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2004/06/16(水)
ミスチル――表現者として
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『シフクノオト』の初回限定版についていたDVDをぼんやり見ていたら、桜井君が「ミスチルってよく詩のことがいろいろ言われるけど、今回のアルバムは音だけ聴いていても気持ちいいってゆーか、そんな感じに仕上がってると思う」みたいなことをしゃべっていた。 たしかに、オープニングの「言わせてみてぇもんだ」は、いきなりバリトン・サックスがブリブリと気持ちいい音を出してるし、2曲目「PADDLE」はアコギだけの軽快なカッティングの4小節に続いてギターとベースとドラムがいっせいに入ってくるイントロを聴いただけで、なんだかポジティヴな気持ちになってくる。その次は「掌」と「くるみ」という大ヒットシングル……という具合でほんとうに完成度の高いアルバムなのだ。 けれども聴いてるうちについつい、詩に耳を傾けてしまうのだ。
ぼくはこのサイトを立ち上げるときに、政治的・思想的な発言はすまいと心に決めていた。それはもちろん、自分のサイトが趣味のサイトだからだ。思想的なことは思想的な場で話をすればいい。 ……だから日本の若者がイラクで人質になろうと、小学生の女の子が同級生を殺めようと、とにかくビートルズや映画の話しかしてこなかった。 もちろん音楽や映画は思想を語ることもできるし、とくに映画はその構造から、思想をなまの形で表現することもできる。 最近の例で言えば、マイケル・ムーアの作品などは、極めて政治的で思想的だ。そういう作品に言及すればぼくの発言も政治的にならざるを得ないから、ぼくはそういう作品について発言することも避けてきた。
桜井君は敢えてそういう部分を詩にしてきた。それをぼくは逆にとても偉いなあと思うのだ。
「君は君で 僕は僕 そんな当たり前のこと … ひとつにならなくていいよ 認め合うことができればさ」 (掌)
「今 僕のいる場所が 探してたのと違っても 間違いじゃない いつも答えは一つじゃない」 (Any)
「子供らを被害者に 加害者にもせずに この街で暮らすため まず何をすべきだろう? … 右の人 左の人 ふとした場所できっと繋がってるから 片一方を裁けないよな 僕らは連鎖する生き物だよ」 (タガタメ)
ミスチルを聞いている人たちがどんな世代に属しているのか知らないけれど、こういう曲をひとりでも多くの人が聞いて、いろんなことを考えてくれれば、と思う。
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