ホームページ最新月全表示|携帯へURLを送る(i-modevodafoneEZweb

2004年6月
前の月 次の月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
最新の絵日記ダイジェスト
2005/06/26 6月22日の紙ジャケ ― part 3
2005/06/25 6月22日の紙ジャケ ― part 2
2005/06/21 6月22日の紙ジャケ(こまかい!)
2005/06/19 ぼくのシネ・レヴュー ― Shall We ダンス?
2005/06/16 ロンリー・ボーイ

直接移動: 20056 5 4 3 2 1 月  200412 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 月 

2004/06/30(水) 8人の女たち
不思議な手ざわりの映画である。
『まぼろし』で人気のフランソワ・オゾンの作品だが、そうとは知らず見てしまった。

クリスマス・イヴの朝、山里の大邸宅に大学生の長女が帰ってくる。
そこ住んでいるのは主マルセルのほかには、妻、妻の母親、妻の妹、次女、二人のメイドという女性ばかりだ。
昼近くになっても起きてこないマルセルをメイドが起こしにいくと、彼は背中にナイフを一突きされて息絶えている。
折りしも降りしきる雪のため外部とは遮断され、電話線も何者かによって切断され、父親を殺した犯人は内部にいるということになってしまう。
帰ってきたばかりの長女が探偵の役回りになりアリバイを探っているうちに、実は彼女自身も前の晩密かに父と会っていたことが露見し、一気にみんな怪しげになってしまう。 
そこに何やらいわくありげなマルセルの妹まで入り込んできて8人の女による虚々実々の駆け引きが繰り広げられる……。

ふだんあらすじなど書かないぼくがこう書くのは、8人の女がそれぞれソロを取って歌を唄うミュージカル仕立てになっているからだ。
うわああっ…フランス映画だあ…という微かな違和感(ぼく自身がフランスの文化や習俗に馴染んでいないところからくる違和感と、ミュージカルという演劇の一形式にうまく溶け込めない違和感)が、この映画の不思議な手ざわりを生み出している。

けれども、ふつう主が死んで歌唄うか?という常識から来る違和感はおそらく監督の狙いで、だとすればだれが殺ったのか(フーダニット)という謎は、この映画のスパイスに過ぎないということになる。

つまり、主が死に、それぞれが容疑者たり得ることによって一気に噴出する家族間のさまざまな感情……反発と親和力、憎悪と愛情、軽蔑と嫉妬、期待と失望、信頼と猜疑……これらを軽妙に描いてみせることがこの映画のテーマではないのか。
若いころにこんな映画見てたら女性不信に陥ってたかも…(笑)。

しかしユーモアとエスプリの効いた小粋な映画である。
室内だけで繰り広げられる人間模様だけに舞台演出を思わせるような光と影のコントラストの効いたカメラと、50年代っぽいカラフルでポップな色彩感覚も楽しかった。
できれば映画独自の表現方法も見せてほしかったけれど……。

女優陣は多彩だ。ベルリン国際映画祭では8人全員に銀熊賞が授与されたそうだけれど、
長女シュゾン役のヴィルジニー・ルドワイヤンの魅力はもちろん、妻役のカトリーヌ・ドヌーブとマルセルの妹役のファニー・アルダンの存在感が圧倒的。余談ですが二人はどちらもフランソワ・トリュフォの元恋人だ。
『階段を下りて左』以来ファンになったエマニュエル・ベアールの相変わらずの色っぽさにも参りました。

2002年 フランス 111分
DVD ヴィスタ・サイズ(スクィーズ)
画質 ★★★☆(最高は★5つ、☆はおまけ)
字幕の大きさ=中

2004/06/28(月) ブラッキー
エリック・クラプトン愛用のストラト「ブラッキー」がニューヨークでオークションにかけられ95万9500ドル(約1億300万円)で落札されたそうだ。
ここまでくるとストラディヴァリみたいな感じになってくる。

元はといえば、クラプトンがドラッグとアルコールでしばしば生死の淵をさまよっていたとき、ギターとの縁を切らないために、54〜57年製の4〜5本のストラトから自分の気に入った部品をコンポーネントして作ったギターだ。
そのころ1本100ドル程度だったそうだから、クラプトンが使うことによって約9600倍の価値が付加されたことになる。
もちろん、今57年製のストラトは程度がよければ1万ドルぐらいするけれども、それでも約100倍になったわけだ。

クラプトンはこのオークションで得た利益を、カリブ海の島国に作った薬物中毒患者用の更生施設の運営資金に充てるそうである。

ブラッキーがクラプトンの許を離れたのは淋しいが、頭の下がる話である。

2004/06/26(土) JAZZの愛聴盤−4
今日はクリフォード・ブラウンの命日である。

寺山修司に

 便所より青空見えて啄木忌

という句があって、これほど彼の啄木に対する屈折した愛情を表した句はないと思うが、ぼくにも音楽の分野で敬愛してやまぬ先達を思う命日が三つある。

ひとつはいうまでもなく、12月8日、ジョン・レノンの命日。
ふたつめは7月17日。この日は奇しくも二人の偉大なジャズ・ミュージシャン、ビリー・ホリデイとジョン・コルトレーンの命日である。
そして6月26日がクリフォード・ブラウン。

JAZZが好きになってレコードをとっかえひっかえ浴びるように聞いていたころ、ブラウニーのいちばんの名演はなんだろう、と迷ったことがあった。
一般的には『スタディ・イン・ブラウン』 に収められた「ジョイ・スプリング」 ということになっているのだが、ぼくはアルバム的にそれよりも『ブラウン・アンド・ローチ』 が好きで、なかでも「ジョードゥ」 がお気に入りだった。けれども、ヘレン・メリルやサラ・ボーンのバックで吹いたアルバムにもいいソロがたくさんあるのである。
そのころつき合っていたガール・フレンドに「何だと思う?」と聞いたら、彼女は間髪を入れずに答えましたね、「スプリット・キック」 。

なるほど、そういう手があったか!
これにはほんとに目を開かれる思いがした。アート・ブレイキー・クインテット『バードランドの夜 第1集』 の1曲目に入っている曲である。

以来6月26日には、彼のソロ・アルバムではなく、ブレイキーのレコードをかけることが多くなった。

ここに載せたのはマイケル・カスクーナが監修した4枚組CD。ブルーノートとパシフィック・ジャズに遺した全49曲を収録している。



これで朝からブラウニーを聞いている。
1954年の2月21日にバードランドで収録された14曲はハード・バップの夜明けを告げる名演として名高い。なかでも冒頭の「スプリット・キック」 や続く「ワンス・イン・ナ・ホワイル」 を聞いていると幸せな気分になる。ほんとうにクリフォード・ブラウンは名手だった。

このライヴから2年後の56年6月26日、今日と同じような雨の降りしきるペンシルヴェニア州タ
ーンパイクで交通事故のため死去。25歳であった。

clifford brown "the complete blue note and pacific jazz recordings"
capitol CDP 7243 8 34195 2 4

2004/06/24(木) バッドボーイズ 2 バッド
史上最悪の映画である。
なにが最悪か?
すべてと言っておこう。

実は10年近く前のことになるが、前作『バッドボーイズ』を内容もよく知らないままLDで買って、それがけっこう面白かったのだ。そのころはウィル・スミスもマーティン・ローレンスも、そして麗しのティア・レオーニも、まだ日本ではほとんど無名だった。
そしてマイケル・ベイは処女監督作だったのだ。

満を持しての第2作ということでけっこう期待して見た。
史上最悪の映画である。
なにが最悪か?
すべてと言っておこう。

まずギャグがまったく笑えない。
カーチェイスも『マトリックス・リローデッド』のような斬新なカメラ・ワークがない。CGで車がボンボン突っ込んでくるだけ。
アクション・シーンではとにかく敵が死ぬ。いいんです、敵はキューバ人なんだから。
そう言ってるような映画である。

具体的に記そう。
敵はキューバ人である。コカインだかヘロインだかをマイアミで売りさばいて、カストロに献金している。
ま、いいことにしよう、ハリウッド映画なんだから。
そのドラッグと売上金を運ぶのに遺体を利用しているのである。
亡くなった人の内臓を取り出して、そこにドラッグを詰め、棺に金を隠して運ぶ。
そしてそれが「頭いい!」という話になるのだ。

で、当然のことながら霊安車を追跡してカーチェイスが始まる。
急ブレーキや急旋回のたびに遺体は霊安車から道路にバラ撒かれる。
それを主人公たちの乗った車が轢き殺し、
「いや、もともと死んでるんだからいいや」という話になるのである。
そしてまたまた『ハンニバル』のパロディである。

制作:ジェリー・ブラッカイマー
監督:マイケル・ベイ
脚本:ロン・シェルトン

あえてこの3人の名をここに記しておく。

2003年 150分ぐらい(長かった!)
DVD シネマスコープ・サイズ(スクイーズ)
画質 怒りのあまり忘れた!
字幕の大きさ=怒りのあまり忘れた!

2004/06/22(火) デジカメ
って上達するもんなんでしょうか。

今日は(正確にいうともう昨日だけど)台風6号のおかげで、ぽっかりと仕事が休みになってしまった(被害に遭われた地域の方々、申し訳ありません)。

それで、この突然の休日を何に使ったかというと、デジカメの写真を撮りなおしたのだ。具体的にいうと「BEATLESのアナログ盤・第2回PLEASE PLEASE ME」の写真、37枚中の28枚ですね。

ただし、撮りなおしたからよくなったかというと、まあ少しはマシになったかなという程度。レンズ収差というのだろうか、ジャケットが丸く歪むのがどうしても気になってしようがない。ぼくが使っているのはCanonIXY DIGITAL 200という、ちょっと前のデジカメなんだけど、どうにかして正方形のジャケットを正方形に撮る方法があるのかしら。
それとももう少しレンズ口径の大きいものに換えたら歪が小さくなるとか。

どなたかご存知の方がいらっしゃったらご教示ください。

2004/06/20(日) 山下達郎のサンデー・ソング・ブック
ぼくが山下達郎の「サンデー・ソング・ブック」を毎週エア・チェックしてることは以前にも書いたけれど、今日の特集はベタなリクエスト、略してベタリク。

サンソンといえば、とにかくコアな曲がかかることが多くて、ぼくなんかは勉強のためにエア・チェックしてるんだけど、サンソンにして始めてベタリク特集というので、まあ興味津々というところだった。
ぼくの予想としてはたとえばカウシルズの「雨に消えた初恋」とか、トレメローズの「サイレンス・イズ・ゴールデン」とかP.F.スローンの「孤独の世界」とか、そういうのがかかるのかなあと思っていたら、なんとオープニングはビートルズの「アンド・アイ・ラヴ・ハー」!思わず椅子からこけそうになりました。

なるほどねえ。
ぼくもサンソンを聴きだして10年近くなるけれど、ビートルズがかかったのはたぶん3〜4回。まあ、それくらいビートルズってベタなんですね。
しかしそこは達郎、CD音源じゃなく、オリジナル・アナログ・ステレオ盤から自分のスタジオでデジタル・リマスタリングしてかけてくれました。
さすがにマトリクスとかには触れなかったけど(笑)。
しかも愛用のギブソンJ-160Eで、「アンド・アイ・ラヴ・ハー」のコードをかき鳴らして「どうです、おんなじ音がするでしょう」って。
達郎はジョンが使ってたのとほぼ同じ62年ごろのJ-160Eを数年前に手に入れてるんですよね。

思わず拍手してしまいそうなサンソンでした。

2004/06/19(土) 21グラム
『21グラム』を見た。
それにしてもなんと重たい映画だろう。
交通事故で夫と幼い二人の娘を亡くした女。
事故を起こした男。
心臓移植を受けた男。
3人の人生が一点で交差する。そこに描かれる苦悩。

ロドリゴ・プリエトのカメラは粒状性を強調したざらついた画面で、アップを多用し、登場人物の苦悩を強調するかのようだ。ナオミ・ワッツでさえ、現実から逃避するためにドラッグに溺れて、疲れきった中年女に見えるような撮り方をしている場面がある。

けれどもよく分からないことも多かった。ポール(ショーン・ペン)の妻(シャルロット・ゲインズブール!)は、なぜ別居し、中絶し、また繋がろうとするのか。ポールはなぜ人工授精を許諾し、拒絶するのか。
3人の人生が時系列的にもバラバラに描かれ、最後にジグソー・パズルのようにひとつの物語に繋がるという描き方にも、ぼくは必然性を感じなかった。

2003年 140分
ギャガ・ヒューマクス配給
シネマ・スコープ

2004/06/16(水) ミスチル――表現者として
『シフクノオト』の初回限定版についていたDVDをぼんやり見ていたら、桜井君が「ミスチルってよく詩のことがいろいろ言われるけど、今回のアルバムは音だけ聴いていても気持ちいいってゆーか、そんな感じに仕上がってると思う」みたいなことをしゃべっていた。
たしかに、オープニングの「言わせてみてぇもんだ」は、いきなりバリトン・サックスがブリブリと気持ちいい音を出してるし、2曲目「PADDLE」はアコギだけの軽快なカッティングの4小節に続いてギターとベースとドラムがいっせいに入ってくるイントロを聴いただけで、なんだかポジティヴな気持ちになってくる。その次は「掌」と「くるみ」という大ヒットシングル……という具合でほんとうに完成度の高いアルバムなのだ。
けれども聴いてるうちについつい、詩に耳を傾けてしまうのだ。

ぼくはこのサイトを立ち上げるときに、政治的・思想的な発言はすまいと心に決めていた。それはもちろん、自分のサイトが趣味のサイトだからだ。思想的なことは思想的な場で話をすればいい。
……だから日本の若者がイラクで人質になろうと、小学生の女の子が同級生を殺めようと、とにかくビートルズや映画の話しかしてこなかった。
もちろん音楽や映画は思想を語ることもできるし、とくに映画はその構造から、思想をなまの形で表現することもできる。
最近の例で言えば、マイケル・ムーアの作品などは、極めて政治的で思想的だ。そういう作品に言及すればぼくの発言も政治的にならざるを得ないから、ぼくはそういう作品について発言することも避けてきた。

桜井君は敢えてそういう部分を詩にしてきた。それをぼくは逆にとても偉いなあと思うのだ。

「君は君で 僕は僕 そんな当たり前のこと
 …
 ひとつにならなくていいよ
 認め合うことができればさ」   (掌)

「今 僕のいる場所が 探してたのと違っても
 間違いじゃない いつも答えは一つじゃない」  (Any)

「子供らを被害者に 加害者にもせずに
 この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
 …
 右の人 左の人
 ふとした場所できっと繋がってるから
 片一方を裁けないよな
 僕らは連鎖する生き物だよ」  (タガタメ)

ミスチルを聞いている人たちがどんな世代に属しているのか知らないけれど、こういう曲をひとりでも多くの人が聞いて、いろんなことを考えてくれれば、と思う。

2004/06/12(土) JAZZの愛聴盤−3
マル・ウォルドロンというピアニストは、わが国ではアルト・サックスのジャッキー・マクリーンと共演した『レフト・アローン』で人気が高いが、アレンジに冴えをみせる『マル1』など名作をいくつも残している。
今回はそのなかでも特に好きなマル・ウォルドロン『ザ・クエスト』を取り上げる。

話は飛ぶけれど、ぼくはモーツァルトが大好きで、なかでもピアノ協奏曲を初めとするコンチェルトや室内楽曲をよく聴いている。そんななかで特に好きな曲のひとつにクラリネット協奏曲イ長調Kv.622がある。
ケッヘル番号からもわかるとおり最晩年の作品で、長調なのだけれど透明な哀しみに包まれたような、とにかく筆舌に尽くしがたい素晴らしい作品だ。

マルの『ザ・クエスト』のB面1曲目に入っている「ウォーム・カント」という曲を初めて聴いたとき、そんなモーツァルトの作品に通じるかのような、いいようのない悲しみを湛えたクラリネットの音色に、思わず胸の鼓動が早くなったのを覚えている。
ここでクラリネットを吹いているのはエリック・ドルフィー。
マルチ・リード奏者として知られる彼は、アルト・サックス、フルート、バス・クラリネットなどをこなすが、クラリネットを吹いたのはおそらくこの曲だけだ。
淋しげなクラリネットが軽やかに音階を駆けのぼり、セロ(byロン・カーター)がぽつりぽつりとため息をつき、ピアノがそれに応える。まるで古いフランス映画の一場面かなにかを思わせるような、もの淋しげな曲である。

さらにB面ラストには『ファイヴ・スポットのエリック・ドルフィーVol.1』で、エリックとブッカー・リトル(tp)が白熱の演奏を繰り広げる「ファイアー・ワルツ」の初演も収められている。この曲では残念ながらドルフィーのソロはないが、マル、そしてブッカー・アーヴィン(ts)の素晴らしいソロが聞ける。

MAL WALDRON "THE QUEST"
NEW JAZZ NJ 8269

2004/06/09(水) 輸入盤CDの規制問題
6月3日に成立した著作権法の一部改正法案についてタワー・レコードとHMVの共同声明が発表された。

もともとアジアで安価に生産された邦楽CDの逆輸入を防ぐための法律であったはずのこの法案が、いわゆる「洋楽輸入盤CD」の規制にもつながる可能性があることから、いろんなところで議論がなされてきた。

ぼくが定期的に訪問しているサイトでも、トップ・ページにこの法案に反対であることを示すバナーを掲げているところがかなりあった。

そういう世論の盛り上がりもあって、今回の法案には「欧米諸国からの洋楽の並行輸入等が阻害されるなど消費者の利益が侵害される事態が生じた場合には、適切な対策を講じる」などの付帯決議がなされた。
その陰には国会議員への陳情や文化庁との協議などを繰り返してきたこの2社の大きな努力があったようである。

今回の共同声明は、この付帯決議の遵守への働きかけと、輸入盤規制が現実に起こったときにこの2社がなんらかの実力行使をしていくことが明記されている。

とりあえず最悪の事態はまぬかれることになりそうだが、なぜ消費者がこれほど輸入盤CDにこだわるのか、タワレコやHMVはよくわかっているのに、レコード販売各社・日本レコード協会・文化庁・文科省あたりはどの程度理解しているのだろう。
(あるいはわかっていて知らぬふりをしているのか)、猛省を促したい。

6月絵日記の続き


 Copyright ©2003 FC2 Inc. All Rights Reserved.