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2022/03/25(金) インパール作戦と特別何とか作戦
 中津川右岸のカモシカを探すのだけれど1月に見て以来杳としてその行方を確認出来ない。
 今日はこの冬初めて3坪の小屋を確認に出た。その帰り左岸側にいるカモシカの糞を見る。先日中津川で見た鹿の遺体が、こうなると気になる。それと下田さんと植えた桜が裂けているのを見た。これは私の管理ミスだ。もう少し太い山桜を植えて私も彼もいなくなってからその存在を知らしめる「二人のさくら」として見たいものである。
 日本の旧陸軍に牟田口廉也という中将がいて1937年北京郊外の盧溝橋で日中戦争の先端を開いた当時の連隊長である。その彼は1944年にインパール作戦を立案してインドのコヒマを攻め落としてその年の陸軍記念日に花を添えよう思い立った。牟田口廉也中将はコヒマに向かった指揮官佐藤幸徳中将に、援軍も兵站も送らず、敵の弾丸や現地住民の食糧を奪って賄えと前線に指令した。弾も食べ物も送らない牟田口廉也中将の命令に抗して佐藤中将はコヒマを目の前にして撤退することになる。その撤退して行った道は白骨街道と呼ばれ、ほとんどの日本の将兵は帰らなかった。その後、牟田口廉也は退役して80才近くまで普通のおじいさんとして生き終えた。日中戦争を始めた司令官としてインパール作戦の勝利で自身の軍歴に花を添えようとした牟田口廉也中将に対する日本陸軍は当時のこととして見逃したり察してやることにして罪が自分たちに広がることを押さえた。日本の組織というのは現在になってもSMBC日興証券の副社長や東芝や東電の指導者が組織の為だと言いながら自分の手柄や手柄の為に行っているようだ。そこに日本の社会が大人に成れない原因があるように感じられてならない。
 ロシアは日本の隣の国である。ウクライナの避難民をシベリアにロシアは集めているという報道もあった。ほんとのことは闇の中だとしても感じたことは言わなければならないだろう。ルーマニアのチャウシェスクのように捕まえて直ぐに処刑しないでどうしてこうなったのかと記録しなければなないはずだ。
 外に出ると暖かい風がグンと吹き出した。さ〜てこれで雪は消えるぞ!


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