなければならないだろう。今はまだ平時なのだからあるときドンと減る住民の出る戦時のことを準備しなければならないだろう。
 いや、ちょっと遅きに失した感もあるがそれでも今日から始めるべきなのだろう。これは村が指し示すことだが、会議ではまとまりそうもないかも知れないな?もっとも穿った見方をすれば世界の経済とか環境の変化で都会の住人がこぞって押し寄せないとも限らない。
 良寛ではないが、何もしないで終わりを待つも良し、何かして失敗するも良し、突然の人口流動で大忙しになるも良し。とも考える。太平洋岸では桜が満開になったところもあるという。今年の桜はあっという間に散るぞ!

3月絵日記の続き


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