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2004/05/31(月) JAZZの愛聴盤−2
第2回はMASAさんのリクエストにお答えして、マイルズ・デイヴィス。
ふつうだったら『リラクシン』か『カインド・オヴ・ブルー』というところだが、そこは変化球勝負、今回は『マイルズ・スマイルズ』です。

ジョン・コルトレーンを擁したオリジナル・クインテットに勝るとも劣らない60年代のクインテットは、マイルズのトランペットに、ウェイン・ショーター(ts)、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムズ(ds)という、すさまじい陣容。ところがぼくはマイルズと一緒のウェイン・ショーターがあまり好きではないのです(笑)。そんななかでダントツにターン・テーブルに載せることが多いのが、この『マイルズ・スマイルズ』。まずタイトルとジャケットがいいじゃないですか。
めったに笑わぬマイルズがにこやかに微笑んでいる。

このアルバムのハイライトは文句なく「フリーダム・ジャズ・ダンス」だと思うけれど、それだけじゃない。
まずA面1曲目からマイルズはバリバリ吹きまくる。でもこれはウォーミング・アップに過ぎない。2曲目、このアルバム唯一のマイルズのオリジナル「サークル」の抒情性はどうだ。まるで58年の『カインド・オヴ・ブルー』のころにもどったみたいだ。でも、ハンコックのピアノは間違いなく60年代のもの。ぞくぞくきますねえ。
マイルズ、ショーター、ハンコックという3人のソロのバックで巧みに変化をつけるトニーの素晴らしいドラミングと、ロンの伸びのあるベースも申し分ない。

そしてA面のハイライトが3曲目の「フットプリンツ」である。
6/8拍子のドラムに載ってロンのベースが執拗に同じフレーズを繰り返し、モーダルな雰囲気のなかでまずマイルズのソロが始まる。途中でトニーがまずリズムを2/2拍子に解体したかと思うと、いきなりダブルテンポで急速調の8ビートに刻み始める。マイルズのソロも8ビートになったかと思うと、もとの6/8拍子が表れたりして、混沌としたリズムの中でウェイン、ハービーとソロが渡されていく。
すごい演奏です。ためいき。

そしてエディー・ハリスの「フリーダム・ジャズ・ダンス」。マイルズのアブストラクトなソロは見事なコンストラクションを示す。
66年のモダン・ジャズのひとつの到達点がここにある。

MILES DAVIS "MILES SMILES"
COLUMBIA CL-2601

2004/05/30(日) ビートルズのアナログ盤
第11回『サージェント・ペパーズ』をUPしました。
思い起こしてみると、それまでラジオで彼らのシングル・ヒットをずーっと聴いてきて、初めて「アルバム」というのを意識したのはこのレコードからでしたね。
まだ中学1年生、とてもアルバムを買える年齢ではありませんでしたが、レコード・ショップのウインドウのディスプレイは鮮明に覚えています。

みなさんのご感想をお待ちしております。

2004/05/26(水) 追悼:エルヴィン・ジョーンズ
エルヴィン・ジョーンズが亡くなった。

以前にも書いたが、ビートルズにリンゴが、ザ・フーにキース・ムーンが、そしてゼッペリンにはボンゾがどうしても必要だったように、ジョン・コルトレーン・カルテットにはどうしてもエルヴィンが必要だった。

ジャズの世界でモダン・ドラミングへの道を開いたのがケニー・クラークなら、その奏法を発展させ確立させたのは、マックス・ローチとアート・ブレイキーであった。
そしてそこから新たな地平を切り拓いたのが、60年代のコルトレーン・カルテットのエルヴィンであり、マイルス・クインテットのトニー・ウィリアムズだった。
おそらくこのことに異論のある方はいないのではないかと思う。
それくらい、この二人のプレイは他のドラマーとは隔絶したものであったという印象が強い。

コルトレーン時代のエルヴィンというと忘れられない映像がぼくにはある。『the world according to john coltrane(ジョン・コルトレーンの世界)』と題されたヴィデオに収録されたベルギー、コンブラン・ラ・トゥールにおける1965年のライヴの映像だ。ここに収録された21分4秒に及ぶ「マイ・フェイヴァリット・シングス」の演奏シーンで、エルヴィンは全身からすさまじい湯気を発しながらドラムを叩くのである。しかも真夏の8月1日のことだ。

このころのコルトレーンの演奏は、まさに命を傾け魂を削るような壮絶なものだったのだが、これから2年も経たぬうちにコルトレーンは病を得て他界するのだから、この表現があながち比喩というわけでもない。
けれども、このエルヴィンの演奏を見ると、彼もまた命を傾け魂を削りながら演奏をしていたのだということがよくわかる。

冥福を祈りたい。

2004/05/23(日) ビートルズのアナログ盤
「モービル・フィディリティ・サウンド・インプレッション」を久しぶりに更新した。
今回は『フォー・セール』のときの比較試聴に少し加筆し、『リヴォルヴァー』を新たに書き下ろした。

この2つのアルバム、計10種のアナログ盤を聴いて思うのは、モービル盤と国内限定モノラル盤の新鮮さだ。

よい音、よくない音というのはほんとうに主観的なものなので、むしろ「好きな音・嫌いな音」といったほうがよいのかもしれないが、この2つのアナログ盤はたいへんに鮮明度の高い音をしている。それはだれの耳にも明らかなのではないだろうか。

『リヴォルヴァー』のモービル盤を聴くと、今までほんとうの『リヴォルヴァー』を聴いていなかったのではないかという思いに捕われるし、『フォー・セール』の限定モノラル盤を聞くと、アナログ最晩年ともいえるこの時期のマスタリング技術の確かさに改めて思い当たるという感じだ。

ところで気になる疑問をひとつ。『リヴォルヴァー』に収録のジョージの「Love You To」だが、マーク・ルウィソーンの『レコーディング・セッション』(シンコー・ミュージック・1990 内田久美子訳)を読むと「ポールは『They'll fill in you in with all the sins you see』と歌う高域のハーモニーを録る。しかし、ポールのこのパートはミックスされず、従ってレコードにも入らなかった」(1966年4月13日の項、85ページ)と書いてある。
ところがチャック近藤さんは、『全曲解明!!ビートルズサウンズ大研究・上巻』(シンコー・ミュージック・1995)で「'on me' 'to me' 'you'll see'だけポールが高いパートをハモっている」(134ページ)と書いている。みなさんはどう思いますか。ぼくにもポールの声に聞こえるのだけれど……。

2004/05/20(木) 映画のなかの歌
アメリカ映画を見ていると、登場人物がいきなり歌を歌いだすシーンというのがよくある。
いや、ミュージカルじゃないですよ(笑)。
それから『天使にラヴ・ソングを』とか、そういう音楽をテーマにした映画もここでは除きます。

国民性の違いなのか、あまり邦画では印象に残ってるものがないのだけれど、アメリカ映画のそういうシーン(題して「いきなりソング」(笑))がぼくはとても好きだ。

最近の映画でいうと『ブリジット・ジョーンズの日記』でレニー・ゼルウィガーが「オール・バイ・マイセルフ」を歌うシーンなどは、CMでも使われていたので覚えていらっしゃる方も多いだろう。
あの場合は、歌詞があまりにも身につまされる内容なので、流れてきた曲に思わず身振り手振りをつけて口パクで歌う、というシーンなので、正確にいうと彼女が歌ってるわけではないのだけれど。

たくさんありすぎてあんまり覚えてないんだけれど、たとえばキャメロン・クロウ監督の『ザ・エージェント(ひどい邦題!)』で解雇されてフリーになったトム・クルーズが車の中で大声でトム・ペティーの「Free Fallin'」を歌ったり……。

『天使のくれた時間』のなかでニコラス・ケイジが歌う「LaLa(Means I Love You)」も印象的だ。ネタばれになるのであまり詳しくは書けないけれど、自分そっくりの男のホーム・ヴィデオを見ていると、誕生パーティの席でその男が妻にむかって「君に捧げる歌だ」みたいなことを言って歌い始める。ほんとにヘタくそなんだけど、ついウルウルなってしまう名場面である。

そんななかで一番好きなのは『ベスト・フレンズ・ウェディング』で、ジュリア・ロバーツの「フィアンセ」がレストランで歌い始めるシーンだ。「どんなきっかけでつき合い始めたの?」「実は最初の出会いは精神科病棟だったんだ…」と言って、いやがるジュリア・ロバーツを制して彼が長々としゃべったあとで、いきなり「I Say A Little Prayer」を歌い始めると、友人たちはもちろん、ほかのテーブルのお客さんまで巻き込んでレストラン中が大合唱になる。ぼくだけでなく我が家の子どもたちも大のお気に入り。バート・バカラック、そしてディオンヌ・ワーウィックの国民的な人気もよくわかるシーンだ。

みなさんもそんな「いきなりソング」の好きなシーンがあったら、ぜひ教えてください。

2004/05/19(水) JAZZの愛聴盤
今日から不定期にJAZZの愛聴盤というシリーズを立ち上げたいと思う。
栄えある第1回はドナルド・バード『フュエゴ』。


ジャズのトランペッターでだれが一番好きか?と尋ねられたら、ぼくは躊躇なくクリフォード・ブラウンと答える。
じゃあ、無人島に1枚だけジャズのレコードを持っていくとしたら?
『カインド・オブ・ブルー』。
なんだマイルスじゃん。ブラウニーじゃないじゃん。
そうなんですよ、アルバムという単位でみたばあい、その完成度からいうと圧倒的にマイルスのアルバム群はすごい。みんな完成されている。そのなかでも一番すごいと思うのが『カインド・オブ・ブルー』。30年聞き続けているが飽きない。
話がずれてしまいました(笑)。

さて、天才トランペッター、クリフォード・ブラウンが自動車事故のためわずか25歳でこの世を去ったあと、このポッカリと空いた巨大な穴を埋めるのはだれか、ということが話題になった。1956年のことである。
そしてそこに現れたのがリー・モーガン、ドナルド・バード、フレディー・ハバードという3人のトランペッターだ。
50年経った現在の眼で見れば、もっともブラウニーの輝かしい業績に近づけたのはリー・モーガンだろう。デビューしたときわずかに18歳。けれども輝かしい音色、豊かな歌心、完璧なテクニック、そしてとても十代とは思えない抒情性、どれをとってもリー・モーガンは一等抜きん出ていた。
そしてファンキーから新主流派、さらにはフリー・ジャズまでもっともフレキシブルに活躍したのがフレディー・ハバードだ。

でも、個人的に一番好きなのはドナルド・バード。バードが参加しているとついつい聞いてみたくなる。そしてがっかりすることもけっこうある。バードは好不調の波が大きいのだ。
たとえば名盤のひとつに挙げられることの多いレッド・ガーランドの『ソウル・ジャンクション』。リーダーのガーランドは申し分ない。1曲目の表題曲からガーランド節全開だ。コルトレーンも絶好調でバリバリ吹きまくる。でもバードはダメ。へろへろである。
告白してしまえばへろへろのドナルド・バードが好きだ。いや、へろへろなこともあるバードがいとおしい、というべきか。しかし『ソウル・ジャンクション』のバードは全くダメ。イマジネーションのかけらもない、気の抜けたビールのようなソロである。

ところが絶好調のときのバードはすごいのだ。輝かしい音色と豊かな歌心、聴き手の懐にぐいぐいと迫って、これでもかとソウルフルなフレーズをつきつける。
特にB面の「ロー・ライフ」「ラメント」「エイメン」の3連発。
バードの絶頂期がここに刻まれている。

DONALD BYRD "FUEGO"
BLUE NOTE BLP4026

2004/05/17(月) 『REVOLVER』のこと
BEATLESのアナログ盤第10回『REVOLVER』をUPしました。

ということで今日は最近とみに評価の高まる『リヴォルヴァー』について。
特にコアなファンや、ミュージシャンなどにこうした傾向がみられるようだ。
たしかに今まで『リヴォルヴァー』の評価は低すぎた。
日本で大変人気の高い『ラバー・ソウル』と、“ロックの金字塔”『サージェント』とのあいだに挟まれて、セールス的にも完全に一桁低いといわれている。
イラストを使ったモノクロのジャケットも地味だ。
自分でパソコンに向かってコンテンツを作っていても、色がないんだもの(笑)。
やっと後のほうで、赤と緑が出てくるぐらい。それもレコードと帯とレーベルの色だけ。地味だあ〜。
ジャケットが地味だと音楽も地味に聞こえるのだろうか。
ともあれ、このところの動きは『リヴォルヴァー』の再評価に向けて、大変いいものだと思う。
だからといって『サージェント』をけちょんけちょんに貶すのもどうかと思うけど。

ところで最近読んだ本で、こうした最近の動きにまったく逆行する評価をしているものに出合った。
つまり、あまりにも『リヴォルヴァー』を評価しすぎるんじゃないか、それほどのアルバムじゃないよ、というのだ。
講談社現代新書『これがビートルズだ』、著者は中山康樹。
ぼくは中山さん好きなんだけどなあ……。
それにしても評価が低すぎる。ちょっと拾い上げると
「タックスマン」…「冒頭がすべて」
「アイム・オンリー・スリーピング」…「凡曲ではない。だが名曲でもない」
「ラヴ・ユー・トゥ」…「楽器先行の発想から生まれるものは駄曲」
「シー・セッド・シー・セッド」…「曲そのものは中途半端」
「アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー」…「曲も宙ぶらりんならレコーディングも適当」
「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」…「この曲は単調」
「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」…「たんに同じメロディーを繰り返しているだけ」
ね?
もちろん、こうやって論評の一部だけを取り上げてうんぬんするのは筆者の意図を正しく伝えることにならないから、できれば本文を読んで欲しいけれど、
まあ14曲のうち半分は「たいしたことない」といってるみたいなもんです。
それはないよね。
「アイム・オンリー・スリーピング」なんかホント名曲だと思うけどなあ。しかも「巷間いわれるテープの逆回転操作は行われていない(と思う)」と書かれている。
そうか?
あのフレーズの切れ方はピックで弾いたアタック感を逆回転させてできたものに違いないと思うけど。
みなさんも一度ぜひ読んでみて下さい。

2004/05/16(日) 女子バレー6連勝
女子バレーのアテネ五輪最終予選は、今日もチャイニーズ・タイペイを下し、6連勝でいよいよ明日の最終戦、ロシアとの戦いを迎えることになった。
それにしても今日のタイペイ戦は思わぬ苦戦だった。とにかく敵はボールをよく見て喰らいつき拾ってくる。第1セットは14-14からせり負け、とうとう25-27で落としてしまった。日本の攻撃をかなり研究しているという感じだった。

もうひとつ今日は主審のジャッジにも疑問が残った。柳本監督も両手を広げて「おいおい、ちゃんと見てくれよ」のポーズ。選手たちも再三抗議をするが受け入れられない。

そんななかでぼくが改めて思ったのがキャプテン吉原の存在の大きさだ。第2セットを簡単に取った後の第3セット、思うように得点が開かず、いやなムードになりかけた場面で、吉原の動きがチームを引っ張り、25-19で日本が連取した。第4セットがまた厳しい展開だっただけに、第3セットでタイペイに有利に立たせなかったことは大きい。
これまでの試合ではあまり目立たなかった高橋みゆきの活躍も印象に残ったし、ベテランの佐々木もここぞというところでバックアタックを決めるなど、見せ場を作った。

あすの最終戦、期待しよう。

2004/05/13(木) 『<b>RUBBER SOUL</b>』について
RUBBER SOUL』について(それからストーンズとの関係について)、Y.Z.さん、MASAさん、RAS(BERRY)さんからご意見をいただきました。
ここでぼくの意見をちょっと述べさせていただきたいと思います。

まず「BEATLESのアナログ盤」のところに書かせていただいたように、このアルバムからビートルズの変質がファンの目にも(耳にも?)明らかになったということは衆目の一致するところですよね。

これはまずジャケットの歪んだ写真が象徴していますが、音楽的には1曲目の「Drive My Car」と2曲目の「Norwegian Wood (This Bird Has Flown)」のインパクトが大変強かったということもあると思います。
つまり抑揚もなくうねうねと続く黒っぽいサウンドとシタール!
当時のファンはこの2曲にはほんとにびっくりしたのではないでしょうか。

それ以外にもポールは「Michelle」でフランス語とシャンソンの香りを取り入れ、ジョンは「In My Life」で、ジョージ・マーティンにエリザベス朝風のピアノを要請したといいます。
つまり楽曲的には、それまでのストレートなロック・サウンドからの進化ということだと思います。

ところがサウンド的には、ジョージの弾くストラトキャスターや、ポールの弾くリッケンバッカー4001など、これまで以上にハードなバンド・サウンドをクリエイトするようになります。とくにポールは「You Won't See Me」や「Nowhere man」で、縦横無尽に展開する、すごくメロディアスなベースを披露していますよね。

この楽曲的な進化とバンド・サウンドの強化という2つの(どちらかというと相反する)要素が組み合わさって、『RUBBER SOUL』というアルバムができていると思います。

もうひとつ、ぼくは「If I Needed Someone」によってついにジョージが才能を開花させたということがあると思いますね。それまでのジョージの曲は個人的には「まあまあ」のレベルで、けっして「素晴らしい」や「参りました」までは至ってなかったと思うんですが、この曲は完全に「素晴らしい」の域に達していると思います。

こう考えると、このアルバムはそれまでのジョンのワンマン・バンドだった時期から、ほかのメンバーが作曲家としてあるいはサウンド・クリエーターとして、ジョンのレベルに迫ってきて、グループとして大変な充実期に入った時期といえると思います。

とくにポールは前作で書いた「Yesterday」が、思いがけずもほかのジャンルの音楽家や評論家に高く評価され、今回は自身を持って「Michelle」を書いてると思うんですが、この自信が
Drive My Car」のような傑作を自由に書かせてると思います。

ただしジョンの才能はやはり圧倒的なので、ポールがほんとうにジョンに迫るのは次の『REVOLVER』だと思いますね。

長くなりましたので、ストーンズとの関係についてはまた別稿で。
みなさんのご意見をお待ちしております。
(結局3人の方が書いたことをまとめただけだったりして……。)

2004/05/11(火) Midoさんの日記、日記文学
Midoさんの日記を読んでいると、ときどき妙な罪悪感のようなものを感じることがある。若い女性の日記をこっそりと盗み見ているというような根拠のないうしろめたさのようなもの。

もちろんMidoさんは人に読ませるために日記を書いているのだから、こちらが罪悪感を感じる必要はないのであって、それはMidoさんの責任でもない。
でも昨日の夢の話のような妙にリアルでなまなましい話を読むと、なんとなくいけないかなあという気分に満たされるのである。

考えてみれば日本の古典文学には日記文学という代表的なジャンルがあって、その嚆矢はいうまでもなく貫之の『土佐日記』であるが、彼が『土佐日記』を書いたのは土佐守の在任中に亡くした愛娘への絶ちがたい追慕の情を表現するためであった。
その言いようのない悲しみを文章として綴るためにどうしても女手(ひらがな)が必要だと悟ったとき、貫之は女性に仮託して心情を述べるというフィクションの構図を選ばざるを得なかったので、必然的に『土佐日記』は「日記」ではなく「日記文学」になったというべきだろう。

その後に生み出された数々の日記文学の傑作はみな女性の手によるものだが、考えてみればMidoさんの日記も、こうした日記文学という大河のような日本文化の伝統のなかにあるのかもしれない。

これはもちろんMidoさんの日記がフィクションであるということを意味しない。ただ人の目に触れることを意識したときに、わたしたちは意識的にせよ無意識的にせよ、書くことの取捨選択をしているのであって、それをフィクションというのであればMidoさんの日記も十分フィクションが含まれているということはできるかもしれない。

そうして日記のなかのMidoさんと掲示板でやり取りしているMidoさんとのあいだに、わずかなギャップを感じるのもまた事実なのだけれど。

5月絵日記の続き


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