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最新の絵日記ダイジェスト
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2022/09/16 手伝ってくれて感謝
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2022/03/31(木) 3月が行くか
 何もしない内に3月弥生が終わる。雪は1.5mは在るな。チクショウだな。おまけにお客さんがお帰りになる頃から霧雨で寒くなる。花冷えだとテレビの予報士は言うが何処に花があるか教えてはくれない。ただ寒いだけでもっきりや道を見に行く気にもならず、ウクライナの戦争のニュースと解説を見ていた。峠を越えたと思っていたロシアの子供ぽい戦術を見るとまだまだ続きそうだ。何だか私には分からなくなったけれどフィンランドのロシアとの戦争と戦後は考えさせられた。「誰かを崇拝すると本当の平和は訪れない」トーべ.ヤンセン
 後は寝ていた。上野から上越線の渋川まではその駅名を覚えた。それでいい日になった。
今朝長い間、台所に掛けておいた神田明神の商売繁盛の御札が落ちていた。今度は神田明神参りかな…

2022/03/30(水) 東京の桜見物は大変だ!
 今日はお子さん連れのお客さんあり。そこで昨日までのお江戸の桜見物を切り上げて帰って来たということになる。やはりもう一日ゆっくり歩いてみたかった。しかし気合を込めて桜を見ると云ってもいろんな条件がピタリと合わなければすごいという感嘆詞は出てこない。疲れたなんて言っているようではまだまだ資格がないのかも知れない。しかしそれほどにきちんと桜を鑑賞するのは難しい。今度はこの辺りの山桜を探して見ることにする。
 それでお子さん連れのお父さんのために今日はトイレの水を通水した。序に雪囲い板を5ヵ所外してやった。気になるのは今年の大雪がこれから順次融けるのだが、果たして道がどうなっているのかが気になる。まだまだ残雪が多いなか見に行っても雪の下で見られないのだが明日に行ってみなければならない。道が壊れていたらそれこそ大変なのだ!まっ気にしてもしょうがないけれどのん気に野球ばかりを見ている訳にはいかないのだ。
 帰って来たら兵庫のご婦人からいかなごのくぎ煮が届いた。こればかりはお客さんには出さず自分で頂くことにしよう。子供にはこの味は分かるまい。

2022/03/27(日) 川の水が増えた
 ニュースを聞いていると取り敢えずウクライナ戦争は山を越えたように感じた。核を使わない公算が上がった?亡くなった多くの市民をロシアがどのように責任を取るのかということに主眼が映るのだと感じている。
 今日は地区の集落総会の日である。家を出て索道に向かうと昨夜の強風のおかげで搬器を呼び寄せるロープがこんがらがっていてなかなか進まなかった。雪解けの水が川幅いっぱいに流れ下っていた。そんなこんなで遅れて総会に出たが30分は遅れちゃった。区長がしっかりしていたおかげで予定通りに総会は終わった。懇親会でビールを少し頂きながら、隣に座った方と話した。7年この秋山で頑張った方だったがこの春にはここを出ると聞いた。私よりも20年ほど若い。都会からここへ来て長い間、よく頑張ったとこれからのことなどを少し話した。ひだまりに寄ってお風呂を頂いている時だが湯舟の中に座ってふと感じるものがあった。私よりも若い方がここを去るということが頭から離れなかった。
 さてそんな話を聞いたからと言って、先のことを思い煩ってもしょうがない。残りの切符を使い切る為にも友人とじいさん二人でお江戸の桜を見に行って来るかと思った。

2022/03/26(土) 東京は春だから、手ぬぐい肩に桜見物か
 この頃動き出すのが遅い。もっとも起き出すのも遅い。寝るのも遅いか!
 今朝は屋根で杉の枝だと思うのだけれどドカンと音がした。昨夜半から強い風が吹き出してそのまま風は勢いを減ずることなく吹いている。その音で起き出してから、何をしていたのか直ぐに言えないくらいの詰まらない映画を見ていた。1時間半位のものだからとそのままテレビは点けっぱなしで割れた皿や急須の蓋を接着剤でくっ付けたりしていた。家の前の杉は大きく左右に揺れている。
 池の水が雪解けの増水で増え、杉の葉が排水を塞いで溢れそうだ。小さな沢の雪を掘り起こしてバックを出し、パイプを引き抜いた。序にトイレへのジョイントを掘り出そうするのだけれども2mの雪の下でどこに埋まっているのか分からない。毎年のことで斜面に単管を打ち込んでも今年のような大雪だと雪に押されてしまう。結局雪のなかを掘って掘って塹壕のようにして地面を出し、パイプを探しそれを追いかけてどうにか台所とトイレとの分岐を見つけた。部屋に入ると相撲は終わっていた。取り敢えず掘っておけば雪は早く消える。もう少ししたらトイレへの塩ビ管を掘り起こして通水すればよいところまでやってしまった。
 18切符が残っているのでちょいと桜を見に行って来ることにする。上野公園のソメイヨシノはまだ満開じゃないようだから火曜日かその先か一番良い日に行こうと思っている。人生80年と思っている私だから、後8回は桜の春を過ごせる。今年はお江戸の桜ということにして、来年は京都の桜ということにしよう。ここも京都だけれども丹後半島の伊根湾の桜も見たい。後は三春や石割桜や一本の大きな山桜を探して車で追いかける春も作りたい。それといよいよポトマック河畔の桜も見なくちゃいけないだろう。考えると桜狂いしそうだから車で追いかけるのは止める。見るなら一か所の桜で充分だろう。昔多摩川沿いの府中の農家で見た大きな桜が記憶の中に残っている。病気になって行けない時切られてしまった巨木だった府中の桜を思い出して見ることにしよう。

2022/03/25(金) インパール作戦と特別何とか作戦
 中津川右岸のカモシカを探すのだけれど1月に見て以来杳としてその行方を確認出来ない。
 今日はこの冬初めて3坪の小屋を確認に出た。その帰り左岸側にいるカモシカの糞を見る。先日中津川で見た鹿の遺体が、こうなると気になる。それと下田さんと植えた桜が裂けているのを見た。これは私の管理ミスだ。もう少し太い山桜を植えて私も彼もいなくなってからその存在を知らしめる「二人のさくら」として見たいものである。
 日本の旧陸軍に牟田口廉也という中将がいて1937年北京郊外の盧溝橋で日中戦争の先端を開いた当時の連隊長である。その彼は1944年にインパール作戦を立案してインドのコヒマを攻め落としてその年の陸軍記念日に花を添えよう思い立った。牟田口廉也中将はコヒマに向かった指揮官佐藤幸徳中将に、援軍も兵站も送らず、敵の弾丸や現地住民の食糧を奪って賄えと前線に指令した。弾も食べ物も送らない牟田口廉也中将の命令に抗して佐藤中将はコヒマを目の前にして撤退することになる。その撤退して行った道は白骨街道と呼ばれ、ほとんどの日本の将兵は帰らなかった。その後、牟田口廉也は退役して80才近くまで普通のおじいさんとして生き終えた。日中戦争を始めた司令官としてインパール作戦の勝利で自身の軍歴に花を添えようとした牟田口廉也中将に対する日本陸軍は当時のこととして見逃したり察してやることにして罪が自分たちに広がることを押さえた。日本の組織というのは現在になってもSMBC日興証券の副社長や東芝や東電の指導者が組織の為だと言いながら自分の手柄や手柄の為に行っているようだ。そこに日本の社会が大人に成れない原因があるように感じられてならない。
 ロシアは日本の隣の国である。ウクライナの避難民をシベリアにロシアは集めているという報道もあった。ほんとのことは闇の中だとしても感じたことは言わなければならないだろう。ルーマニアのチャウシェスクのように捕まえて直ぐに処刑しないでどうしてこうなったのかと記録しなければなないはずだ。
 外に出ると暖かい風がグンと吹き出した。さ〜てこれで雪は消えるぞ!

2022/03/24(木) 緊急速報
寒い日に起き出してやることなんてありゃしないだろう。そこでラジオを聞きながらの寝たり起きたりの一日が始まるのだった。するとコロコロと電話が鳴って動きが見えないのだが、生きていますかと丁重な確認の電話が緊急通報装置の担当の方から目覚まし兼用の電話があった。ちょいと照れながら「いや寒いしね、燃料がもったいないし、テレビを点ければヨーロッパの戦争で気が滅入るから起きないのです」と御答えした。そうですねと返事を聞いてウトウトしていると何だか遠くからエンジンの音がして来るじゃないかと外に出ることになった。仁成館の車庫前の除雪を頑張っているようだった。
 起き出して用を足して食事をして外に出る。お客が土曜日に来るんだか来ないんだか分らないけれど食料も少なくなったので買い物に出ることにして対岸に渡る。除雪はまだ続いていた。少し邪魔したのか手伝ったのか分からなかったが、区切りまでそこに居てから津南へと出た。買い物も結構重くなった。リックが一杯になった帰って来るとまだ除雪は続いていた。
 私は戦災に焼け残った親戚の根津に在った家で生まれたのだが焼け出された3家族の子供たちはワイワイと面白かったのだろう。私はまだ物覚え前の子供だったが、親たちは3家族分の食料を確保するために八面六臂の大活躍をしたとよく話した。戦時中のことは話さなかったが、終戦になって「これで生き延びた」と父は良く話した。戦前の貧しさと戦時中の厳しさに追われて、生活が厳しくなるにつれて負け戦を理解したとも話した。その後に先後の悲惨さが待っていたということだ。ロシアの呑気な国民はプッチンプーチンのプロパガンダのセーターのなかで寒さに気が付かないのだろうが5月6月と進んで行くとやれ配給だ。買い出しだとなって初めて負け戦に気が付くのかもわからない。それとも配給や買い出しは当たり前の国民だから気が付かないままのん気に死んで行くのかもわからないな。
 核爆弾も使うというロシアに苛立っているとこのところよく緊急速報のぴんが鳴る。始まったかと首をすくめると東北や、埼玉、金沢が地震だと言う。このところ戦争に引っ張られて地震も多いと思う。昨夜はここでもドッカンゴロゴロちょっと大きな地震があった。そんな時にはテレビで緊急速報には無視される。田舎なんだなーと実感する。

2022/03/23(水) 用事、温泉、福寿草
 今朝の寒さは体に悪いものだった。それでも起き出してストーブを焚くのだけれど煙の吸い込みが悪い。さて、外のL字の継手がまた詰まったかと外に出ると、案の定がちがちにすすが詰まっている。本来この外の煙突はこのシーズンの始まる時に交換をする予定だったが、冬場の部屋に行くからとそのままにしていた。横着をしたのだ。それでも薪が良く乾いていたせいもあるけれどもこの春っぽくなった時期の雨などで煙突内のススがコールタール状になってしまっている。これがもう少し暖かくなれば乾くようになると思うのだが、どっちにしても今度の冬用に煙突を取り替えなければならない。
 寒いので温泉にでもと用事を作って出た。帰りしなに和山で郵便をポストに入れながら武雄さんの声に呼ばれた。上がってお茶をもらって久しぶりにカツさんと話した。紅いほぺったもつるつるして元気そうだった。また来いという地域命令に来るよと答えて玄関先の福寿草を見ながら帰って来た。
 尻っぺたの坐骨神経痛は鶯宿温泉のような効能は無かった。格はずいぶんと下がるのだろう。それとも鶯宿温泉にもう一度行ってくるしかないだろう。病院で順番待ちをするよりも効くと思う。草津か、万座か、湯沢か、伊香保か思うにたくさんある温泉の研究でもしてみることが大切だと感じた。温泉ならどこでも効くということはない。それと明日「マイスモールランド」という映画がBS1で8時から映る。日本に逃げて来たクルド人家族と日本の入管のシステムの関係の映画らしい。ウクライナの避難民を首相は受けるというけれども、現在難民申請している多くの難民は日本ではほとんど入国管理での難しく、意地悪なシステムで入国できないという。入管は人種で選ぶのではなく正しい納得できる制度を作って公平に出来なければならない。すでにこの国は日本であると同時に世界のなかの日本でもあるのだと考える。

2022/03/22(火) サルよりサクラだろう!
 雪です。気温は−1℃で昼に止むまで10cmほどの積雪を見ました。それでも雪というよりも水に近いだらしのない雪でした。2月3月辺りの北京オリンピック用の降雪機のフル活動がなかったせいかどうにかこれでこの冬の雪も終わりになったようです。
 東京で桜が咲いて今日の寒さでこれから1週間は桜が見られると思うのです。本当は1日ゆっくり東京の桜見物をしたいのですがドンピシャで散る前の一面に咲き誇るソメイヨシノを見てみたいのです。ソメイヨシノと言う桜は何となくお調子者でたくさんの見物客が集まるとワッと咲くようです。逆でもあるのですが。桜にお調子者が集まるだけとも言えますが。今年は大陸からのお調子者も多くないようだし、きっと見ごろなのだと思います。浅草あたりに宿を取って、隅田川沿いを眺めて、皇居から北の丸、千鳥ヶ淵、外堀辺りを見て。浅草のビールでも飲んで、翌日は上野をぶらついてみるのも良いかな。新宿御苑はいろんな桜があるからこれも覗いてみるのも良いな。
 今日のような寒くて雪が積もるもっきりやから昨日作った堰堤上をサルを眺めているよりかは確かに良いと思うのです。
 私が応援と云うか気にする力士は私が見ると必ず負ける。どういうのですかね。2敗してしまったら、せっかく大関になっても応援のし甲斐が無いものです。

2022/03/21(月) 右岸の堰堤の雪を落す。
昨日の続きのウクライナとロシアからの工作派の映画を見ていた。ロシアって結構ヤバい国だと感じた。もっとも戦争の映画では何所も強い奴と弱い奴のせめぎあいだけれども。ウクライナのマークを指してあれはネオナチのマークだという人もいたけれども、ウクライナはロマノフ王朝が出来る前からある国で同じマークを使っているようでした。
 そんな潔い映画を見たせいか雨が上がる昼から右岸側の雪を落した。真っ白で足は滑るし白に慣れた目の感じは深さが分からないしでやっぱり怖いものでした。川側の縁は硬いので6mほどのこした。その内暖められてドンと落ちるはずである。

2022/03/20(日) ウクライナが少し分かる映画だった
 起き出してコンロに掛けたお湯が沸く前にプロパンガスが切れてしまった。2月に援軍が来て掘ってくれた後また雪を下したからガスボンベの切り替え口はそれほどの力がいらなかったがそこまでの通路に少し時間を取られた。さて4本あるうちに生きているだろうボンベが2本あってどっちだったか分らない。持ち上げればいいのだが雪で無理だった。こっちだと決めてバルブを開いた。まだ止まらないので正しい選択だったようだ。雪で良かった、雨ならばずいぶんと濡れただろう。
 ガスが来て毎回だが遅い朝飯を食べていた。雪は積もることは無いけれど止まなかった。この雪のなかやることはないのだからストーブの横に足を投げ出してピラミッドの番組を見ながら寝ていた。これじゃいけないとプライムビデオで「ロシアン・スナイパー」を見た。リュドミラと言うウクライナ人だろう女子大生が射撃の腕を見込まれて309人のファシストを狙撃する映画だった。これってまるでウクライナ出身のソビエト軍人がヒトラーのファシストと戦う映画で、現在のウクライナ自衛戦争が良く分かった。演説の下手糞なプッチンプーチンがまるで当時のヒトラーになっちゃっているというように感じるものだった。キエフ、オデッサ、セバストポリなどと言う都市で戦うウクライナの義勇兵の強さが分かるような映画だった。アメリカの映画と違って、「AK47」という映画にしても結構リアルなものだった2,015年のロシアの作品だがニュースの解説を聞いているよりかロシア、ことにウクライナのことが分かった。
 私は昨日は酒も飲まず、今日も今のところ飲んでいない。何だかこのままいけばだらしなく酒に手が行くことはないようになるだろうと思う安直さって、ウクライナを数日で占拠できると思ったプッチン.プーチンと同じじゃないかと反省している。

3月絵日記の続き


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