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2004/04/30(金) 父のレコード
ぼくの父は音楽の好きな人だった。
鬼籍に入って16年経ったが、死ぬまで音楽に対する関心と興味を失わなかった。

今年のお正月に倉敷に帰省したとき、妹と二人で倉庫の中に入れっぱなしになっていた父のレコードを整理していたら、ビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が出てきた。

父はクラシックからジャズ、シャンソン、タンゴ、ファド、日本のフォーク、演歌と何でも聴いたから、少々のことでは驚かないが、さすがにこれにはびっくりした。
映画『暴力教室』の主題歌で、一般的には「ロックンロールはこの曲から始まった」といわれているものである。
こんなものまで聴いていたんですね、お父さん。

モノクロの質素なピクチャー・スリーヴつきで、裏には歌詞が掲載されている。アーティストの名前は「ビル・ヘイリー楽団」になっている。
カップリングはエルマー・バーンスタイン・オーケストラの「黄金の腕」。

インナー・スリーヴはカラーの豪華なもので、定価は330円。

デッカ・レーベルで発売元はテイチクである。
レーベルに「フォックス・トロット」と紹介がされているのがおもしろい。

そんなに珍しいものではないのかもしれないが、父の新たな一面を見つけたような気がした。

2004/04/28(水) DVDが安いのはうれしいけれど
職場の近くに新星堂が新しくできたので、帰りにちょっと立ち寄って、旧作のDVDを5枚ほど買ってきた。
ベルナルド・ベルトリッチが1枚、ブライアン・デ・パルマとコーエン兄弟がそれぞれ2枚ずつの計5枚。しめて6,124円。
は?
ろ、6,124円?
もちろん総額表示だから消費税を除くと5,833円、1枚当たり1,167円である。
いったいどーなってんだろ。

2月29日の日記にDVDのレンタルが3本で202円だったという話を書いたが、なんか無茶苦茶である。

昨日紹介した『紙ジャケ探検隊』でも、著作権保護という名の輸入盤規制問題が取り上げられていたが、輸入盤を規制しても恩恵を受けるのはレコード会社であって、ミュージシャンやプロデューサーなどのいわゆる「現場」の人たちではない、ということは素人でも容易に想像できる。
一方ではそうやってレコード会社を保護しておきながら、映画を制作している人たちの権利はどうするのだろう。

考えてみれば今からちょうど20年前、まだ14インチのカラー・テレビが一般的だったころ、ぼくは映画を大きな画面で見たくてパイオニアのSEEDというモニター系のテレビとレーザーディスク・プレイヤーを買った。
26インチで、うちに遊びに来た友人たちはすごくびっくりしてた。
最初に買ったLDはマリリン・モンローが出演している『億万長者と結婚する方法』と『スター・ウォーズ』。
2枚で17,600円だった!
高かった(涙)けど、好きなときに好きな映画を繰り返し見られるという幸福は何物にも代え難かった。

もちろん同じ映画といっても、アナログのLDとデジタルのDVDを単純に比較することはできないだろう。DVDの廉価化は、高品位のコピーが安価にできるデジタルならではの恩恵なのかもしれない。
でも、だったらCDはどうなんだ?

念のために申し添えておくけれど、ぼくは著作権を保護するためにDVDにも再販の網をかけて値崩れをさせるな、と言ってるわけでは、もちろんない。
それどころか再販制度は逆に著作権者の利益を不当に奪うものだと思っている。

ぼくが言いたいのは、著作権保護という名目で一部の団体の権益を守るような近視眼的な政策が、結局はこの国の芸術というものにたいする考え方を痩せ細らせているのではないか、ということだ。

2月29日の日記にも書いたけど、今の人たちって(ぼく自身も含めて)映画を「消費」してるんじゃないだろうか。
ぱっと見て、「なにこれ、つまんねーの」、で終わってるんじゃないだろうか。

それでいいんじゃないの、だってたかが映画じゃん、という人もいるだろう。
でも、きちんと映画を批評する土壌がなくなれば、いい映画は育たなくなると思うんだけど……。

2004/04/27(火) ビートルズはむずかしい
今日『紙ジャケ探検隊』のサイトを読んでいたら、ビートルズのオリジナル盤って当たりハズレが大きくてむずかしいという話が載っていた。

そうなんだよねえ、って激しく同意。
それを実感したのがこの前の『with the beatles』の聴き比べである。
1枚ずつ聴いていたときには気がつかなかったのだが、『PPM』と聴き比べると愕然とするほど違うのだ。

『紙ジャケ探検隊』の言葉を借りれば、『PPM』のほうはバキバキに音がたっているのに、『with』のほうはヘナチョコでシオシオなんである。

周りのビートルズ・ファンの人に聞いても、とくに『with』がヘナチョコというわけではないという。
とすれば、ぼくの4Nというラッカー盤のせいなのか、それともA面5、B面4というマザーのせいなのか、はたまたA面36、B面54というスタンパーのせいなのか(でもAB両面音がヘナチョコだもんなあ)、やっぱり思いっきり個体差でぼくのレコードがたまたまそうなのか……、と悩んでいたのだが、やっぱり当たりハズレが大きいのだなあ。……と妙に安心してしまった。

探検隊の方は「60年代当時としては異常なくらい売れたので、品質管理とか音質を一定に保つとかいうレベルを超えた状況だったのではないか」というような結論を出されていたのだが、そうかもしれないよねえ。米Capitolなんか工場一つ作っちゃったぐらいだもんね。

さて、そして探検隊はアタリの見分け方として『ビートルズのオリジナル盤は状態が悪いほど音がいい』というすごい法則を提出してるわけです(笑)。

これは面白いのでみなさんもぜひ読んでみてください。

2004/04/26(月) 『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い 』
あまり期待はしていなかったのだが、我が愛する『HiVi』誌上で、RECOMMEND!の王冠マークつき!
これは見ないわけにはいかないと、『KILL BILL』と一緒にレンタルしてきた。
結果は……
……買わないでよかった(笑)。

やっぱ消化不良でしょう。
ショーン・コネリー扮するアラン・クォーターメインのもとに集められた6人の超人たち。
それぞれの個性を活かして見せ場を作る……ようにしようとすれば、どうしても総花的な演出になるわな。

もちろんいいとこもたくさんあるんですよ。
まず映像が美しい。19世紀末のロンドンの、色彩を抑えてほとんどモノクロのように見せる町並みなんて、うっとりするような美しさだし、CGもほんとうにうまくできている。
ノーチラス号がベニスに乗り込むシーンなんかもなかなかぞくっとさせる。

アランの下に英国政府からオファーが来る。その窓口が「M」というのもシャレてるが、実はこの「M」も小説上の有名人物なんですね。
勘のいい人ならぴんとくるかもしれない。19世紀のロンドンで「M」で始まる有名人ですからね。
でもぼくなんか思いもよらなくてびっくりしてしまった。

できれば3部作ぐらいにして、2人ずつがアランに協力して難事件を解決してゆき、完結編で7人全員が揃う、てな話にしてくれれば、見るほうとしてもリキが入ったような気がするなあ。

2004/04/25(日) 『キル・ビル』
なんという様式美。
なんという映像美。
それだけの映画、そのための映画、である。

クエンティン・タランティーノはチャンバラ映画が撮りたかったのだ。
そのためにリアリズムを捨てた。
とにかく病院で看護士(?)が殺されて、犯人は被害者が駐車場に止めた車の中で13時間もリハビリしてるのに、まったく騒ぎにもならないのだ。
空港でも飛行機のなかでもユマ・サーマンは日本刀を持ち歩いて誰にも見咎められないし、
日本のやくざたちもみんなバイクに日本刀を積んでいる。
いいですねえ。

突然劇中に挿入される日本風アニメ(キャラクター・デザインが日本人)がまったく違和感なくストーリーのなかに溶け込んでいるのもすごい。

クライマックスは池田屋騒動ならぬ、青葉屋の死闘だ。
階段落ちも用意されているし、ワイヤー・アクションで息もつかせぬ殺陣である。
とにかくユマ・サーマン扮するザ・ブライドは日本刀「ハットリ・ハンゾウ」で斬りまくる。
対する日本のヤクザもひたすら日本刀で闘う。
結果、腕が飛び、脚が飛び、首が飛ぶ。
血が噴き出し、レンズも何度も血しぶきを浴びる。

ただもともと心臓が強くないので、とにかく疲れた。
最後には『ハンニバル』みたいなシーンも用意されてるし……。

2004/04/24(土) ごぼ天うどん
皆さんは「ごぼ天うどん」という食べ物をご存知だろうか。
知らないでしょ?福岡の人以外はあんまり知らないよね。

他のところにも書いたが、ぼくは16歳まで熊本で育った。それから父の仕事の関係で岡山県の倉敷に引っ越した。
倉敷は瀬戸大橋を渡れば対岸は香川県の高松なので、うどんというと讃岐うどんである。
その後福岡に住むようになってもう四半世紀以上になるが、福岡の人はあまり讃岐うどんを好まないようである。食べるというより噛み切るといったほうが適切なような、あの讃岐うどん独特のコシの太さを好まぬらしい。
ぼくはそれが好きだから、逆にコシの弱い福岡のうどんをそれほどおいしいと感じたことはなかった。

「ごぼ天うどん」というのは福岡独自の食べ物である。
そういうと、福岡の人は「えっ!?」と驚く。「うそ〜、ごぼ天うどんなんてどこでもあるよお」
でも、福岡以外にはないんだよね。

だからぼくも知らなかったのである。10年ぐらい前まで。
いや、メニューにあるのは何となく知ってましたよ。
ぼくのパートナーは純粋に福岡の人なので、一緒にうどんを食べに行くとよく「ごぼ天うどん」を注文していた。
だからメニューにあるのは知ってたんだけれども、関心がなかった。
彼女がごぼ天うどんを食べている横で、ぼくは肉うどんを食べ、わかめうどんを食べ、山掛けうどんを食べ、鴨南そばを食べていた。
10年前まではそうだったんですね。

ところが、ある日ふと「ごぼ天うどん」ってどんなんだろうと思って食べてみた。
正確には「ごぼう天うどん」だろうが、細く切ったごぼうをかき揚げみたいに揚げてある。
う〜ん、悪くはない、まあまあかな・・・・・・そんな感じだった。

それが劇的に変わったのは「かろのうろん」に行ってからです。
福岡・博多、夜の歓楽街として有名な中洲。
そこに「キャナル・シティ」という複合商業施設がある。
そのキャナルの、道路を挟んで向かいに「かろのうろん」という小さな店がある。
店主は(最近顔を見なくなったが、)思わず「申し訳ありません!!」とこちらが謝ってしまうような、聖人のような面持ちのあるおじいさんで、店の中には『博多っ子純情』という漫画で有名な長谷川法世や「せき・こえ・のどに浅田飴」の永六輔の色紙が飾ってある。

このごぼ天を食べたときはほんとうに目から鱗でしたね。
思わず椅子からずり落ちそうになった。
「これか! これだったのか!!これがごぼ天うどんだったのか!!!うおおおおっっっ!!!」
ってな感じである。
細く切ったごぼうを薄い衣をつけてからりと揚げ、そのしゃきしゃき感が消えないうちに熱いうどんとともに食す。
う〜ん、この世の極楽です。
みなさん、博多にお越しの節はぜひ、「かろのうろん」へ。

2004/04/21(水) イエロー・パーロフォン
Y.Z.さんからリクエストのあった、イエロー・パーロフォンの見分け方をとりあえずデータ・ベースというかたちで作ってみた。

ぼく自身のコレクションがモノラル盤中心なので、とりあえずモノラル盤を作ってみたのだが、いやあ疲れました(笑)。
複雑怪奇なのである。
どうしてこんな風になるかな。

たとえば『with the beatles』ではA面のマトリクスの枝番が5でB面が6のものと、逆にA面が6でB面が5のものがある。これじゃどっちが先かわかんないよ。
いったん6にしたのなら5に戻るなよ、頼むから(笑)。

実際にはこれにデッカ・プレスなんかも入ってくるのだから、もっと複雑なんだろうな。

現時点で一番わからないのは、『with』から『FOR SALE』までのアルバムに、リムのコピーが「THE GRAMOPHONE CO.LTD」で始まるものがあるのかという点だ。
このあたりの情報をぜひお寄せいただきたいと思っている。

それからこのデータ・ベースがみなさんのコレクションのお役に立てることを願っている。
それにしても、こういうのだれか作ってないの?

2004/04/20(火) 『エイリアン』という悪夢
米映画誌『PREMIERE』が選ぶ映画史上最も偉大なキャラクター100人の第8位に『エイリアン』のリプリー(シガニー・ウィーヴァー)が選ばれた。
第1位のヴィト・コルレオーネ(マーロン・ブランド、『ゴッド・ファーザー』)は当然としても、第2位が'48年のジョン・ヒューストン監督『黄金』の主人公フレッド・C・ドブス(ハンフリー・ボガート)だったり、9位が『初体験リッジモンド・ハイ』(なんて恥ずかしい邦題!だいたい「First Time」じゃなくて「Fast Times」だっちゅうに!)でショーン・ペンが演じたジェフ・スピコリだったり、けっこう意外な結果だが、『エイリアン』ファンのぼくとしてはなかなかうれしい。

(ちなみにジェイムズ・ボンドが5位、インディアナ・ジョーンズが7位に入っている。ベイツ・モーテルの経営者ノーマン・ベイツがスカーレット・オハラに次いで4位というのもヒッチ・ファンとしてはご同慶の至りである。)

そこで今日は『エイリアン』について書いてみたい。
ぼくは日本公開の79年(80年?)に劇場でこの映画を見ている。
はっきりした記憶は残っていないが、77年に『スターウォーズ』が大ブレイクして、『未知との遭遇』(77)や『スタートレック』(79)などが次々と公開されSFブームが到来していたので、かなり宣伝はされていたように思う。
いずれにしても「面白くて怖い」という評判だったので迷わず見に行った。
当時福岡の映画館は入れ替え制などなかったので、時間さえ許せば、同じ映画を何度も繰り返し見ることができた。
ぼくはひょんなことから10代の少女と二人でこの映画を見たので、見終わってすぐ「もう一度見ようか」と言って即座に断られたのを覚えている(ははは。当たり前ですか)。

ぼくがまず惹かれたのは美術である。
『2001年宇宙の旅』以降宇宙船といえば明るく清潔な乗り物と相場は決まっていた。
ところが『エイリアン』に出てくる宇宙船は貨物船であり、あちこちが薄汚れ、壊れかけ、あまつさえ雨さえ降っている(いや、雨ではないですね、冷却水が漏れてるのでしょうか…それが天井から雨のように降り注いでいる)。
エンジンルームはプルトニウムの燃料棒ではなく重油の匂いがしそうだし、実際ここを持ち場にしている機関士(整備士?)は薄汚れた作業服姿である。
電波は途切れかけ、モニター画像はゆがんだり消えかかったりして、乗組員だけでなく見ているぼくらでさえストレスが溜まりそうだ。
この造形がまず見事である。
そういう宇宙船だから、至るところに光の届かない闇の部分があり、得体の知れない闇は人間を不安にさせるのですね。

(リドリー・スコットが次に撮った『ブレードランナー』でも、近未来の都市が酸性雨の降り注ぐ暗くて陰鬱な街だったことを考えると、ここにはかなり監督の意図が含まれているように思える。)

この貨物船ノストロモ号が規則的な信号を傍受し、ある惑星に立ち寄るところから真のストーリーが始まるのだが、そこに至るまでの30分で描かれるのは、たとえば貨物船の上部で働く船長や航海士、医師といったエリートたちと、下部のエンジン・ルームで働く機関士たちとのギクシャクした人間関係であったりする。
ここにも観客に居心地の悪い思いをさせるような仕掛けがある。

また貨物船であるがゆえに最新鋭の武器などなく、手作りの前近代的な武器で未知の異星生物と対決するはめになる。

老朽化した貨物船、意思をうまく疎通できないクルー、火焔放射器という時代遅れの武器。
非日常的な映画を見ていたはずなのに、いつのまにか気がつくと、ごく身近で日常的なものに囲まれている。
こうした細部のリアリズムが『エイリアン』という悪夢をいっそう恐ろしいものにしているのですね。
これはオリジナル脚本を書いたダン・オバノンの功績だろう。

着陸した惑星で巨大な廃船と操縦席で化石化した異星人の遺体を見つけるあたりになるとスイスのシュールレアリスムの画家H.R.ギーガーの美術が冴えわたってくる。そこにあるのは、やはり得体の知れないものに対する不安であり違和感であって、このあたりからぼくらは不安を覚えることを強いられるような感覚に引きずり込まれることになる。

卵から始まって成長してゆくエイリアンの造形の素晴らしさについては、あらゆるところで述べられているのでふれないが、たえず変態を続ける異星生物というのも卓越したアイディアだ。これによってぼくたちはエイリアンが、いつ、どこから、どんな姿で出てくるか、唾を飲み込むのさえ苦労するような緊張のなかで映画を見つづけ、一瞬も目を離せなくなってしまうのだ。

そして最後まできちんとした姿を見せなかったエイリアンが、慌しく点滅するライトのなかで不意に蠢くとき、ぼくらの恐怖は最高潮に達する。
繰り返しになるが、人間は得体の知れないもの、了解不能のものに恐怖を抱くからである。

エレン・リプリーは最初の闘うヒロインである。そしてのちに続編を監督することになるジェイムズ・キャメロンが『ターミネーター』(84)で造形したのも闘うヒロインであったのはおもしろい。

2004/04/19(月) MATRIX REVOLUTIONS
『マトリックス・レヴォリューションズ』を観た。
う〜ん、やっぱり説明不足かなあ(ひょっとして理解力不足!?)。

前作『リローデッド』の最後で提示された、
@単なるプログラムに過ぎないエージェント・スミスがなぜ実在の人間を支配できるのか。
Aアンダーソン(ネオ)が人智を超えた力を発揮できるのはマトリックスのなかであって、現実の世界では無力な一人の人間に過ぎないはずなのに、なぜ現実世界で恐るべきパワーを獲得したのか。
という二つのナゾが結局イマイチよくわからなかったなあ。

しかもマトリックス最終章の割にはマトリックスの世界はあまり描かれず、もっぱらザイオンの闘いに終始したのは残念だった。
今まであまりなかったエグイ描写もちょっとあったしなあ・・・・・・。
充分おもしろいのだけど、不満もそこそこ感じた『レヴォリューションズ』でした。

二度三度と観るうちにナゾが解けてそういう不満もなくなるのかもしれないけど(笑)。

2004/04/18(日) 鷺沢萠 その2
もう少し鷺沢萠のことを書く。
今日久しぶりに「葉桜の日」を読み返した。

最初のほう、マモルさんのお葬式から帰る場面でこんな描写がある。

 外に出ると生あたたかい夜風に桜の花びらが踊らされていた。
 コンクリートに靴音を刻むと、街灯のせいで薄白く透けて見える花びらがひと足ごとに浮きあがる。舗道に敷きつめられたそれの動きはひどくスローモーで、ちょっと水の中の動きにも似ていた。

ほんとうにこんな季節に、鷺沢萠は帰らぬ人となってしまった。

20歳のときに祖母が韓国人であったことを知ったという彼女の出自にまつわるエピソードは、「自分とはいったい何者なのか」という「葉桜の日」のテーマととても深く関わっているだろうと思う。
在日コリアンとしての「孤独」が彼女を死に追いやったのではない、と今は思いたい。

4月絵日記の続き


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