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2004/04/20(火) 『エイリアン』という悪夢
米映画誌『PREMIERE』が選ぶ映画史上最も偉大なキャラクター100人の第8位に『エイリアン』のリプリー(シガニー・ウィーヴァー)が選ばれた。
第1位のヴィト・コルレオーネ(マーロン・ブランド、『ゴッド・ファーザー』)は当然としても、第2位が'48年のジョン・ヒューストン監督『黄金』の主人公フレッド・C・ドブス(ハンフリー・ボガート)だったり、9位が『初体験リッジモンド・ハイ』(なんて恥ずかしい邦題!だいたい「First Time」じゃなくて「Fast Times」だっちゅうに!)でショーン・ペンが演じたジェフ・スピコリだったり、けっこう意外な結果だが、『エイリアン』ファンのぼくとしてはなかなかうれしい。

(ちなみにジェイムズ・ボンドが5位、インディアナ・ジョーンズが7位に入っている。ベイツ・モーテルの経営者ノーマン・ベイツがスカーレット・オハラに次いで4位というのもヒッチ・ファンとしてはご同慶の至りである。)

そこで今日は『エイリアン』について書いてみたい。
ぼくは日本公開の79年(80年?)に劇場でこの映画を見ている。
はっきりした記憶は残っていないが、77年に『スターウォーズ』が大ブレイクして、『未知との遭遇』(77)や『スタートレック』(79)などが次々と公開されSFブームが到来していたので、かなり宣伝はされていたように思う。
いずれにしても「面白くて怖い」という評判だったので迷わず見に行った。
当時福岡の映画館は入れ替え制などなかったので、時間さえ許せば、同じ映画を何度も繰り返し見ることができた。
ぼくはひょんなことから10代の少女と二人でこの映画を見たので、見終わってすぐ「もう一度見ようか」と言って即座に断られたのを覚えている(ははは。当たり前ですか)。

ぼくがまず惹かれたのは美術である。
『2001年宇宙の旅』以降宇宙船といえば明るく清潔な乗り物と相場は決まっていた。
ところが『エイリアン』に出てくる宇宙船は貨物船であり、あちこちが薄汚れ、壊れかけ、あまつさえ雨さえ降っている(いや、雨ではないですね、冷却水が漏れてるのでしょうか…それが天井から雨のように降り注いでいる)。
エンジンルームはプルトニウムの燃料棒ではなく重油の匂いがしそうだし、実際ここを持ち場にしている機関士(整備士?)は薄汚れた作業服姿である。
電波は途切れかけ、モニター画像はゆがんだり消えかかったりして、乗組員だけでなく見ているぼくらでさえストレスが溜まりそうだ。
この造形がまず見事である。
そういう宇宙船だから、至るところに光の届かない闇の部分があり、得体の知れない闇は人間を不安にさせるのですね。

(リドリー・スコットが次に撮った『ブレードランナー』でも、近未来の都市が酸性雨の降り注ぐ暗くて陰鬱な街だったことを考えると、ここにはかなり監督の意図が含まれているように思える。)

この貨物船ノストロモ号が規則的な信号を傍受し、ある惑星に立ち寄るところから真のストーリーが始まるのだが、そこに至るまでの30分で描かれるのは、たとえば貨物船の上部で働く船長や航海士、医師といったエリートたちと、下部のエンジン・ルームで働く機関士たちとのギクシャクした人間関係であったりする。
ここにも観客に居心地の悪い思いをさせるような仕掛けがある。

また貨物船であるがゆえに最新鋭の武器などなく、手作りの前近代的な武器で未知の異星生物と対決するはめになる。

老朽化した貨物船、意思をうまく疎通できないクルー、火焔放射器という時代遅れの武器。
非日常的な映画を見ていたはずなのに、いつのまにか気がつくと、ごく身近で日常的なものに囲まれている。
こうした細部のリアリズムが『エイリアン』という悪夢をいっそう恐ろしいものにしているのですね。
これはオリジナル脚本を書いたダン・オバノンの功績だろう。

着陸した惑星で巨大な廃船と操縦席で化石化した異星人の遺体を見つけるあたりになるとスイスのシュールレアリスムの画家H.R.ギーガーの美術が冴えわたってくる。そこにあるのは、やはり得体の知れないものに対する不安であり違和感であって、このあたりからぼくらは不安を覚えることを強いられるような感覚に引きずり込まれることになる。

卵から始まって成長してゆくエイリアンの造形の素晴らしさについては、あらゆるところで述べられているのでふれないが、たえず変態を続ける異星生物というのも卓越したアイディアだ。これによってぼくたちはエイリアンが、いつ、どこから、どんな姿で出てくるか、唾を飲み込むのさえ苦労するような緊張のなかで映画を見つづけ、一瞬も目を離せなくなってしまうのだ。

そして最後まできちんとした姿を見せなかったエイリアンが、慌しく点滅するライトのなかで不意に蠢くとき、ぼくらの恐怖は最高潮に達する。
繰り返しになるが、人間は得体の知れないもの、了解不能のものに恐怖を抱くからである。

エレン・リプリーは最初の闘うヒロインである。そしてのちに続編を監督することになるジェイムズ・キャメロンが『ターミネーター』(84)で造形したのも闘うヒロインであったのはおもしろい。


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