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最新の絵日記ダイジェスト
2022/09/20 秋風
2022/09/16 手伝ってくれて感謝
2022/09/13 疲れたので、お風呂!
2022/09/08 軟になったということか!
2022/08/27 その後の状態報告

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2020/04/19(日) 重機と軽トラを引き取って来た
 県及び村からの要請が強くなって連休中の営業を中止するようにと放送と文書が送られてきた。でありますから営業は自粛するようになります。それでも「絶対」が付くのは如何と思いますが地方では治療用の呼吸器も少ないのと病院で働く方たちのことを思えば致し方ないのだと考えます。しょうがないでしょう!でも、これって長引きそうですね。9月、もしくは12月、さて年を越えて来春までも続くかも判りません。上手く生き延びて来た戦後世代ほここでつかまったのです。来年の冬はひどいことになるのですね。
 津南に下る道で見たサルたちにも注意喚起をして見玉辺りからサクラが咲きだして、反里口の「お堂の桜」は満開一歩手前でした。晴れていたら良かったのですがもう一回下る予定があるので天気を見てさっさと行って来ましょう。
 帰りのもっきりや道に残った残雪は軽トラのタイヤで突破してもっきりや前に持ってきました。

2020/04/18(土) 雨らしい雨だ!
 昨夜は強風。今朝は強雨。気温は8℃。暗い空で面白くない日である。そう言えば下界の桜も散ってしまったのだろう。また来年ね、と言ったところだ。
 この雨の降り止む時もあるだろうしその間を見計らってミニバックを持ち込んでもっきりや道の残雪をキャタで踏んで車を通したいと思った。客が来ようが来まいがいつもの準備を終えておけば貧乏の理由を外に求めることも出来る。この間川西道ともっきりや道を歩いてみるとやはり看板や警告ロープを付けておいた方が親心だろう。来る人はおのれの経験を使ってゆるりとやって来ればよい。くれぐれも怖いから迎えに来いとは言ってもらいたくない。

2020/04/17(金) 非常事態宣言と国家総動員法
 今日の暖かさにはホッとするものがあった。思わずもう降らないぞと実感した。明日も明後日も気温が下がる予報はない。な〜に思うようには行かないのだから、適当によろこんで適当に打ちひしがれていれば良いのだろう。もしかして明日以降は暑くて暑くてシャツ1枚になったりすることだってありうる。そうなったらまた泣いたりする振りでもして遊ぶしかないだろう。
 昨日見て来た台風被害の個所に警告用のロープを張って来た。ついでに雪の上に灰を撒いたらというご指導を受けて担いできた。少し足りなかったが灰がたりないというより気のまわし方がたりなかった。
 ところで今日の午後、長野県知事から非常事態宣言に関してのアナウンスがあった。こういった発表というものは戦前の国家総動員法のときと大して違わないのだろうと感じた。ここは一応宿泊施設で予約の問い合わせもあるのだが不要不急の移動を控えろと行政は言う。真に受けて全滅するのも困るし、医療関係者の苦労を思うと勝手なことも出来ないしといった気持ちの揺らぎが出て来た。戦前の政府の方針を半信半疑でながめていた父たちも気がつくと劣勢の戦況で空襲に生きた心地がしなかったようだし、まさかオレは大丈夫だと思いつつ時代の噴流に流されるのが庶民なのだなとも感じた。でも戦争とは違うのだからと思いつつ、SF小説のような敵との対峙には岡田春恵さんのような指揮官がいればな〜と思うばかりなのだ。今の参謀本部の将軍ではちょっとお坊ちゃんだし、 指揮官が悪いと戦場では兵士はたくさん死ぬと何時かおやじさんは言っていたっけ…
 何を書いているのかわからなくなっちゃったけれど、今日は山でウグイスが鳴いていた。ケッキョ ケッキョ ケッキョ キキキーと鳴いた。決起、決起、決起、と新選組の局長ーと聞いちゃったのだ。まだ余裕はあるな。

2020/04/16(木) 気温が上がるも寒さは続く!
 気温は8℃ほどです。しかし寒いのであります。4月に入って何回も雪が積もるのは異常ですが降ってしまったのだからしょうがない。
 もっきりやへの道を確認に出るのでした。秋山林道はカーブミラーも設置されて川西道も通れます。去年の19号台風で抜けた個所もどうにか通行は出来ます。イワウチワの花もひとつふたつの花を見るだけでこの寒さで開花は遅れています。久し振りに天空を飛びぬける飛行機も見たのです。めずらしく見ていると雲の中に消えて行きました。でも良いものです。大空を切り開くように飛ぶ飛行機は夢を見せてくれます。落ち着いたらもう一度あれに乗って何処かへ行きたいものです。
 もっきりや道は2か所雪が残っている個所があります。重機を持ってきたらガラガラ残雪の上を行き来すれば道は出ると思います。でも、以前の道と変わっていないので下手な運転では怖い、怖いと何回も思うのです。そこが「来るなら来てみろ もっきりや」たる所以なのです。重機の持ち込みを津南の先生と相談しますからもう少し、今しばらくお待ちください。
 風呂に入って、3日振りですがビールなんかを飲んで少し足りないからウイスキーを少し足してしまいました。つまり良い気分なのであります。今朝玄関を開けると四十雀やら山雀などの雀類の集団が100羽以上集まって飛んでいたり、昨日の山鳥の遺骸がきれいに無くなっていたりまだまだ寒いと生き物は緊張を解かないようです。人と違って野生の生き物は環境を理解しているようです。偉いものです。
 今朝は昭和26年から40年頃まで家族で暮らした中野区栄町の都住のレイアウトを思っていました。家の前に拍子木を打ち鳴らす宗教の信者がいたり、越中ふんどしだけで道に水を撒くおじさんがいたり、カンズ〜オ〜と山形の方言で息子を呼ぶおばさんがいたり、鉄道公安官の伯父さんが見せてくれた回転式の拳銃だったりと寝ては起きたりしながら朝までウトウトしていました。私らの家の間取りを思い出して書いていました。何と云うかまだ元気なせいかそういった来し方を毎日書きなぐってこの時期を過ごそうとしています。外出規制も私にしてはここにいるせいか充分に楽しく過ごしているのです。
 これといって長生きを願うのではありませんがの、元気であれば生きていても良いと感じています。

2020/04/15(水) 朝はまだ、昨日の雪も、氷おり
 今日は晴れて気温が8℃に上がる。それでも寒かったのかもっきりや道の積雪は消えてはいないように感じられる。
 日にちを間違えた。早ったがとにかく持って行ったのだからゴミはステーションに置いて来た。すみません。索道に乗った時にトビが堰堤上の手すりから飛び立って行った。あれと思ったのだが右岸についてみるとそこに山鳥のメスが死んでいるのだった。トビはようやく見つけた上等の餌を私に邪魔されたことになってしばらくその山鳥の上を円を描いて飛んでいた。誰かを訪ねようかと思ったのだけれどそのまま帰ってきた。
 湯の桜は少し紅く色を感じるのだけれど明日も天気が芳しくないようなのでまだ咲くなとまだ声をかけた。するとやはり20日になるかな「湯の桜」

2020/04/14(火) 「どうにもならないじゃない」
 15cmの雪は覚悟していたのだけれど800m弱の標高のここでは5cmというところで降り止まった。気温も0℃ほどで寒い。でも栃川のひだまりでは20cm近くも積もって除雪車も出たという。1000m辺りでは積もったのだ。これからは何でもありの時代になるのだなと覚悟をするのだけれど、さて何をしてどんな覚悟をすればよいのか一向に分からない。つまり以前は「如何にかなるさ」と言っていれば諦められたのだけれど「どうにもならないじゃない」という返事が帰って来るばかりになるのだろうか。何しろ地球上には70億人以上の人間が生きているのだから、そう言えば、「どうにもならないじゃないの」ということが分かるだろうと思っている。
 来年のことは言えないけれどもし上手く生き延びれたら「どうにかなったじゃないか!」と言ってやることにする。多分5分、5分だな!

2020/04/13(月) 雪だ、嵐だ、震度4だとどうなっているのだ!
 曇り時々雨。夜になって雨は雪に変わりぼたぼたと積もり始めた。おまけに長野北部で震度4の地震も起きてどうなってるの!と不審に思っている。揺れはここでは一切感じなかったけれど心配した人から連絡が入って来た。こうなると何でもありの世情になって何をどう心配すればよいのか気を揉むのすら面倒になる。まっ、そん時はその時で雪の降る夜に動くわけにもいかずに腹を括るしかないのだ。人は出会いたくなくっても出会うときは巻き込まれてしまうもので、こんな山のなかに居る以上それも織り込み済みということだと思う。いざという時は身体がちゃんと対応するものでその感覚を信じるしかない。
 村ではこの連休(ず〜っと連休みたいなものだが)のお客さんの対応について打診があった。今週中に予約を受けるか否かを村の方針として決めるという。どうしようもなく困れば対応しなければならないが安直に予約者を受け入れることは出来なくなりそうだ。病院では患者が来れば逃げることはしないで対応するのだし、ここまで来て日が沈んで先に進めない人が来ればそれはしょうがない4人までは個室として医療従事者のお面をかぶって覚悟するしかないのだけれど、ちゃらちゃら遊びに来る方に対してはお帰りなさいとご指導することになる。お客も大変だがこちらも大変なのだ。ガスは使っている一本があるだけで5月の20日までは持つと思うのだけれど…

2020/04/12(日) 暇を作らぬために
 今朝のことだ。7時になってつらつら考えていた。友人がこの間書き溜めた小説を送って来て明日から読んでみようと思っていたのだ。学生の頃良い文章を書いていた人で送られた一遍は下書きの段階で読ませてもらっていた。それの推敲後のものと彼の母親のものを含めて二編の作品である。彼の母親には高校の頃とその後もだいぶお世話になっていた。ことにその作品が気になっていた。そんなこともあったのだろうが以前書いた「長谷川家について知っている2,3の事柄」の続きを書いてみるかと思っていた。木曽から出て上野で家族を作って戦争にいじめられた世代のその後のことだ。
 起きて少し外仕事をして遅い食事の後に座り込んでまず書いてみた。下書きの下書きで記憶というものが実にあいまいだけれど何となく書き進むと当時のことがおぼろげながらに浮かび上がってくるようで父も母も兄も伯父たちも目の前を通り過ぎて行くように感じた。
 今の事象が非常事態だとは思わないけれどもこの時代を共に生きる仲間への連帯としてやたらに外には出ないようにしていることもあって、時間はあるしまだ物をこなせる意識もしっかりしているのだしとひと月かけて父の世代とその後の従兄たちの世代を次の長谷川の人間に書き止めて見ることにした。新たに想像する想像力はないけれども家族のことならばどうにかかけると思っていろいろとペンを走らせた。一本のボールペンのインクがなくなってしまった。うまく書けたらまだ元気な従兄に送ってみようと思った。この夏が終わるころまでは世界は変わらないと思うし何かしていなければ自分が馬鹿になるなと思っている。まんが日本史は授業なものとして気分転換と定めてやってみようと思っている。
 さて彼が送って来た文章をもう少し後回しにして上手な文章に染まらないようにしてまず一気にそれぞれの項目を書いてみることにする。
 予報が荒れるというので三角小屋の戸を閉めて飛ばされそうなものを片付けた。気温は昼に8℃もあるのだけれど天気の悪さか暖かいとは感じなかった。
 城中で切られた田沼意知の病床で父意次の言う。
 「桜よ急いで咲いてはならぬ、無理に開けば冷たい風に散らされてしまうぞ!」
 湯の桜にこう呼びかけた。
 

2020/04/11(土) 気温上がらず何にもしない
 昨日の夜にフキノトウの味噌炒めを作って、生サバを買って来たので煮付けた。美味かった。今度はキンピラ牛蒡や切干を煮付けておこう。食事の用意が楽になる。
 昨日の雪は気温が上がらないせいかまだ残っていて昼には霜注意報が出ていた。湯の桜の下で花見が出来るのは何時になるかなと気になるのだけれども遅れるようだ。20日になれば花見は出来る、と思っている。亡くなった仁成館の御主人は「紅大山桜」と言っていた。名前が正しいかは分からないが確かに紅色の山桜である。それにしてももう少し暖かさが安定してくれなければ面白くない!

2020/04/10(金) ここの雪と町の桜、随分と差がついた!
 昨夜の雨が明け方雪になったのだろう。積もっているしきれいな雪景色に驚いた。暮れ方まで降り続いている。5cmの上はあるようなのだけれど雪は降り積もりながら消えて行くように見える。この辺りでは5月になって桜が咲くのだがその桜花の上に雪が積もることもある。先だっての東京の花のようにだ。
 10時に歯科の予約があるという方とここを出て滑る雪に気を取られながら下って行くと見玉辺りまでは雪のなかだった。それでもふと見ると梅や桃の花に交じって何となく桜が咲いているようにも見えるのだ。車が反里口のお堂脇を掠めるとそう、咲き始めているのを確認した。町に下るにつれ桜は勢いを増して咲いているのにはちょっと感動するのだ。「いいね〜、きれいだね〜、こんな時に良くちゃんと本分を忘れずに咲いてくれたね〜」と呟いた。
 津南では雪は降っていないものの寒さはひと月戻った感があり14日ごろまでは気温が上がらないという。ここでも桜はきっと遅れて咲きだすのは20日辺りになるだろう。満開になったらひとりで花見をしてやろう。湯の桜に絡みついた蔓や周りのぼやを切ってやるか。入場料代わりに…あと10日か、、、
 津南の桜と違って湯の桜は白いベールをまとって耐えている。

4月絵日記の続き


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