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最新の絵日記ダイジェスト
2022/09/20 秋風
2022/09/16 手伝ってくれて感謝
2022/09/13 疲れたので、お風呂!
2022/09/08 軟になったということか!
2022/08/27 その後の状態報告

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2022/01/31(月) 2022の1月が終わっちゃう!
私の生れ月が今日までなのである。1月生まれというのは何となくつまらないと思う。
 いや、今朝も屋根に上がるべく心に決めていたのである。本当ですよ。嘘じゃない!でもチラチラと雪は降るし雲は厚いし、止めることにした。天気予報では明日は昼まではどうにか降らないというのだからそれに乗って見ることにした。
 そうなればゆっくりと…あれ!何やっていたのだろうか?思い出せない。昨日片付けておいた硯箱に手紙を(それを書いていたんだ!)入れて宅急便で九州の甥っ子のところへ送ったり、亡くなったもっきりやのお客さんの奥方への手紙を出して避難所によって郵便を持って来た。3回目のワクチンはモデルナで2月の末ということになったよと村から連絡が来ていた。ひだまりで話し込んで、福一先生のところでみかんなんかを頂いて帰って来た。屋根に上がる決意を見せるために梯子を上って足場の雪を落した。どうだ!やる気はあるだろうと決意表明である。しかし、ちゃらちゃらとしたところでこんな他人の日記を見ている人に言っておきたい。そりゃ屋根に上がって雪を下すがあなた!坂田三吉じゃないが「ワシ、あしたはいのちがけだ!」
 写真の家は雪下ろしをしない屋根の雪が地面につくのじゃないかと心配してみる。作った大工さんは知っている。あの人が作って壊れないのならもっきりやだって大丈夫だろうと縋ってみたい!どうもここでの暮らしというものは「演歌」だな!!

2022/01/30(日) 雪降り止まず
屋根に上がるつもりで眠ったのだが、朝に外を伺うと降っている。それならやめだと15年前に亡くなった母方の伯母の荷物整理をしていた。大正生まれで虎ノ門辺りで開業した外科医院の娘だった。当時、麹町にあったお嬢さん学校の卒業集合写真やら大正の頃の家族写真をさてどうするかと悩んでいた。習字用の漆塗りの箱に近頃習字を始めたという甥っ子の子供に詰めて送るかと思うのだが甥っ子の奥さんにしては迷惑なものになってしまう。さて行く場所がない。私がいなくなってしまえばみんなゴミとして捨てられるのなら私の責任で燃すかとも思ったが昭和の初めごろの卒業アルバムなんかは古本屋にで持って行ってもいいかと考えた。そんなもの欲しがる人はいないけれど資料として探している方がいないとも限らないと思った。今度神田にでも行った時に持って行ってみるかと悩んでみた。
 高校時代の「組長」から電話があって雪とか身体の心配の問いかけに大丈夫ですと答えた。私の高校はあの頃は級長とは言わないで組長と云った。これがあの頃は良い響きだったし、みんな良く出来る人が多かった!
 その後また20pほど積もった花びらのような雪を片付けた。多分、昔からハナユキと呼ばれていたのがこんなのだと思いながら1時間運動になった。明日も明後日も雪のようだが雪の感じが変わったように思う。積もっている雪が柔らかいと思った。

2022/01/29(土) 都はるみにの小春が小雪に変わった
 夜のうちは降り続いたのだろう約30cmの積雪だった。降り続いた間に私はちょいとご酒を頂いた。それから調子に乗って都はるみのロングロングコンサートに聞き入っていた。図に乗って古い友人のご婦人にまで電話をしてしまった。こりゃ拙いのだが電話位どうということはない。また、しちゃったものはしょうがない都が「♯♭あんた、つろうおっしゃろ…好きでたまらん将棋をやめなはれ言うのは無理や…おさしやす、かましまへんがな。そのかわり、そのかわり、さすからには日本一の将棋さしになってほしい…」と恋女房の声で語り掛ける。それに応える坂田三吉は許された嬉しさから「♯♭小春…わい、今日から命がけや!」ということになっている。しかし小春もなかなかしたたかな女丈夫だと思った。亭主の坂田三吉は小春に完敗なのである。知ってか知らずか、将棋馬鹿な亭主は日本一の将棋指しになってしまうのだから。夫婦というのは大変な駆け引きの中で生きているのだと考えた。ひとり者で良かったと思った。ご婦人は強い!
 それはどうでも良いが私はこの30pの雪を片付けるのだった。ここでは小春じゃなくて小雪とでもいう女がいるようなのだ。朝飯も食べずに何と3時間よくやるもんだ。しかし折角作った周回路は維持しなくてはならない。そういうものだ。
 昼にインチョンから成田へ大韓航空が飛ぶ。今日は土曜なので飛ぶだろう。青空のなかを飛び去る飛行機はかっこよい。萩原朔太郎が「フランスに行きたしと思えど、フランスはあまりにも遠し、せめて??汽車に乗り??…いまだ過ぎずや山科は」という詩を思いだせないが。そう云えば朔太郎は前橋の生まれで、六校中退だった。岡山大だな。今日は別の前橋の詩人が来るかもと聞いていたのだが「今だ来ずや、前橋は!」であった。

2022/01/28(金) 73回目のお誕生日でした
1949年の同日それも明け方に同じように生まれた友人から電話があった。9時過ぎだったが寝ていたので電話には出なかった。「おおー、元気か!」「なんだい」「誕生日だろう!」とこの10年近く友人とおめでとうごっこを続けている。そろそろ卒業だと思っているのだがまだ比較的元気なのだ。それじゃー今日は誕生日作業でもやってみるかと松屋のフランスパンをかじっただけでぐるりと家の周りを散歩できるようにしてみた。トイレの前の雪はグンと低くして「誠」の新選組の旗と鯉のぼりまで飾ってみた。はためくものとか色があると真綿のような雪面に映えて良いものである。下流側にも手を入れてぐるっともっきりや一周散歩道になった。それから2時過ぎに朝飯だ!誕生日というものはこんなものを食べるのかと思ったけれど、これで良いのだ!ということにした。
 昼過ぎにパラパラと降りだしたけれど積もりそうには思えない雪だった。こんな感じでなら毎日だって構いやしないけれどもそうは行くまい。立春から12日辺りにはまた寒気の南下もあるという。上手に避けて「待春風」と行きたいものだ。
 私は今朝73歳に相成りましてございます。皆様からのお気持ちだけ頂いて80歳までの後7年ひとつ気になって、面白そうなことだけをやってみるかと考えます!どうも気持ありがとうございます!!

2022/01/27(木) そうだ!モーツァルトのピアノ協奏曲を聴こう
 今日はモーツァルトの誕生日である。おまけに私の恐い姪っ子の誕生日でもある。彼女、昔はカワイピアノを弾いていたけれど今でも弾けるのだろうか?モーツァルト!
 終日気温−2℃。台所の気温は5℃。暖かいと感じる。雪は5pほどか?昨夜までの雪が入浴で温められて落ちた後の計測だから正しい。どうでも良いのだが。それで今日は仕入れのレシートでも整理しようと思ったのだが、朝に南瓜を煮て、ホウレンソウを茹で、お雑煮用の汁を作っていたので止めてしまった。それではと1時に雪片付けをやった。その時も雪は5pと見極めた。運動をしたので凍らせたうどんでたぬきうどんを作った。それだけでは足りずにかりんとうなんかを食べてしまう。昨日の体重計は57kgを指していて元に戻りつつあると思ったのだが手持無沙汰になるとカシャカシャ音を立ててせんべいやらかりんとうやらを口に運ぶ。のど飴を買って来て口に入れておけばその間は間食しないなと私流の食事制限を続けなくては。そう云えばフレンチドレッシングを教えられた通りに作ってもいた。生野菜がないので玉ねぎだけだがこれでもいいだろう。しかし冬は家にいるとだらしなく間食ばかりだ。老人とは意地汚いものだ!

2022/01/26(水) 晴天が二日続いた、さてこの後だが…
 腰は重く握りこぶしを作って痛い個所をドンドンと叩く。すると気持ち良い。腰痛ではないだろう。冷えから来るようだと決めてそれこそリハビリのように雪を片付けた。今日は川側の斜面に溜まった雪を片付けてトイレに座った時に外が見渡せるようにして、ついでに川側の雪の上を歩けるようにした。風呂の給湯器のゴミ取り個所も何時でも作業が出来るようにした。小荷物を屋敷に取りに出て、福一先生のところへ入った。秋山街道の一部で雪庇を落していてショベルカーとブルドーザーがペアになって作業を始めていた。昨日は平家茶屋辺りでも見かけた。雪庇落としが始まると役場でもこの冬の山は越したと見ているのだろうと感じた。福一先生は2月3月は例年並みだと長期予報が出ているというが例年とは何年前なのだろうかと思う。まっまだ一月で節分立春と季節は進むのだしこの辺りでは2月12日頃は(十二講荒れ)という厄日もある。もっともこの頃の気候変動に昔の気候は合わないのだろうがどっちみち、その十二講荒れの頃が過ぎれば大雪も吹雪も懐かしく思い出すようになるのだろう「いや今年の冬はひどかったな!」てなもんで人というのはいい加減なものなのだろう。きっとこの後にも大雪は待っていると私は諦めている。

2022/01/25(火) もっきりやへ帰って来ました
2022 1.25
 久しぶりに買い物に出る。買い物日和である。ごみの時間を計算して8時までのところを9時半ならば十分余裕とここを出る。こことは一時避難をしている部屋でまず水道の水口5ヵ所の通水を確認して洗い物を終え電気、ストーブを消して確認する。結構大変で消したのに再度確認に来ることもある。借りている家だし責任もある。で、十日町まで行くかと思うのだが車の燃料ゲージが点滅し始めたので津南で買い物を済まし、上段の友人宅で買い物の研究などしてスーパーに向かい目的を達してから帰った。少し買い物に集中しすぎてもっきりやへは2回も往復することになった。大福も買ったし、フランスパンも買ったし。L玉のタマゴも4p買ったし豚しゃぶの準備もしたし、ウヰスキーや熱燗用の安い酒も買った。ピーナッツだって4袋、ラッキョウだって忘れなかった。さて、こうなると如月一杯は買い物に出なくてよいようなものだが一時避難場所にいると便利さの所為か直ぐに買いもに出るようになるなとも思っている。

2022/01/22(土) 避難所でやすむか!
 頼まれた仕事をやり終えてこれから右岸へ向かおうと思っているのですが果たして索道が動くかが問題です。な〜に動かなければ帰って風呂でも沸して真田信之の本でもちゃらちゃらと読むだけです。でも今日も寒い!!
写真を出せず!

2022/01/21(金) 片付けるとまた元に戻る。73才きつくなる
 雪を片付けた後の大雪には萎えます。それで何処にも出ないつもりになるのだけれど少しここでの作業に飽きたので避難所へ行こうと考えました。明日の天気次第で、それと消えた道を踏みながら1時間かけて対岸に渡れたらですけれども…何だかこのような雪降りを繰り言のように云うのも恥ずかしくなりました。あああイヤになっちゃったのです。

2022/01/20(木) 大寒とはこういうことですか!
 なるほど大寒なのである。ここでは外気が−7℃、4時になっても−5℃でありました。このような山間のなかで暮らす者にとっては自然の美しい日本の景色といったフレーズというのは何にもならない。暖かい建屋のなかでニュース映像をチラッと見るようなものです。自然は美しくあってもその裏には今回のような大雪を見せつけるのでしょう。15:30にまた大寒ウエルカム大雪警報が発令されました。この冬は何回になるのか数えてはいないのですがちょいっと多すぎるんだな〜と感じるのです。
 今日は年が明けて初めて買い物へ向かう積もりでありましたが予報では雪が降り続くようで、気温も低く外に出る力が出ないのでした。しょうがないのでこれからは缶詰をおかずにして食事とすることにしましょう。シベリアで抑留されている訳じゃないのだから。炭水化物だけだっていいのであります!
 そんなことで今日は外に出ないようにしたのだけれど、ひびが入った卵が凍って捨てるのは惜しいというので雪に泣いている小ケモノ用にオムレツにしてやった。彼らは野菜の皮なんか食べない。人間なんかのゴミには目もくれないのだ。彼らは孤高であるのです。そこでオムレツなら食べるかと実験をした。ついでに雪が少しおさまった昼に2時間の雪構いを決行した。やらなくたって一向に構わないのだが、ただ降り込められていると冬将軍の一隊に負けるようで何とか立ち上がって抵抗するように雪を目の前にするのだな。貧乏性で、これは国境なき貧乏人としてはしょうがないがちゃらちゃらと自然が美しいとばかり言って眺めている人とは違うよと云った意味での怖い自然へのレジスタンスみたいなものだ。

1月絵日記の続き


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