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2009/01/31(土)
また逢う日まで
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24日の朝届いた今年の参戦計画にはしっかり「ST600辻村猛」そう書かれていた 藤井氏の話によると引退を決めたとチームに挨拶に来たのがその24日と言うから エントリー締め切りが迫り最後の最後まで悩んだ結果の苦渋の決断だったと思う
私が初めて辻村選手を観たのはWGP参戦一年目、確か18歳位だったと思う 表彰台ではにかみながら笑う口元から軽く八重歯が覗いて初々しかった
当時はあの坂田選手が「タケは天才」としきりに言っていた 「カズート」はイタリア語で「転倒」その名前に負けないアグレッシブな走りで人気者だった もう一方の辻村選手は大人しい印象に思えたけれど海外メディアもその速さを絶賛していた
『新人の辻村に対して坂田は一切の情報を隠していた』とは藤井氏の談 同じピットで同じマシンを使いながら完全秘密主義を貫くほど その才能に危機感をあらわにしていたんだと懐かしそうに笑っていた
途中数年ヤマハワークスで過ごした以外の延べ10数年を共に戦った選手が 突然全く別の世界へ進む事に成ったんだもの淋しくないはずは無いけれど 『辻村らしく短い言葉だったけど、とても清々しく男らしい良い表情でしたよ』 そんな言い方がいかにも藤井氏らしくて二人の姿を想像すると少し切なくなった
そういえばまだヤスが全日本のST600クラスを走っていた頃 レースのビデオを観ながら「バトルになって一番手ごわいのは?」と聞いたことがある 間髪入れずに返って来た答えが「辻村さん」だったのを思い出す 二人が優勝を争いヤスが競り勝ったのがそれを聞いた直後のオートポリスだった 暇な時にでもVTRを探してもう一度じっくり観てみたいな
辻村選手はレースの次にやりたい事だったゴルフ場への就職が決った プロゴルファーになるなんて言わないのは彼らしいしそれを望んでもいない様子 競う事から離れ第二の人生は好きな事を楽しむ道を選んだのかも知れない コース整備をしながらゴルフの腕を上げる努力をして行くそうだ
とは言えそこは三重県にあるそうだからサーキットでまた逢えるかもしれないね
*テントで顔を合わせると目を見て礼儀正しく挨拶する好青年でした(このメットは'04だったかな?)*
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