pissのつぶやき
江戸屋日記に成りつつある今日この頃…
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2009/12/27(日) それぞれの2010年へ
不況の影響か、いささか盛り上がりに欠けたクリスマスケーキの店頭販売も無事終わり
気がつけば来週の今頃はもう来年ってのが不思議なくらい静かな年末だ
それでもお正月はやってくるのであれこれ忙しくバタバタと一日が過ぎてゆく

夏にやらかして新しくなったPCに年賀状の宛名を一から入力しなきゃならないのだけれど
約80件もあるとなかなか取り掛かる気になれず、先週やっとPCに向かったタイミングで
ヤスから「江戸屋さんやってます?」そうか結婚式で帰ってくるって言ってたな
ゴリさんから預かってる野球の写真のデータも渡したかったんだけど
時間も遅かったし翌日は朝から仕事だしで「明日のスピーチ頑張ってね」と今回はパス

そんな時に限って「ヤスのやつ弟連れてきたぞ」と柴王…あぁ行けばよかった
もぉサプライズゲストが居るならそぅ言ってくれよぉ…とちょっと残念
「兄抜きでもまた来ますから」って、いや初対面はヤスが居てくれなきゃ照れるしね

さて、ハルクの来年の参戦体制が発表になり小西さんのJ−GP2参戦が明らかになった

全日本もてぎの事前テストの時、監督から来年ST600は一台体制になると話があり
「自分は今年で最後になるだろうからこれからの時間をかみ締めながら過ごしたい」
そう切り出す小西さんに「そうなんだ…」つぶやくように言ったきり次の言葉が見つからず
江戸屋に向かう車のハンドルを握りながら慣れない運転に集中している振りをした

先日京都からの戴き物に添えられていたお母様の手紙にも引退を匂わす一文があったし
今年の最終戦では完全燃焼できずにこのまま終わってしまうのかと心が傷んでいたので
来年またサーキットで逢えると聞きこんなに嬉しい事は無いのだけれど
同時に発表になった他の三人の中にヤスの名前が無い事がとても残念でならない

ヤスはヤスでこの一年鈴鹿で自分のスキルを磨き、新たな道に挑戦し見事に資格を手に入れた
これからどうするの?と聞いた答えは「もう一年鈴鹿で頑張って更に上の資格にチャレンジする」
来年の全日本ロードの参戦を視野に入れていない言い方だったので、ある程度の予想はしていた

今までレースに関して口出しした事の無い母親から「危ないからレースはもう良いでしょう?」
去年の大怪我の後に言われたヤスは気持ちを受け止めながらも「いや、まだまだ」そう答えたそうだ
ヤスだって復帰を諦めたわけじゃないけれど現実と向き合う事も忘れてはいない
ヤスにはヤスの人生があるから私達はそれを見守りながらこれからも応援して行くつもりだ

とは言え、来年早々ウチも人生何度目かの転機が訪れる事になります
ほんと、人の事どころじゃないでしょうと言うほどの大転機なのに二人とものんきです(笑)

この一年間の感謝の気持ちとともに、新しい年もまた皆様と楽しく過ごせれば良いなと

今後ともヨロシクです!!


*以前ヤスに写メ見せてもらった時は“全然似てなぃ〜”って弟くんもこうしてみると似ては無いけど同系統?*

2009/12/09(水) 憧れ
今年は全日本の活動を休止しているヤスも体調の回復に伴いミニバイクを楽しんでいる
もともとオフになると頻繁にミニバイクを走りこんでトレーニングしていたのだけれど
ミニバイクはヤスのレースの原点でもあるし、心から楽しめる趣味でもある

週末、日光サーキットでミニバイクのレースに出る為に帰ってきたヤスと江戸屋へ
翌日6時半サーキット入りだから程々にと言ってはみたものの…大丈夫かな(笑)

先月の桶川で時間が無くゴリさんに失礼な態度をとってしまったと気に病んでいたので
さっそく電話をかけて応援の御礼とお詫びを伝える事が出来てスッキリ
ゴリさんもその辺はちゃんと理解してくれていたし、本人が気にするほどでは無かったみたいです
自分こそタイミングの悪い時に声を掛けちゃって、と恐縮していました
これからもおごらず謙虚に、応援してくれる人へ心を寄せていて欲しいですね

さて今回は毎年恒例の野球チーム“レーサーズ”のチャリティー試合も帰郷の理由の一つ
中、高と野球部だったヤスは神宮球場でプレー出来るなんて夢のようなんだけれど
もう投げられるの?と聞くと「いや、無理」やっぱり怪我が利き腕だったからね
生活に支障の無い程までに回復した左肩だけれど、運動機能となるとまだまだ厳しい

「将来子供とキャッチボールができなくなっちゃった」と悲しげに言う
ペンだって左から右に出来たんだから右投げも練習すればきっと出来るよと慰めてみたものの
「でも親父は子供にとって憧れの存在じゃなきゃダメなんだ」と、男の美学でしょうかね
得意な分野だからこそへなちょこな球で妥協はできないって辺りがヤスらしい
珍しく弱気だなと思ったけれど最後は「少しずつ遠くに投げられるように成れば、だね」

実際ヤスの父親は野球や体操が得意で体も逆三角形のスポーツマンだったそうだし
母親もスポーツ全般が得意と聞いて納得、両方のDNAを受け継いでの才能だったんだね
因みにお父さんもヤスと同じ左利きなのだそうで、見事に遺伝してます

父親は憧れ…と言えば、先日テレビ番組で伊藤さんが娘さんから手厳しい事言われてた話になり
「あぁ〜それ見たかったんだけど見逃しちゃって…」再放送するBSは見られる環境に無いらしく
ちょうど翌日の放送を撮るって言ってたK子ちゃんに電話でDVDを頼む事が出来た

程なくして偶然やって来たどら大とN西さんが思わぬ再会に「嬉しいなぁ」と握手攻め
どちらも家族全員がヤスの応援にサーキットに足を運んでくれる熱心なファンだ

どら大の2歳になる末っ子はヤスのリストバンドがお気に入りで毎朝両腕にはめ保育園へ
「何色持ってます?」ヤスの問いに、紺とグレーとピンクと…家族全員分、全部で6色有るからね
N西さんの奥さんは普段スーパーの買い物にもヤスの応援Tシャツを愛用しているそうだ
私も携帯の待受けはヤスの8耐09バージョン(byゴリさん)「愛を感じるだろぉ」と押し売り(笑)
それぞれささやかながらも応援を形にしてヤスの復帰を待ち望んでいる

来年がどうなるのか、私も皆から聞かれるけれど今の段階ではまだ何も決まってはいないようだ
鈴鹿で過ごす中で新たな事にチャレンジし、さらに上の資格を目指して日々精進している
これからの人生に新しい道を拓きつつ、もちろんまだまだレースへの意欲も衰えていない

ハルクのレース活動縮小の話を聞いたのは小西さんから、確かもてぎの前だったと思う
その小西さんにしてもまだ来年の動向は不明のまま、厳しい状況には変わりないけれど
二人にはこんな時代だからこそレース界を盛り上げて欲しいものです


*すっかり送り迎え担当になってしまったI本君のおかげで私も安心して飲めます。ありがと♪*


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