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2004/05/08(土) 『20世紀少年』第16巻!
5月3日の朝日新聞のテレビ欄に『20世紀少年』第16巻の広告が2つ同時に掲載されていた。コピーにいわく「MISIAが、夢中になった」、「三谷幸喜が、嫉妬した」。
これはある意味すごいことですよ。なにしろ「天下の朝日新聞」である。そのなかでも最も読者が多いであろうテレビ欄(笑)に、『20世紀少年』の広告である。
マンガもやっとここまで来たかと、手塚治虫やウォルト・ディズニーも喜んでいるだろう。

ぼくが子どものころは、よく母親に「マンガばっか読んでないで少しは勉強しなさい!」と怒られたものだ。
そのころぼくが一番夢中になって読んでいたのは光文社が発行していた『少年』という月刊誌で、巻頭は横山光輝の『鉄人28号』、すぐあとに『鉄腕アトム』が載っていた。
ぼくが読んでいた5〜6年の間に、何回かは巻頭に『鉄腕アトム』が来たこともあったかもしれないが、ほとんどはこの順番だった。
今でこそ、『鉄腕アトム』の評価のほうが高くなっているが、当時の子どもたちには『鉄人』のほうが人気があったわけだ。
横山光輝さんが亡くなったときは、ちょうど鷺沢萠の訃報に接してショックを受けていたときだったので何も書けなかったが、あのころの横山光輝は月刊誌『少年』の『鉄人28号』と、週刊誌『少年サンデー』の『伊賀の影丸』で絶大な人気を誇っていた。
そして手塚治虫が『リボンの騎士』で少女漫画の分野に入っていったころ、横山光輝も『魔法使いサリー』で同じ分野に活躍の場を広げていったのだった。

当時の男の子向け月刊誌は、付録の多さで競っているところがあり、よく表紙に「豪華12大付録!」なんて書いてあった。そのうちの4つぐらいはマンガの小冊子で(これは当時の人にしかわからないと思うが)本誌に4ページぐらいマンガが載っていて、そのあとは付録に続くのである。
これがまたよかったなあ。カラーの大きな紙面で始まって、紙面は小さいけどボリュームたっぷりの付録に続く。

……なんだか昔の思い出話になってしまったので、つづきは明日ということで(笑)。


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